関東鉄道の移籍車のうち、初期のK-のモノコック車は、もと京阪のRCや神奈中のブルドックが知られている一方、川崎鶴見臨港バスから移籍したCJMは比較的影の薄い存在だったと思います。しかし、うち1台が、子会社の日本観光→関鉄観光バスに移籍し、それゆえか、比較的遅くまで残っていました。マニアのカメラにも収まっているほうではないかと思います。
・関鉄観光バス いすゞK-CJM500 +川重 2001年5月 茨城県土浦市
P-の時代には軸距4.6~4.8m級を導入する臨港バスも、この頃は未だ、軸距5.0~5.1m級を導入していました。従いまして、この車両も軸距5.0m級。川重製の車体は、戸袋窓の天地寸法が低い、初期タイプです。
前面は大型方向幕ですが、向かって左脇を覆って、関鉄での幅に合わせてあります。
日本観光の車庫は、土浦市街の桜川を渡った南側の道路端にありました。
移籍した当初は、いつも頭から車庫に突っ込んでいたのを思い出しますが、
関鉄観光になってからしばらくして、留め方が逆になり撮影できました。
その後ほどなくして、関鉄本体の土浦営業所に車両を置くようになり、ここはなくなりました。