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本サイト 創作鉄道資料館 特別企画 高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集 ※現在、コメントとトラックバックは管理者の承認後の掲載となっています。従って、書き込み後暫く時間がかかることを、ご承知ください。 ※当ブログに対するご意見、ご要望などは こちらから、お願いいたします。 なお、リンクフリーです。 ※当サイト内の画像、文章等の無断転載を禁止します。 エキサイトブログ以外へのリンク カテゴリ
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2012年 05月 27日
一昨年度に引き続き、昨年度も熊本市交通局では移籍車両を導入しました。今回は、いずれも富士重工7Eを架装するワンステップ車となり、4台ほどが熊本入りしました。
![]() まずは、日デKC-UA。もとは西武バス(西武総合企画)の車両で1台が移籍しています。 この車両で、注目したいのは、前扉の下側部分。 ![]() ![]() ![]() ![]() 残り3台は、いすゞKC-LV。こちらは、黒いサッシにワイドドアで、UDとはだいぶ異なる印象です。 もとは新京成電鉄(松戸新京成バス)の車両ですが、1台だけは2007年10月に吸収合併した系列の船橋バスの発注車。 両者の間には、バックミラーが異なるなど若干の差があったのですが、UAのところで記したとおり「徹底的な車体更新」ゆえに、まるで見分けがつかなくなっています。 但し、側面の前中扉間にある車外スピーカーの位置が1台だけ(熊本200か950)異なっています。船橋バスと新京成でもこの位置が異なっていましたので、同車がもと船橋バスなのかもしれません。 2012年 05月 24日
近鉄から分離され旧い社名に戻った伊賀鉄道。
その要となるのが、伊賀市にある上野市駅で、上野の旧市街地の北側にあります。 ![]() 一見洋風で小洒落た・・・といいたいのですが、実際に目にすると、なんだかヌボーとしたというか大味な感じが否めないように思います。屋根の縁が妻板とツライチに近いのが原因でしょうか。現在の水色とピンクという塗装も、それに拍車をかけているのでしょう。 1922年築の木造モルタル建築らしいのですが、一度戦前の写真を見てみたいなあ・・と思います。 北海道の酪農畜舎、あるいは戦前の看板建築などで見かけるギャンブレル屋根(にしては、上が尖りすぎ)ですが、それが十字にクロスしているのは、独特ですね。 現在は伊賀鉄道の本社としても機能を果たしているようです。 ・2010年4月 撮影 2012年 05月 20日
鹿児島県内に路線をもつ、もう一つの民営グループ。
それが南国交通です。南国殖産系列の事業者で、市内から県北部にかけて路線網を持っています。 鹿児島市内で使われる車両は、大型車が大半を占め、また郊外の団地路線などと坂道の多い環境にあわせて、軸距5.2~5.3m級の高出力車を採用しています。 ![]() ![]() 画像はキュービックボディーの車両。同社のいすゞ車はP-以降、KC-の途中までアイケー・IBUSの車体を架装したものを導入していたため、キュービックはメジャーな存在です。エアサス、前中ワイドドア、窓はメトロ窓で室内にはハイバックシートと高級志向ですが、鹿児島ではこれが標準的仕様でした。 U-からKC-になって、窓の構造が変わり、KC-ではスッキリとした窓配置となっています。 ![]() ![]() 一方、移籍車の導入はここでも例外ではなく、関東地方からこのような車両が導入されています。 上がもと国際興業、下がもと東急バスで、いずれもリーフサス・短尺の車両。 2段窓であり、特にサッシが銀色の国際興業車は、自社発注車とは異なる印象となります。 ただ、前出の仕様差ということもあるのか、南国では移籍車の存在は目立たない程度に留められていると感じます。実際、いろいろ撮影しましたが、移籍車をみたのは僅かに4台だけ・・でした。 2012年 05月 18日
大分のバスというのは、一見地味なように見えますが、各社とも通常のものが少なくて、通常ではないものが各種揃っているという、なかなか玄人好みのラインナップであると思います。最近は、メーカーの販売車種減少で、だいぶ普通の車両が増えてきた感がありますが。
![]() 九州では58MCを架装した大型車というのは、ありふれた存在ですが、大分交通は、そもそも大型バスの数が非常に少なく、ことU-以降の自社発注車に至っては4台しかありません。そのうち西工58MC架装車は2台あり、うち1台がこの日野HTになります。 T字窓にワイドドアといういでたちで、そのまま郊外への路線を走らせたくなる感じ。ただ、基本は大分市内用らしく、それも休日はあまり動いていないようです。この車両もなかなか捕まえにくく・・・。しかも他に日野U-HT+富士7Eという、これまたマニアックな車両を保有しており、あわせてマニア泣かせの1台だと思います。 なお、側面の行き先表示は、中扉直前の窓下に設置された幕を使っていましたが、LED化に伴い中扉直後の窓に移動しました。旧方向幕は「大分交通」の固定表示に。こういう対応は、同じ大分市内を走る大分バスでも見られ、ある意味地域性を感じるところです。 ![]() いっぽうこちらは、日デの中型車。もともとは国東半島にある大分空港と別府を結ぶ路線に投入されましたが、車両置き換えで一般路線用に転用されました。したがって車内は良さそうな座席が並び、サスペンションもエアサスとなっています。 しかし、外見はトップドアで1枚窓ということもあり、路線バスというより自家用などにありそうなイメージ。 そして、サブエンジンクーラーを採用したため、屋上はすっきりとのっぺりしていて、なかなか強烈な印象を残す車両となっています。 大分駅と国東を結ぶ系統などで使われているようです。 2012年 05月 13日
豊橋鉄道というと、今は鉄道線の渥美線と軌道線の東田本線を運行していますが、かつてはこれに加え、JR飯田線の本長篠から分岐する田口線を運行していました。もとは、現・飯田線豊橋側を保有していた豊川鉄道の傍系会社であった田口鉄道を、1956年に吸収合併したもの。とはいえ、豊橋電気軌道あらため豊橋交通が、豊橋鉄道に再改名の上、親会社の名鉄から渥美線を譲り受けたのは1954年。また、豊川鉄道(およびその子会社の鳳来寺鉄道)は鉄道を戦時強制買収されたあと名鉄に吸収合併されており、つまりは、名鉄系列の豊橋地区の企業再編ということのようです。
さて、渥美線と田口線は同じ鉄道線でしたが、暫くの間、両線の間で車両の交流等はありませんでした。 しかし1965年から廃線の1968年にかけて、電機1両と鋼製車3両が転属します。この鋼製車が渥美線の車両に後々影響を与えることになります。 ![]() その車両が、このモ1710形1711~1713。1929年日本車両製です。 うち、モ1711と1712は、製造時から田口鉄道籍のモハ101・102→モハ36・37→モ36・37、1713は豊川鉄道籍のモハ31→国鉄モハ1610を1956年に購入し、モハ38→モ38としたものとなります。 田口鉄道は、もともと豊川鉄道と完全一体の運行をしていた関係で、同社線買収後そのまま運行管理を国鉄に依託します。この結果、飯田線に転入してきた国鉄車と併結運用するために、1952年に機器を国鉄型に変更しています。なお、もともと、豊川鉄道系3社の電動車は英国E.E系=東洋電機系の機器を搭載していました。同社の買収機であるED28形電気機関車が、そのものずばりEE製である点に現れていますね。 一方、渥美線は架線電圧が600Vということもあり、昭和30年代には、電動車とガソリンカー改造の制御車が、直接制御のまま固定編成になっていました。間接制御の車両もボチボチ入るものの、相互の連結はありませんでした。そこに転属してきたこの3両、これが引き金となったのか旧型国電の機器を流用するケースが次第に増えていきました。渥美線600V時代の電車が晩年、なんでも混結できるようになったのは、このあたりが一つのきっかけだったと考えられます。余談ですが、冷房車のモ1900等は東急3700出自の日立MMC系制御器を搭載していました。つまりはCS系とMMC系の混結が行われていたことになるようです。 車体は、続に川造形と呼ばれるタイプ。原形は一段窓でした。乗務員扉は、先の機器類の国鉄型変更時に改造されたものとのこと。 なお、撮影時は、既に運用が終了して留置中の状態です。さよなら運転に際し田口鉄道時代の焦茶色に塗り替え車体の番号表記も昔の36に変えてありました。 2012年 05月 09日
移籍車は関東勢が多数を占めるいわさきグループですが、
関西勢もボツボツと入ってきています。 ![]() 画像は、三州自動車に登場した、もと神戸市交通局の新エアロスター。 同市営らしいターボ付きですし、座席も関東勢に比べれば背ずりの高いものを 取り付けていますので、ある程度距離が長く起伏のある路線には向いているかと思います。 宮崎ナンバーなので、都城(本社)の所属の模様。 都城~志布志もしくは都城~鹿屋で使われているようです。 2012年 05月 06日
いわさきグループというと、2000年代に入り、それまでの一括新車購入から移籍車導入に変りました。その結果、首都圏から実に様々な車両が入るようになっています。
さて、いわさきグループで一般路線を運行する事業者は4社が存在しますが、今回取り上げるのは、大隈半島の路線を運行する三州自動車。2001年に(旧)鹿児島交通等がいわさきコーポレーションに統合された後、2004年にバス事業の再分割を行った際に同地区の運行事業者は、大隈交通ネットワークと三州自動車になります。その後、2008年に三州の路線は、大隈交通に統合されるものの、昨年末に三州自動車に再譲渡されるというややこしい展開になっています。 ![]() ![]() まずは、比較的オーソドックスなこの車両から。 もと西武バスのRMは、鹿児島交通、いわさきバスネットワーク共に比較的多く移籍しているようです。 三州自動車で見たのは、一般的な軸距4.28mのRM211GSNと、短尺のRM211ESNの軸距を3.77mに詰めたタイプの2種類です。 ![]() 一方、こちらはもと東武鉄道のLR。 23区内で使われていた前中ワイドドアの車両です。 数が多かった前後折戸の車両も在籍しているとのことですが、今回見かけたのはこちらだけ。 ![]() そしていちばん驚いたのが、この車両が移籍していたこと。 もと西東京バスのU-JPで、JPながら2段窓を採用したのが特徴です。 グループ全体では、鹿児島交通に、もと京王のU-JPとKC-JPが大量に在籍しているのですが、三州では数少ない上、もと西東京車はこれが唯一の模様。 それにしても、今更U-JPが移籍してくるとは・・・時期的なものも考えると、氷川に残存していた車両かもしれません。 ![]() 個人的にいちばん見たかったのは、これ。 もと関東バスのKC-RPです。もともと10台の勢力でしたが、8台が全国に移籍したことになります。3台移籍したとの情報でしたが、今回見たのは、この1台のみ。 いずれの車両も外装・内装共に大きく手を加えられることなく使用されています。また、方向幕は前面・後面のみ使用し、側面は取り外されているか、あっても「三州自動車」に表示は固定されています。 それにしても、三州自動車の運用範囲は広く(たとえば垂水~志布志など片道1時間40分掛かる)、一度車両を逃してしまうと、押さえるのは大変なようです。 2012年 05月 05日
大分駅前を起点に大分市内から別府の海岸部を通り亀川との間を結んでいた別大線。
日本の路面電車では珍しく、間接制御の電車を使用して連結運転が常時行われていたことが特筆されます。 廃線は1972年4月、赤字と国道の拡幅を理由としたものでした。 廃線後、沿線に3両の電車が保存されましたが、これは、いずれも戦後に製造された500形でした。 別大線は、1954年に日立製作所で、ノーシル・ノーヘッダー、スタンディウィンドウの300形を登場させますが、これを基に扉配置を前後扉から前中扉に変更したのが500形で1956、1958、1959年に合計7両が東洋電機・東洋工機で製造されています。なお、後継は連節車の1000と、2両永久固定式の連結車である1100となっています。 これら保存車を見に行ったのは、1995年の夏のこと。日豊本線を北から順に尋ねていったのですが、亀川の保存車は、すでに解体されており、残っていたのは西大分と大分の2両となっていました。 西大分駅前に保存されていたのはトップナンバーの501。 しかし、状態は、あまりよくありませんでした。 ![]() ![]() 前面は、窓下にも窓上にもライトがありますが、ヘッドライトは窓下のほう。これは外付け式であったのが特徴です。一方、窓上にあるのは、続行標識用(黄色)で、連結運転を常時行う当線らしい仕様だと思います。また、方向幕とともに種別幕(前面向かって右側の窓上)が設けられていますが、「普通」以外表示されることはあったのかどうか・・・。 ![]() ちなみに主電動機は50馬力(38kw 端子電圧500V)×2だったので日本の路面電車としては標準的といえましょう。 この501は、2004年に解体されたそうです。 一方、大分駅に程近い若草公園には1959年製造の506が保存されていました。 ![]() こちらも501とたいして変らないような状態で、外付け式のヘッドライトはなく、また方向幕等も埋められています。また、側面には広島電鉄の550や2000などと同様に電照式の広告があったのが特徴なのですが、これも埋められており、出っ張りがあるので解る程度となっています。 ![]() この506は、1996年に、市内東部にある佐野植物公園に移転して再整備されました。 窓の構造が変わるなど原形は失われましたが、比較的状態は良いようです。 ただ、公共交通でアプローチできない場所ゆえ、筆者は未見です。 ![]()
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