今月の表紙の車両、伊予鉄道モハ303、そして編成を組んでいたサハ502が
本日のお題。
・伊予鉄道 モハ303 2003年8月 古町
この車両については、例によってあちこちで書かれていますが・・・。
伊予鉄モハ300形は、もとは1950年の郡中線電化にあわせて製造された14m車で、
当時、私鉄へ強力にセールスを行っていた日立製作所で製造されました。
片側2扉・丸妻という点から、ウィンウドシル・ウィンドウヘッダーの有無という差はありますが、十和田観光電鉄モハ2400形あたりに似た車両だったのでしょう。
1961年には、車体を19mに延長し、片側3扉の大型車になります。このあたりは、横河原線用に改造ボギー客車を生み出していた伊予鉄にとっては、朝飯前のことだったのかもしれません。
性能面では釣り合い張り台車に釣り掛け駆動、自動ブレーキ、三菱ABF制御器を積んだ平凡な釣り掛け電車でしたが、1977年に303と304は機器類の総取替えが行われました。機器類は伊予鉄の標準?である三菱製のものが新調され、主電動機はMB3054-D2(75kw・端子電圧375V)でWNドライブ、ブレーキは全電気指令式(MBS)、制御器は電動カム軸式のABFM-104-75MDAとなりました。更に台車は枕ばねがダイレクトマウント式エアサスのペデスタル式台車の住友FS397となり、シル・ヘッダーつきの外観とアンバランスな内容になりました。
いったい何ゆえこんな改造を行ったのかは不明です。ただ、その後1979年に長野電鉄モハ1102を購入し、モハ603に改造するのに際して、制御器は、この車両と共通のものが採用されています。
その後、伊予鉄道は昭和60年代になると京王帝都電鉄から大量の車両を導入し、形式統一と車両の冷房化を進めます。大改造を行ってきたこの車両ですが、さすがに冷房改造は行われず徐々に運用からはずされ。2000年代になると、ほとんど古町の車庫から動かなかったそうです。そして、2008年に解体されました。
一時期、このような高性能化改造は他の私鉄でも行われたことがありますが、コストと車両寿命の天秤を掛けるうちに過去のものになっていったように思います。まあ、近年の電子化された機器は基板などの寿命が原因で、別の意味で機器の総取替えを行うようになっていますが・・・・。
・伊予鉄道 サハ502 2003年8月 古町
一方、そのモハ303と304の中間に挟まっていたのがサハ502。もとは鉄道院の木造電車・デハ6310形で1915年汽車製造製。のち池上電気鉄道に払い下げられてデハ26~29になります。更に同社が目黒蒲田電鉄に吸収されデハ36~39になった後、1936年に鋼体化され東京横浜電鉄サハ1~4(のちの東京急行電鉄サハ3351~3354)になりました。1965年には全4両が上田丸子電鉄に譲渡(車籍は継承せず)されたものの、同社でサハ61/62として竣工したのはサハ3351・3352の2両のみ。残り2両は西武所沢工場で更新の上で1971年に伊予鉄道に入線しました(時期的にはやはり上田丸子から購入し、西武所沢で整備された銚子電鉄デハ501と同じ)。所沢で新製扱いのため、旧番は不明。ノーシル・ノーヘッダーなのは所沢での改造の結果でしょう。妻面は平妻です。
この車両もモハ303・304と同様の改造を受け、台車もやはり住友製のFS097となりました。
鉄道院時代からの台枠にダイレクトマウントの台車という、なんとも強烈な組み合わせと成りましたが、そもそもどうやって取り付けたのか気になっていました。そこで撮影したのがこの写真です。
やぱり、木造車の台枠は外板より一段内側にありますから、苦労の跡がしのばれます。