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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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神奈電をもう一度+製作中のもの 2016年8月
ただいま、こんなものを製作中です。
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今年の関東地方の夏は、7月は暑い日があったものの8月はそれほど上がらなかったような気がします(そして雨)。そんな状況ですが、公私様々なことが重なって進捗状況は宜しくなく、工作したのは実質2日程度であります。
結局、電車は塗装する気が起きずほったらかし。WH型凸電は、キャブに屋根が載って、台枠ができて、手摺が植わって・・・と、いちおうは工作を進めていますが、ほんとうに一応進んだ程度でおわりました・・・これが1日分。

では、もう1日はどうしたかというと・・・
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22年目の山形交通高畠駅再訪の余波は模型にも及び、保存されているモハ1を作ろうと、カッターを握りしめることとなりました(苦笑)。
ベースとなったのは、富士急が限定発売した鉄コレの富士山麓モハ1・・河口湖駅前に保存されているアレです。共に同時期に日本車輌で製造された車両ゆえ似通っている。特に前面は改造無しでも行けそう・・というのが理由ですが、そもそもこれを購入したころから高畠のモハができそうだよなあ・・・という構想はあり、今回漸く実現に向けて進んだというか。
なお、構想のまま葬りさられようとしている鉄コレの山が押入れには・・・・

さて、側面は、窓の大きさや扉の幅は富士山麓で大差なさそうですが、窓配置は全く違うので、雨どいより下を一度切り離して切り継いでいます。ただ、今月は、乗務員扉~客用扉間の窓のうち2枚を扉間に切り継いだところでおしまい・・・赤いプラはどうも工作しにくいように思います。

e0030537_01333123.jpgそして、高畠線といえば電機+貨車+電車の編成ですが、こちらは高畠に保存されているED1ではなく、このネコパブリッシングが出した遠鉄ED282から、出自が同じもと豊川・鳳来寺のED2を作ろうと考えています。
というか、このキットも、最初から遠鉄ではなく山交として作ることを考えていたもの。台車の首振りはどうするか・・・など考えることはいろいろあるので、完成は何時になるのやら。

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# by hiro_hrkz | 2016-08-31 00:00 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Trackback | Comments(0)
山交バス いすゞKL-LV280L1 +IBUS
というわけで、前回に引き続き山形の話題から。
22年前、山交のバスの印象は地方都市でも新しいということでした・・・それは前日までに乗っていた各社のバスに軽いカルチャーショックを受けていたこともあるのでしょう。その後も、路線網は大幅な縮小を余儀なくされたものの、路線車は最近の地方都市の事業者では珍しく、自社発注車のみであることを守っていました。
しかしここも、3年ほど前に遂に陥落。その後は、結構な台数の車両が移籍しており、種類もそれなりです。
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・山交バス いすゞKL-LV280L1 +IBUS 2016年8月 山形駅附近

エルガは現在のところ2社から移籍しているようです。いずれもワンステップ
いちばん上は、もと京成バス。上山営業所所属の1台(73601 山形230あ7361)を確認しています。
そして下の2台は、もと神奈中。こちらは画像の2台(71608 山形230あ7168、71612 山形200か456)のほか、やはり上山で1台(71611 山形200か461)を確認しています。なにゆえ、希望ナンバーの車両とそうでない車両が入り混じっているのかは不明・・・。

あまり改造は行われいません。神奈中は側面の行き先表示が大型化された一方で、特徴である前面の運賃表示窓もそのまんま。当然「後払い」を表示しています。但し、社番71611はこれが撤去されています。
なお、山交のバスは、平日に比べて休日の本数の減り方が、全国でも激しいほうだと感じます。
これら大型の移籍車のうち3台は、休日は営業所で寝てました。訪問の際には注意が必要な点ですね。

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# by hiro_hrkz | 2016-08-27 02:11 | バス(川重/IK/IBUS) | Trackback | Comments(0)
旧 山形交通高畠線 高畠駅舎
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かつて、山形県内に三山、高畠、尾花沢の3っつの鉄道路線を保有していた山形交通。
22年前の大学生のときにその廃線跡を巡り、その時に撮影した写真は、過去に何度か(三山線間沢駅舎三山線モハ103尾花沢線DB152)取り上げています。
廃線から20~25年後の当時見た保存車や遺構は失われたものも多いのですが、現在も残っているもの一つが高畠線の旧高畠駅舎です。今回、22年ぶりに現地を訪ねたので記す次第です。
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e0030537_01303095.jpg戦時合併で山形交通が成立する前・・・まだ高畠鉄道だったときの1934年頃の建築で、この地で産出される高畠石を使った立派な駅舎であり、いまでも、地域の名建築として残っています。また構内に保存車があることから、この種の物件としては、比較的よく知られているほうではないかと思います。
表側(上の写真)の入り口、また旧ホーム側にも庇がありますが、これらは鉄道があった頃からのもの。
鉄道があった頃の写真と比べてみても、そう大きく変化してないようです。
扉や窓は上辺が緩く孤を描いており、木製の窓枠共々、なかなか凝った造りになっています。
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ここで、22年前・・・1994年8月に撮影した駅前面の写真を挙げます。
窓枠が傷んでいる点や、八木アンテナが屋上にあるといった点はありますが、現在と殆ど変わっていないことがわかります。
いちばん大きな差は、駅入り口左側にあった電話ボックスが撤去されたこと。石造り風ですが、これは廃止されてから雰囲気に合わせて作ったもので、鉄道があった頃は普通のガラス張りのものでした。

このときは、三山線を終えた時点で手持ちのフィルムが無くなってしまい、急遽12枚撮りを1本買って凌ぎました。当時、フジフィルムのISO400のカラーフィルムを主に使っていましたが、これはISO100。22年が経過して、ISO400よりISO100のほうが劣化が早く変色が進んでいました。少々見苦しい点はご容赦を。
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さて、この駅舎。鉄道が廃止になったあとは、バスの高畠待合所となりました。正面向かって右側の入り口にかかっている表札を見ると、今でも山形交通(・・・とはいっても、20年近く前にバスは分社されて山交バスに、不動産事業等が本社に残りヤマコーに社名変更しています)のもののようです。現在でもバスの待合室となっていますが、休日は全面運休ゆえか、この日は閉鎖されており中に入ることができませんでした。
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22年前は、平日だったので(・・・その頃は休日もバスがありましたが)中に入ることができました。ただし、旧ホーム側の扉が閉鎖されているのは同じ。外から覗いた限りでは、この頃に比べて整備されているようです。
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嬉しかったのは、22年前でもびっくりした、昔の運賃表がそのまま残っていたこと。
窓口は昔は鏡、いまはベニヤが立てかけられていますが・・・。
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 今回は現・高畠駅で自転車を借りて、この旧・高畠駅まで往復しました。22年前も交通の便は悪く、行きは「まほろばの緑道」となった廃線跡を歩き、帰りは旧・高畠駅から赤湯(駅ではなく国道沿いにあった山交のバスターミナル)までバスに乗りました。
 当時、ここを発着していたバスは、米沢~高畠待合所~赤湯と(高畠駅~)高畠待合所~観音岩の2系統。後者が高畠線の代替となりますが、高畠駅~高畠待合所の間は既に1日1往復となっていました。このあたりの有力な都邑は米沢であり赤湯なので、直接そちらに出ることができるバスのほうが便利だったのでしょう・・・とはいえ、当時でも平日で8.5往復+区間便1往復でした。現在は、米沢~高畠待合所に平日だけ3.5往復が残るのみです。
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 なお、高畠石を使った建築物は、この高畠駅舎だけではありません。高畠駅と同じ頃に建てられた隣の竹ノ森駅舎も、平屋の小規模なものながら石造りで、造りに共通点が見られました。
 高畠駅構内には、石造りの旧変電所の建物が残されています(上の写真)。窓は鉄板でふさがれていますが、かつては中が見られたようで、整流器などが残されたままだったとのこと。なお、高畠線の電化は1929年ですから、駅舎よりも古いものかもしれません。そして駅前にあるガレージも石造り。1928年に高畠鉄道はバス事業を開始しているので、それと関連があるのかもしれません。
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22年前の写真と見比べた際に感じたのは、周辺そして旧駅構内(まほろば公園)の緑が濃くなったこと、そして木々が成長したことでした。一方で、児童遊園が整備されているものの遊ぶ子供の姿などなく・・・最も地方の集落では外を歩く人に逢うことすら稀ですが・・・まちづくりの表彰のプレートだけが寂しくうつりました。

(上から)5,7,8枚目・・・1994年8月撮影。他は2016年8月撮影。

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# by hiro_hrkz | 2016-08-26 01:30 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
北鉄能登バス 日デKK-RN252CSN +西工96MC
北陸鉄道の路線バスの車両は、日野と三菱が殆どをしめるという時代が長く続きましたが、
1987年から高速バス用に細々と導入されていた日デが、1996年から路線でも少しづつ採用されてゆくようになります。
ただし、最初に入ったのはワンステップ中型をストレッチしたJP、続いて7mサイズのRNと、少々特殊な要素のある車両が占めており、本格的な導入は2000年以降になります。

さて、RNは平成6年排ガス規制車(KC-RN)に対しては、富士を架装した車両を導入していましたが、平成10年排ガス規制車(KK-RN)に対しては富士は原則架装しなかったため、ここにも西工架装の車両が登場することになります。
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・北鉄能登バス 日デKK-RN252CSN +西工96MC 2015年4月 七尾駅前(石川県七尾市)

逆T字窓で前中折戸とオーソドックスな仕様ですが、富士架装のKC-RNと比べると行き先表示が幕からLEDになったこと、そして、側面のそれは、中扉後ろから中扉前に変更されている点がポイントです(後に、KC-RNも改造されたものが多数)。
前面は、系統表示だけが幕のままとなっています。

北鉄では、これらRNを金沢市内に投入していましたが、7m車の運用は無理があると判断されたのか、車齢が若い段階で、分離子会社等に異動させています。画像は能登半島南部の分離子会社、北鉄能登バスに所属している車両。
能登半島や加賀南部の車両の低床化にも一役買ったことになります。
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・北鉄能登バス 日デKK-RN252CSN +西工96MC 2009年8月 羽咋駅前(石川県羽咋市)

一方、北鉄能登バスには、これとは別の経緯を持つKK-RNが2台在籍していました。
上の画像がその車両で羽咋市の循環バス「るんるんバス」の専用車。さらに、このうちの1台は、当初は羽咋市所有の80条バス(白ナンバー)でした。行き先表示が幕のままで側面も小型の方向幕であること、そして、前扉直後の窓が、逆T字窓ではなく固定窓になっている点が異なっています。

現在は新車が投入されたようですが、この車両はどうなったのやら・・・・


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# by hiro_hrkz | 2016-08-19 00:53 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(0)
京阪宇治交通のエアロスター
京阪宇治交通の大型路線車は、基本的に、ふそうと日デを採用していました。
うち、ふそうのエアロスターは三菱名自を採用し、呉羽を採用した同系列の京阪バスとは一線を画していました。
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・京阪宇治交通 三菱ふそうU-MP618M +三菱 1999年3月 田辺市駅(京都府京田辺市)

画像は平成元年規制の軸距5.3m(標準尺)車。
京阪宇治交通は、1987年頃からリーフサスからエアサスに切り替えています。
これも、京阪バスと異なる点です。その頃に、窓も2段窓から逆T字窓に変わっています。
前面左側のバックミラー裏が、縞模様に塗り分けられているのは、この頃の同社のバスの特徴でした。
なお、宇治交といえば、日デRB+西工の影響を受けたテールランプを持つ日デUA+ 富士7Eという特色ある車両がありましたが、エアロスターはそのようなことはなく、ごくノーマルな配置となっています。

さて、京阪宇治交通は関西でも車両の置き換えサイクルが早い方で、各社への移籍事例も見られました。
しかし、数社を分社した1990年代後半から情勢は変化。京阪バスおよびその子会社との数度の事業者統合・分割ののち、京都京阪バス(・・・余談ですが、この社名、旧・京都交通の事業を引き継いだ京阪京都交通と紛らわしくて仕方がない)が、かつての宇治交の面影を色濃く残す存在となっています。
そして、今年7月、某音楽イベントの送迎輸送を見に行こうと、強行スケジュールで宇治市へ行くと・・・
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・京都京阪バス 三菱ふそうU-MP618M +MBM 2016年7月 大久保駅(京都府宇治市)

未だ残っているの?と思いましたが、こちらは、もと京阪バスの車両。したがって、車体は呉羽の後進、MBMです。
このあたりの車両の動きは複雑で、京阪宇治の発注車は京阪バスの所属となり、更に2009年頃には京福バスに移籍したものもあります。合併・分割の際に、どこの事業者の所属になったかで、各車両の処遇もだいぶ異なったものになったようです。それにしても、かつてのことを思うと、21年モノが走る宇治交(と言いませんが)は、少々ショックといいますか。

この音楽イベント(京都大作戦)。ほんとうのお目当てだったのは、洛中~洛北・洛西を走る某事業者の7Eだったのですが、今年は夕方からだけ動員、その代わりに隣県の事業者が走るという、なんとも運の無い展開でした・・・往々にして、何度アタックしても撮れない車両というものはあるものです。

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# by hiro_hrkz | 2016-08-15 07:00 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(0)
一畑電気鉄道 デハ20形
86年ぶりの完全新造車が投入されることが話題になっている、島根県の一畑電車。
その、86年前とは昭和初期・・・電化や路線延長が行われた時期で、日本車輌製の鋼製電車を揃えました。
ローカル私鉄マニアの間ではそこそこ有名な車両ですので、これまでは遠景冬の日の景色として遠慮がちな記事にとどめていました。そこで、今回は車両に焦点をあて、一部を改造してつくられた2扉クロスシート車のデハ20形を取り上げたいと思います
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・一畑電気鉄道 デハ23 1993年8月 平田市
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・一畑電気鉄道 デハ22 1995年2月 秋鹿町

まず、一畑の日車製16m級鋼製電車についておさらい。
出雲今市(現・出雲市)~一畑の電化に際して、1927年9月にデハ1~5の5両を新製。うちデハ4は験を担いだのか1929年にデハ6に改番。3扉ロングシートでした。
続いて、1928年に団体用に制御車の(クハ14→)クハ101を増備。車体はデハ1と同型で、その後、1942年認可・1948年に竣工で電装されてデハ7に改番。
そして、小境灘(現・一畑口)~北松江(現・松江しんじ湖温泉)および大社線の開業に際して、1928年にクハ(ニ)3~4、1929年にデハニ53~54を新製。こちらは、2扉+荷物室の合造車となりました。3、4は翌年には電装されてデハニ51~52に改番されています。
合計10両を短期間に揃えたのは、なかなか立派なものですね。

戦後、1951~52年にかけて、デハニ51、デハ2、1、5の順に、2扉クロスシートのデハ21~24にナニワ工機で改造しています。種車は異なりますが、デハ1から中央扉を埋めた窓配置に改造。リベットの打ち方や車体裾の形状も違和感なく仕上げられています。
また、1967年にはデハニ54をデハ11に改番したうえで、デハ7を1962年に電装解除したクハ111と固定編成にしました。このとき車体は大幅に手を加えられ、2扉なるもののその位置は車体中央より、側面ステップは切り上げられ、車内はロングシートとなりました。
そして、3扉両運転台で残ったデハ3、6は1978年の大社線ワンマン化に際して、アルナ工機で運転席の拡張・乗務員扉の取り付けと、それに伴い両端の扉と戸袋窓を車体中央側にずらす工事を請けています。

下回りは制御器と主電動機は三菱製であるのは、この時期の日車製地方私鉄向け電車の多くに同じ。WH社のライセンス品である単位スイッチ式手動加速のHL制御器と、定格出力75kwのMB-98-AFGを4機備えています。が、戦後、双方を弱界磁制御が行えるように改造を行い、列車速度を向上しています。本来、WH~三菱の制御器は弱界磁制御が行えるものはFがつくわけで、HLF(制御器の電源がバッテリならHBF)と称するのが正しいのですが、後付改造ということもあるのか、このような言い方はしていませんでした。
 余談ですが、デハニで認可最高速度の85km/hを経験したことがありますが、これが実にダイナミックなもの。なにかにつかまっていないと・・・というのが大げさではないほどでした。

ブレーキは直通制動(SME)。後年、5両編成にするときは、中間車にブレーキ手を乗せて、編成後部の車両にも均一にブレーキがかかるように操作していました。

さて、デハ20形は1958~59年に入線した、もと西武鉄道クハ1235~1238のクハ100形101~104と編成を組むようになります。が、両者は固定編成にならず、デハ20形は最後まで両運転台のままでした。
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画像は1995年に撮影したデハ22の車内。
 二重屋根風の天井や木製のボックスシート、
 扉は木造の手動・日よけは鎧戸である一方で窓枠はアルミサッシ、
 客室の車内照明は蛍光灯だが運転席だけ白熱灯であること
などが解りますが、一点注目していただきたいのが運転台の仕切りの位置。いつも先頭に立っていたパンタグラフ側は左隅なのに対して、クハ100と連結する側は中央運転台になっていました。
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・一畑電気鉄道 デハ21 1993年8月 平田市

踏切事故か何かで先に戦線離脱(1994年6月廃車)した21の非パンタ側です。
ワイパーの取り付け穴も中央の窓枠にあけられていることがわかるかと思います。
前照灯もパンタグラフ側がシールドビーム2灯なのに対し、こちらは白熱灯のままですね。

デハ24がいちばんはやく1981年に廃車。最後まで残っていたデハ22・23は1996年に廃車になりましたが、うち23が赤茶色の旧塗装に戻されて、平田市駅近くの平田図書館前に保存されました。
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・1998年9月 

しかし、長続きはせず2004年?に解体。先頭部だけが島根県立古代出雲歴史博物館に引き継がれました。

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# by hiro_hrkz | 2016-08-13 00:47 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
北海道北見バスの富士7E
北見バス→北海道北見バスの車両は、以前は三菱と日野が主力で、その他は印象が薄かったように感じます(最も、それは北海道の事業者全般的に言える傾向ではありますが)。
その同社の富士重工架装の乗合車というと、旧い時代の話は分かりませんが、この30年に限れば、自社発注と移籍車あわせて若干といったところで、その殆どは日デ+富士7Eです。
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・北海道北見バス 日デU-UA440NAN +富士7E 上:2001年6月 下:2014年5月 北海道北見市

まず、北見バス時代の1993年と1994年に1台づつ、自社発注車を導入しています。
当時の同社の標準仕様で、北海道らしいロングボディーに、色付き硝子の逆T字窓、扉配置は前中折戸、車内には二人掛けのハイバックシートとなっています。富士7Eとしての特徴は、中扉が、通常よりも若干前に寄っていることがあげられようかと思います。
2つの画像は撮影した年数に13年の差がありますが、その間に行き先表示が幕からLEDになったことがわかりますね。行き先がいずれも国鉄相生線代替の津別になっています。路線固定なのかどうか。
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・北海道北見バス 日デU-UA440NAN +富士7E 上:2001年6月 下:2014年5月 北海道北見市

一方、移籍車では1998年の北見バスから北海道北見バスへの事業移管後、2000年に西武バスから4台?が導入されています。いずれもU-UA440LSN、アイボリー地に緑で沿線自治体の形をちりばめた牛柄の新塗装になりました。希望ナンバーで北見230あ2015~2018の連番になっています。
 同社は、移籍車の導入を断続的に行っていますが、富士7Eが、そして西武バスから移籍したのはこのときだけに終わりました。画像からわかる改造点は、せいぜい座席に枕カバーが取り付けれた程度。後に、行き先表示が幕からLEDになったようです。
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# by hiro_hrkz | 2016-08-07 22:37 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
臼津交通(大分バス) 日野P-RK172BA +日野車体
昭和54年排ガス規制以降の日野の9m大型は、それほど多くはない(・・・というか、いすゞが例外的に多いだけ)ですが、その中でも数が少ないことで知られるのが、P-RK。以前、尾道市営の導入例を取り上げた際にも記しましたが、一般乗合用は、どういうわけか導入した地域に極端な偏りが見られ、台数以上に稀少感があったのでしょう。
 最も、1984~1990年に91台が登録されています(BUSRAMA EXPRESS No.14 より)が、これは、教習車としての需要も関係しているのだろうと思います・・・昨年秋に、とある教習所に状態のいい車両が残っていてびっくりしました。
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・臼津交通 日野P-RK172BA +日野車体 (上)2001年9月、(下)2000年8月 大分県臼杵市

今回取り上げるのは、日野RKの一大生息地だった大分のうち、大分交通の導入事例。
私が訪ねた頃は、既に本体にはおらず、分離子会社の臼津交通の所属になっていました。
前後折戸で2段窓なので、尾道のクルマと仕様にあまり差がないですね(・・・尾道は、冷房に特徴がありましたが)。
リアから見ると窓が大きくテールライトが低い点は、同時期に製造されたP-RT22やP-HT22との共通性を感じるところです。


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# by hiro_hrkz | 2016-08-05 23:52 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)