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日立電鉄 モハ1301
日立電鉄の旧型車が営団2000に置き変わる寸前。残っていた車両の中で、とりわけ異色の存在だったのが、モハ1301でした。
もと宇部鉄道の車両で、僚車4両の中で、これだけが10年以上生き延びていました。
画像は、1989年に日立電鉄を訪れた際に、常北太田の側線の端に置かれていたもの。かなり無理して撮影しています。
いまなら、駅の外を一周して他のアングルから撮るのでしょうけど、この頃はフィルムの枚数等もあり・・・そしてはじめてのローカル私鉄遠征ということもあったのでしょう・・・これ1枚しか撮影していませんでした。
日立電鉄 モハ1301_e0030537_00564120.jpg
・日立電鉄 モハ1301 1989年4月 常北太田

日立電鉄独特の更新改造を受けているものの、四角四面の鉄の箱という感じがする車両。
そして、見れば見るほど独特の窓配置であることがわかります。今回はその点について、少々記したいと思います、

まず、この車両の車歴について。
1929年、小倉にあった東洋車輛で4両が宇部鉄道モハ21~24として製造され、1943年5月1日の国家買収後も車番は変わなかったものの、1945年に宇部の空襲によりモハ23を焼失。残った車両は可部線さらに富山港線と転出して1953年の一斉改番で、漸くモハ1300~1302と国鉄として正式な車番を振られたのち、1956~1958年に廃車。うちモハ1301・1302の2両が同じ宇部鉄道出自のクハ5300・5301と共に日立電鉄に譲渡され改番せずに使用された・・・ということになります。
詳細は拙サイトをご覧いただければ、と思います。

宇部鉄道の電車は空襲で電車区が焼けたことも関係するのか、私鉄時代の写真が殆ど残っていません。
しかし、1939年に牧野俊介氏が撮影されたモハ24の写真が鉄道ファン240号(1981年4月)の「宇部線を走った社形国電」に掲載されています。
その頃の窓配置はパンタがある側から、1D1D12D1。この車両を形容する際に「合造車を思わせる窓配置」という言葉が使われますが、もとはまさしく荷物室が存在していたようです。なお、窓は1段式、ヘッドライトは路面電車の如く、窓下に取り付けられていました。

この次は、戦後、1950年代に可部線または富山港線で撮影された写真となります。
ネコパブリッシング刊の「私鉄買収国電」に全車の写真が掲載されていますが、これらを見ると、パンタグラフ側のエンドよりの(荷物)扉は幅が狭められて乗務員扉になっています。逆エンド側は1300は原型のままですが、1301と1302は、扉が窓半枚分、車両中心側にずれ、運転席側には乗務員扉が設けられていたようです。これは鉄道ピクトリアル626号(1996年9月)のP28に掲載されている、1957年に沢柳健一氏が撮影されたモハ1302の写真から判断した結果です。
つまりモハ1300は(パンタ側から)1d1D12D1、モハ1301・1302は1d1D11D1(逆サイドは1dD11D1d1)となります。これらの改造は1951年に幡生工場で施工された模様。なお、富山港線所属時に1300・1301は非パンタ側の運転台を撤去・片運転台化され妻面の窓は埋められていたとあります。

そして、日立電鉄に2両が譲渡されるのですが、その時期はずれており、先にモハ1301が1957年に譲渡されます。国鉄時代の最終形態のまま2扉で使用されました。ただし、この時点で非パンタ側の乗務員扉は埋められて通常の窓(従って窓配置は非パンタ側から2D11D1d1)に変化しています。
一方、1959年に譲渡されたモハ1302は入線時に日車支店で3扉・2段窓にに改造されています。このときに、パンタグラ側の客用扉と、その直前の窓の位置を入れ替え、連結面寄りの窓を他の客用窓と同じサイズに拡張した結果、窓配置は1d5D5D1に変化します。
モハ1301も1963年2月に3扉化。こちらはパンタグラフ側の窓配置を弄らなかったので、(パンタ側から)1d1D4D5D1になりました。また増設した扉の開く方向が2両でアベコベになっています。

この後、ベンチレータをグローブ式に交換・・買収国電なので国鉄時代の施工と思われがちですが、日立電鉄に譲渡後に行われています。さらに1969年?にはモハ1301に対して車体更新工事を実施。この頃の日立電鉄の更新車におなじみのメニューが実施され、前面窓や戸袋窓など各所をHゴム化、他の窓は2段窓化、更にウィンドウシルを撤去しています。連結面寄りの窓はHゴム支持の窓1枚に変更されました。一点よくわからないのが、モハ1301の連結面の窓が開けなおされたのがいつだったのかという点。

モハ1301+クハ5301、クハ5300+モハ1302の固定編成で使用されていたものの、1979年、相鉄からモハ1007~1009などを譲り受けた際に、モハ1302およびクハ5300が廃車。その後、1985年にクハ5301が廃車になり、編成相手を失ったモハ1301は両運転台に復し、昼間のワンマン運転用に改造されます。
このときに、結構な改造が行われていることがわかります。パンタグラフ側の扉と窓をモハ1302の如く入れ替え、また助手側の乗務員扉を埋めています。非パンタ側の新設運転台部分も窓2枚若しくは窓と乗務員扉になりました。結果、窓配置は上記写真のように、1dD5D5D1.1となりました。
パンタ側の従来からある運転台は中央から左に移動しています。テールライトはガイコツ型から埋め込み型になりました。

下回りもいろいろ変遷を受けているようですが、詳細は不肖。
RMライブラリ64「日立電鉄の75年」には制御器がRPC101(国鉄CS-1)とあるものの、原型はHL。富山港線時代の制御器とも異なり、これへの変更は果たしていつなのか・・・

廃車は1991年のことです。


by hiro_hrkz | 2016-05-11 00:51 | 鉄道(旧形電車) | Comments(0)