広島交通 日デP-UA33N・U-UA440NAN +富士7E
広島バスは、かつては日デとふそうの車両を導入し、その車体は
西工でほぼ統一されていました。
しかし、昭和58年排ガス規制(P-)の途中から一時期的に日デのみを採用するようになります。
そして車体も、1989~1995年にかけて、富士重工7Eを架装した車両を導入しました。
まず、P-UA33Nを1988年度製10台(広島22く3135~3141、3186~3188 社番624~633)、1989年度製13台(3244~3248、3250、3317~3323 車番634~639、647~653)の合計23台導入します。
その後は排ガス規制が平成元年規制に変り、U-UA440NANを1990年12月製7台(広島22く3411~3417 社番654~660)、、1992年3月製7台(広島22く3655~3661 車番670~676)の合計14台導入します。
・広島交通 日デP-UA33N +富士7E 2011年5月 八丁堀(広島市中区)
・広島交通 日デU-UA440NAN +富士7E 2011年5月 広島バスセンター
両車の間に特に大きな外観上の差はありません。
軸距5.55mのエアサスの標準床車で前中引戸・メトロ窓装備。
そして、エアコンはこの時期では珍しくなっていたサブエンジン方式です。
これらは当時の広島交通の標準仕様でしたが、結果的に富士7Eの架装車として非常に特色あるものになりました。
特に冷房方式は、乗合用としては他には琉球バスと八丈町を思い出す程度です。
車内にずらりと並んだ2人がけハイバックシートは、郊外の団地と広島都心部をかっ飛ばしていた輸送形態に適したものですね。
続く2年は再び西工のみに戻りましたが、その後1994年12月製5台(広島22く3970~3974 社番702~706)、1995年6月製6台(広島22く4058~4063 社番710~715)の11台を導入しています。
・広島交通 日デU-UA440NAN +富士7E 2015年8月 広島バスセンター
・広島交通 日デU-UA440NAN +富士7E 2011年5月 広島バスセンター
ここで仕様が大きく変更され、中扉は4枚折戸。
冷房も直結式となり、少しづつ特徴が薄れてゆくようになります。
続いて・・・と言いたいところですが、平成6年排ガス規制になって、ふそうが復活。一方、富士の架装はなくなり合計48台で終わりました。
なにゆえ、この時期だけ富士重工架装の車両を導入したのかわかりません。富士の売り込みだったのか、西工の生産能力の都合だったのか(同時期に広交が導入したのは富士重工48台に対し、西工27台)。その後、関東地方から大量の富士7E架装車が移籍してくるとは思いもしませんでした。