今思うと、こんなフリーランスもびっくりな電車を見られたのは、ある意味幸せだったのかもしれません。
日立電鉄は、もと小田原急行モハ1をかき集めて使用していましたが、その中で最も入線が遅かったのが、相鉄の荷電として使われていたモハ1007~1009の3両で、1978年のことでした。
早くから日立に入線していた他の車両の多くが、日立電鉄独特の窓拡大等の更新工事を受けたために原型が残っていなかったのに対し、こちらは逆にそれが残っていたのは、少々不思議な感のある話です。
・日立電鉄 モハ1007 1989年4月 鮎川
日立入線にあたり、戸袋に窓をあけ、車内に座席を取り付けて旅客車に復元しています。中央の扉は、片側は締め切りにしたため、そこにも座席がありました。
しかし、片側4箇所しか窓が開かないということは、夏は相当暑かったのではないかと思うのです。かといって、中央のドアとその戸袋を開閉窓にするのも難しそうですしね・・・。
※2014.6.26 画像を交換しました。