先日、同好の方にお会いし、いろいろ話す機会があった。
その中で、ひとつ、はっとさせられた言葉がある。
「ネットは事後の確認手段として使う。事前に情報を集めてしまうと、それを見ることに集中してしまい、他のことに気がつかなくなるから」
これまでにも、バス趣味は未だ発見の趣味であるということを何度か書いてきた。
しかし、一方で自分も、近年はネットにあふれる情報をチェックし、それを確認するという行動様式が増え、鉄道趣味と同じ「なぞる」趣味になっている。
不覚である。
さて、私は、これまで、4回ほど「とつくに」へ行っている。
うち3回(韓国、独墺四都市、台湾)はサイトで旅行記として纏めたが、中国大連篇はまとめようと思いながらも、いまひとつ、やる気が起きないまま、1年が経ってしまった。
その差を考えてみると、結局のところ事前に調べた量の差ではないかと思う。
韓国と独墺のときは、訪問先の情報は、漠然としたものや、特定の部分に関する知識はあった。が、細かいことはよく知らないで出かけた。結果は、見たものをひたすらメモし、それを帰国後に調べてより知識を深める・・という感じであった。
それは、たとえば韓国語の勉強だったり、ベルリンという都市に対する更なる興味の増加である。実は、「戦前のベルリンには、ロンドンやパリのように、方面別に頭端式ターミナル駅があって・・」や「京城電気300級」などを、具体的に知ったのは帰国後のことであった。
もちろん、ベルリン大聖堂を見忘れたことなど、帰国後に「しまった」と思った部分もたくさんあるのだが、それよりも、新しいものを見られた感動のほうが、大きかった。
これが台湾のときになると、事前にある程度調べたこともあって、韓国・独墺のときにくらべ「なぞる」旅という感覚が強かったし、実際に感度が鈍っていたと思う。
そして大連のときは、事前に調べまくったことで、「あれも見ないと、これも見ない・・・」という気持ちが強くなってしまった。勿論、旅順に観光ガイドの娘さんと行ったことなど、特筆する思い出も多いのだが、帰国後の思いは「あの本に載っていた、あの建物はどこにあったんだろう」、そんなことを考え出す始末。畢竟、自分が伝えずとも本を見れば済むという話になり、サイトで纏めようなどとは考えなくなってしまう。結局はブログでお茶を濁しただけで、感度はさらに鈍ってしまった。
某サラ金屋が「事前にチェック」というCMをやっている。確かに危険な場所などチェックしておかねばならない大切な情報もあるけど、必要以上にたくさんのことは調べないほうが、いいのかもしれない。