いまではアルピコ交通の一部となった川中島バスですが、1983年の倒産・松本電鉄グループ入りするまでは、北信の独立資本系の事業者・川中島自動車でした。その頃のバスは、緑色主体の塗装で、1973年からは灰色地に緑、屋根は赤茶色となっていました。10年近く前に山陽電鉄から移籍したCQAに施したリバイバル塗装をご覧になった方も多いかと思います。
・川中島バス 日野K-RL321 +日野車体 1993年5月 長野駅
・川中島バス 日野K-RJ172AA +日野車体 1997年2月 長野バスターミナル
川中島バスが松本電鉄グループ入りして経営再建すると、車両の多くが入れ替わりました。
銀に緑の新塗装のちにはアルピコカラーをまとった車両に置き換えられ、また在来車の一部はアルピコカラーに塗り替えられてゆきます。この結果、旧塗装の大型車の多くは1992年あたりまでに消えたようです。
一方で、川バスは比較的早くから中型車を導入していました。
こちらは移籍車市場に放出される中型が少なかったからか、あるいは狭隘路線の都合上なのか1998年の長野五輪の頃まで残っており、銀に緑の新塗装が消えたあとも見ることができました。
今ほど真剣にバスを撮影していない時期の為、アングルはご容赦を。
上はモノコックボディのK-RL、
前面の方向幕が分割されていますが、小さい方には元々何が表示されていたのでしょうか?
背景は、まだ善光寺風の旧駅舎の時代ですが、このアングルだとわかりませんね。
下はスケルトン初期のK-RJ。
非冷房ながら方向幕は大型のため、それだけが盛大に屋上に向かって張り出すことになります。
その上に、更にマーカーランプを取り付け、運転席上には通風口の覆いが取り付けられています。
果たしてこの部分、どんな構造になっていたのか、今更ながら気になるところです。