日本を代表する宗教都市である高野山。
橋本から南海電車で山を攻めて極楽橋へ、そこでケーブルカーに乗り換えて漸く高野山駅につきます。が、高野山の中心地は更に専用道経由のバスに10分ほど乗らなくてはなりません。奥の院となればもっと先です。
そんなわけで、標高800mの高野山中には、それなりの本数のバスが走っています。
運行するのは当然ながら南海グループで、1992年に本体より分離された南海りんかんバスが担当しています。
・南海りんかんバス 三菱ふそうP-MP218K +西工58MC
2001年12月 高野山駅(和歌山県伊都郡高野町)
・南海りんかんバス 三菱ふそうU-MP218K +西工58MC 2001年12月 高野山駅
・南海りんかんバス 三菱ふそうKC-MP617K +西工58MC 2001年12月 高野山駅
現在は日野も在籍しているようですが、2001年当時は大型・中型共にふそうしか見かけませんでした。
その中には何台か西工58MCを架装した車両がありました。
画像は上からP-MP、U-MP、KC-MPで排ガス規制で3世代が揃っていました。
軸距は当時の南海の大型車は5.3mが標準でしたが、ここでは急カーブ等の多い路線環境にあわせて4.8mを採用していたのが特徴。
扉配置が前後引戸で後扉の下半分にも窓付きがある点は全車共通ですが、塗装はU-が旧塗装、P-とKC-が現行塗装。
窓は、U-とP-は南海で当時標準のメトロ窓ですが、KC-はT字窓。
そして、サスペンションもU-とP-が板サスなのに対し、KC-はエアサス仕様でした。
総じて、KC-MPが南海全体で見ると異端のクルマと言えそうですね。