本サイト「創作鉄道資料館」では使わない画像を中心に
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
資料館本館
本サイト
創作鉄道資料館

特別企画
高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

※現在、コメントとトラックバックは管理者の承認後の掲載となっています。従って、書き込み後暫く時間がかかることを、ご承知ください。

※当ブログに対するご意見、ご要望などは
こちらから、お願いいたします。

なお、リンクフリーです。

※当サイト内の画像、文章等の無断転載を禁止します。

エキサイトブログ以外へのリンク
カテゴリ
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
最新のコメント
>>12号線さん 大井..
by hiro_hrkz at 01:00
お久しぶりです。 大井..
by cos000 at 11:54
>>島々な人さん お久..
by hiro_hrkz at 00:57
お久しぶりでございます。..
by 島々な人 at 21:35
>>ノンちゃんさん 京..
by hiro_hrkz at 00:49
画像のバスは最後まで京阪..
by ノンちゃん at 18:50
備北バスの三菱ふそうの小..
by しんご at 18:02
>>トライランダーさん ..
by hiro_hrkz at 14:52
こんにちは。福岡県中間市..
by トライランダー at 05:44
>> SELEGA950..
by hiro_hrkz at 00:43
最新のトラックバック
西暦1906年 - 満鉄..
from ぱふぅ家のホームページ
「スキー(バス)シーズン..
from 常磐工場の業務報
「スキー(バス)シーズン..
from 常磐工場の業務報
「富士重5Eは好きですか..
from 常磐工場の業務報
「富士重ボディは好きです..
from 常磐工場の業務報
鉄コレ 名市交300形 ..
from 月刊えむわーくす
徳島市営バスと徳島駅前
from nishimino
時代はソーシャルネットワ..
from 生活のキーワード
紹介>花巻電鉄・仙北鉄道..
from 鉄道のある風景weblog
筑波鉄道の車両
from ★ どうでもいいもの大集合 ★
フォロー中のブログ
外部リンク
検索
いろいろ
ブログジャンル
画像一覧
近江鉄道のディーゼル機関車
近江鉄道は、かつては貨物輸送の盛んな私鉄の一つであり、多数の電気機関車を保有していたことで知られます。今でも、何両かが彦根に残されていますね。
しかし、同社には電気機関車だけでなくディーゼル機関車も在籍していました。
e0030537_01391838.jpg
・近江鉄道 DD45 1 1993年8月 彦根
e0030537_01391478.jpg
・近江鉄道 DD13 104 1993年8月 彦根

画像はそのうちの2両。
上はロッド式4軸の45t機で、1963年富士重工製。もとは小名浜臨海鉄道(→福島臨海鉄道)の車両で、専用線開設時に譲り受けたものです。
下は見てわかる通り国鉄DD13の初期タイプ。1982年に入線しています。
どちらも、旧所有者時代の番号をそのまま使用しています。
灰色がかった水色に黄橙色の帯、ナンバープレートは赤と電気機関車と同じ塗装でした。
自重56tのDD13が入線できたあたりに、近江が通常のローカル電鉄と違い、重量級の貨物の為に軸重制限が緩やかだったことを感じます。

これらディーゼル機は、多賀線の終点・多賀駅から延びていたキリンビール滋賀工場の引込線で使われていました。
同工場の設立は1974年であり、(臨海鉄道等を除く)私鉄から分岐する引込線としては、遅い開設になるかと思います。
しかし、国鉄貨物列車の急速な衰退により、この専用線も約10年で廃止となっています。

その後は例によって例の如く、彦根駅構内に長期間の留置となり、2004年の駅東側の再開発で整理されるまで置かれていました。ただ、写真を見ると置かれている位置が時々変わっていますね。

[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-11-18 02:21 | 鉄道(非電化) | Trackback | Comments(0)
西肥自動車 三菱ふそうKC-MP617M +富士7E
全国のバス事業者を見ていると、何故ポツンと1台~数台だけ突然変異のように入った車両が存在する例が見られます。かつては、ある時だけ車体メーカーだけが違ったということも多かったと思います。
e0030537_22174375.jpg
e0030537_22175196.jpg
・西肥自動車 三菱ふそうKC-MP617M +富士7E (上)2002年8月 (下)2013年5月 長崎県佐世保市

長崎県北部に路線を拡げる西肥バスは、富士重工のバスを比較的よく見る事業者ですがその車台は殆どが日デです。しかし、ただでさえ事例の少ない三菱ふそうへの架装例を、この組み合わせが最後となる1996年度になって1台だけ導入しました。西肥のふそう大型路線車は西工の架装例が多く、このときだけ何故この選択となったのは知る由もありません。ともあれ、バスマニアには注目される1台となりました。

仕様は当時の同社で一般的だった前中折戸+黒サッシの2段窓。サスペンションはエアサスです。
その点では、同時期に導入した日デ+7Eと特に差はありません。
上は2002年、下は2013年の撮影ですが、その間に行き先表示が方向幕からLEDになり、前面の種別表示受けと広告枠(・・佐世保ではおなじみの百貨店、玉屋のものが刺さってますね)が撤去されています。そのほか、社名の文字や車外スピーカーなどが変化していることがわかります。

それにしてもピカピカですね。
外板を剥がして徹底的に補修する西肥バスの技術が表れていると思います。

[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-11-10 23:00 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
上毛電気鉄道 クハ30形
西武鉄道は第二次大戦後、戦災省線とともに木造省電を購入し、そのままの状態もしくは省電50系に準じた車体に所沢工場で鋼体化を行って使用しています。やがて1954年になると、鋼体化に際して台枠を延長して国鉄クハ55に似た20m級車になります。
これがクハ1401形(戦災復旧車を除く)およびクハ1411形で、両者は前面の貫通路の幅、ベンチレータ―、連結面が平妻か切妻かといった差があります。のちにクハ1401形は1411形に統合、またクハ1411の一部は運転台を撤去してサハになっています。

この鋼体化改造、1959年まで続きました。この間に新車は半鋼製でノーシルノーヘッダーの初代501系(電動車はのちの351系)から全金属の2代目501系に変化していますが、こちらはウィンドシル・ヘッダーが外板に露出し、屋根は木造キャンバス張りという半鋼製、それも初代501系より前の仕様のままで増備が続けられました・・・・他社にも似た事例は幾つかありますが、それにしてももうちょっとどうにかならなかったのかとも感じます。そんなに長く使うつもりは無かったということかもしれませんが。

結局のところ1981年までには廃車となりましたが、1977~1980年にクモハ351形とペアで合計8両が上毛電気鉄道に譲渡。同社のクハ30形となりました。
上毛電鉄で入線にあたって、前面の貫通扉をそのまま鋼製でHゴム支持の窓に変えたものと、扉を埋めてHゴム支持の窓を設けたもののがありました。もとクハ1401のクルマは前者だけだったので、都合3種類のバラエティーとなっていました。
e0030537_21572289.jpg
・上毛電気鉄道 クハ34 1990年1月 大胡

ここからは個人的な話。
西武線を走っている頃、おそらく小学校1~2年だったと思いますが、小平のあたりで見て「随分旧い電車だなあ」と思ったことがあります。また、所沢駅南側の池袋線と新宿線の間の留置線・・・いまは所沢折り返しの池袋線電車の引き上げ線になっていますが・・・に、クモハ351形との2両編成2本が暫くの間放置されていたことも覚えています。

上毛電鉄に行けば走っていることは解っていましたが、実際に乗ることができたのは高校1年生のとき。1990年の正月でした。既に、東武3000系が入線しており3編成しか残っていませんでしたが、西桐生から運よく一発で乗ることができました。
その分、この車両を綺麗にとることはできず。大胡の車庫のいちばん北側に留められていたクハ34を無理矢理撮影しただけで終わりました。いまなら、これだけを狙うのでしょうけど、当時は予定どおりに旅程をこなすことで精いっぱいでしたので。
e0030537_22352266.jpg
・上毛電気鉄道 クハ38 車内 1990年1月

こちらは乗車したクハ38の車内。国鉄の2等車を意識したグレーの壁に赤いモケットの座席、
そして、所沢工場独特の細いアルミサッシであることがわかります。
片隅運転台で、助手側はHポールで仕切ってあっただけということもわかりますね。
なお、画面左側にはドアの開閉スイッチが写っています。これは無人駅対策で取り付けられたもののようですね。

ここで取り上げた2両の車歴を書くと
クハ34はもと西武クハ1428、クハ38は同じくクハ1427でいずれも1955年製。
改番が多い西武の旧型車では珍しく?スッキリしたものとなっています。

結局、西武に残っていた351系よりも一足早く上毛電鉄への譲渡車の方が全滅し、
この電車に乗ったのもこれが最初で最後となりました。

[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-11-05 23:02 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(2)
沿岸バス 日野P-HU276BA +日野車体
北海道の日本海側北部に路線を拡げる沿岸バス。
最近ではユニークな施策で注目を集める同社ですが、留萌と羽幌の市内線を除けば距離の長い路線ばかり。
車両もそうした環境に対応したタイプを導入していました。
e0030537_19571961.jpg
e0030537_19571094.jpg
・沿岸バス 日野P-HU276BA +日野車体 2004年6月 北海道留萌市

画像は路線車ベースで貸切タイプの前構を持つ日野ブルーリボン。
長尺でエアサス、そして高出力となっています。

上は1987年製造でメトロ窓・非冷房の旧塗装車。
もともとは国鉄羽幌線の代替として大量投入されたものです。

下は翌年の1988年製造で逆T字窓・現行塗装となりました。
ナンバーも「旭22あ」から「旭川22か」へ。
どちらも路線ベースのボディながらリアスポイラーが載っていますね。

この後の増備車は、通常の貸切タイプとなっていましたが、
近年は低床化の為に普通の路線車となっているようです。


[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-11-03 20:41 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)
九州旅客鉄道 いすゞP-LV214K +川重
国鉄分割民営化から30年。
バスに関して言えば、事業者問わず高速バスに力を入れ、一方で路線バスが縮小していきました。
札幌都市圏を除いて、大半がローカル鉄道路線の補完であったためでしょう。そのような中で、全ての事業者で行われたのが移籍車の導入でした。
e0030537_18385611.jpg
・九州旅客鉄道 いすゞP-LV214K +川重 1999年8月 鹿児島市内

画像は、JR九州バスが導入したもと東京都交通局のキュービック。
1986年1月製で、都市新バス(グリーンライナー)用として使用された、通常の都営バスよりもグレードの高い車両でした。
もっとも、画像の鹿児島のように場所によっては、これがノーマルな仕様となりますが。
前扉のグライドスライド扉が特徴的、ヘッドライト間にあった行灯は撤去されています。

JR九州ではこの車両以降も関東地方からコンスタントに移籍車を導入しています。
もっとも、路線そのものが無くなってしまったところもありますが。

[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-10-23 00:46 | バス(川重/IK/IBUS) | Trackback | Comments(0)
京阪電気鉄道 寝屋川車庫構内入換車
e0030537_00284448.jpg
私鉄でよく見られた車庫・工場等の入替用車籍無し車 (機械扱)というのも、アントなど本物の?機械に押されて随分減ったように感じます。そんな中で、現在でも生きのこるのが京阪寝屋川車庫の車両。もと70形72です。
e0030537_00284396.jpg
e0030537_00284314.jpg
e0030537_00284384.jpg
公式サイトにも掲載されている有名案件なので、細かい説明は不要かと思います。
70形は京阪本線から京津線に転属した木造車の100形を新製車体に載せ替えたもの。72は1948年に竣工したもので、滋賀県の石山にある東洋レーヨン滋賀工場(の子会社)製の車体というのも珍しいもの。同社はこの頃、国鉄の戦災復旧車(70系客車)、私有貨車のタキ400、あるいは京福電鉄福井支社の車両鋼体化にも関わっていますね。工場自体が軍需転換されていたものの、終戦により職を失い、鉄道車両を手掛けることになった・・というパターンです。

70形は10両ありましたが、製造後まもなく1949年に発生した四宮車庫火災で大半を焼失。この車両だけ事故復旧で東レに入場していたために助かったというのは、幡生工場に入場したために原爆を逃れた広浜の買収国電(のちの熊本電鉄70形)を思い出すところです。

80形の増備で京津線の旅客車から寝屋川車庫の入替車になったのは1967年。それから、既に50年が経過しているわけです。
車両の長さ、あるいは操作のしやすさなどというのがあるとしても、よく今まで残っているものだと思います。
特に、最大の危機であった京阪線の昇圧すら、車内に電動発電機と整流器等を搭載して600V用の電機類に供給するという交流電化黎明期の車両を思わせるアクロバットな手法で乗り切ったことを思うと、どこか意地で残しているものすら感じます。
これは、70の種車となった100は、もともと京阪創業期の車両を改造したもので、その台車を今も使っているのが理由なのかと邪推するところです。

車体も側面の窓間こそ昇圧時にHゴム支持の窓とガラリになり、また片方の側面には大きな開口部と外吊り戸が設けられたため雰囲気が変わりましたが、運転席と扉まわりは随分原形を保っているものと思います。戸は木造、ドアの下にはホールディングステップ。入替車になったときに付けた自連がやはり重々しく感じるところですが、これはこれでかつての雄勝電車などを想起させますね。

・いずれも2004年10月撮影


[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-10-16 23:03 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
岩手県交通 いすゞK-CJM500 +北村
岩手県交通は、1980年代後半に入ると国際興業グループ入りしたこともあるのか、路線車に関しては同社からの移籍車両が大半となります。その中で、例外的にまとまった数だったのが、平成初頭に移籍してきた神奈川中央交通のK-CJM500です。
神奈中の同型式には、川重、富士3E、5E、北村と4種類の車体がありましたが、これらを全て導入しました。
最も多かったのが北村。結果として、北村モノコックボディーの存在を遅くまで若い世代に伝えることになりました。

さて、このCJM+北村。塗装を変更した程度であまり大きな改造は受けていません。
神奈中独特のフロントガラス下の運賃支払い表示もそのまま。
方向幕は、側面は抜き取っただけで装置はそのまま。代わりに行き先表示板を設置。
リアは広告で隠し、唯一生かされた前面はサイズが合わないため両端を隠していました。
e0030537_02312475.jpg
e0030537_02312853.jpg
e0030537_02313162.jpg
e0030537_02313425.jpg
ただし、その色は何故かマチマチ。
黒、青、白とありました。
e0030537_02312091.jpg
その後、盛岡市内で系統番号が振られ方向幕を交換したとき、一部車両はこの目隠しをとっぱらったようです。
側面の方向幕も復活していますね。

神奈中からはこの車両まで断続的に車両が移籍していましたが、この型式で一度打ち切りとなります。
その後は、KC-世代まで開くことになります。

・岩手県交通 K-CJM500 +北村 
(上から)1999年5月 岩手県岩手郡滝沢村
     1995年9月 盛岡駅前
     2004年6月 盛岡駅前
     1997年3月 盛岡駅前
     2000年10月 盛岡駅前
[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-10-14 00:27 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(0)
万葉線吉久あたりにて
e0030537_00331651.jpg
高岡とその隣町の新湊(射水市)を走る万葉線。
高岡駅前附近こそ、いかにも市内電車の風情ですが、そう大きくはない高岡の中心市街地。
やがて沿線風景はいかにも地方都市の郊外といった風情のところを進んでいくところに、この路線の特徴があると思います。
とりわけ、車庫のある米島口から庄川の橋梁の間・・・電停では吉久のあたりは、独特の雰囲気があります。
e0030537_00333578.jpg
e0030537_00333531.jpg
それなりに旧そうな街中の路上に単線の線路が敷かれており、昭和30~40年代に消えて行ったインタールーラルな路線の生き残りという感じがします。実際に、この万葉線よりも一本南東側の道は高岡市観光協会(外部リンク)のサイトにも掲載されている旧い街並みが残っています。
しかし、それだけで終わらないのが「新産業都市」(死語)の高岡。 
e0030537_00333500.jpg
大きな工場あるいは変電所が存在し、そこに旧い人家が同居する一種独特の景観をつくりあげています。
かつては新吉久~能町口で国鉄鉄新湊駅から分岐する貨物線との平面交差も存在し、まるで工場内を走るような景観だったようです。いまは工場群もだいぶ縮小してますね。

1枚目:吉久
2枚~3枚目 吉久~新吉久
4枚目:新吉久 

いずれも2004年5月


[PR]
# by hiro_hrkz | 2017-10-07 01:08 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)