先日、書店の販売冊数ベスト10を見ていて、少々ショックだった。
うち4冊が、血液型による性格判断の本だったのである。
このような非科学的なことが未だ信仰されているのかと、先ずは考えた。
しかし、よくよく考えてみれば、他の本が売れていないから、こういうことになるのである。芥川賞・直木賞をとった作家の次回作が話題になったことは、この数年無かったと思う。鉄道に関して言えば、ブームというが、2刷、3刷まで行った本が、果たしていくつあるのやら・・ということである(ブームなんてないのですよ。本当は)。
テレビがつまらなくなったとは、最近よく耳にする。デジタルでおさらば・・という人も何人か知っている。そしてCDが売れない・・・でもこれは、90年代の狂乱の時代にCDを買うことだけが歌を聴く唯一の方法になり、それが収まったら、余程のことが無ければ世間に広まらなくなったということでもある。
勿論、既存メディアがだらしなくても、新しいメディアが頑張ればそれでいいと思う。しかし、インターネットというものは代替しえない・・ということを、誰もが感じはじめているのではないか。個別メディアである以上、細分化が進んでおり、大衆的なムーブメントが起き難いのである。なにせ、100万アクセスあったって、計算上はTVの視聴率1%なのだから。
細分化にはユーザー個々が情報の発信源となりn対nのコミュニケーションが・・という理想が語られていた。でも、みんながみんな情報を発信できるというのも妄想に過ぎなかった。情報を発信するためのハードルは確かに下がった。では、発信するコンテンツはあるのか?といわれれば、おそらく多くの人はテーマもストックも持っていない。それでは長く続かないだろう・・・夏休みの日記ほか、小学校の作文が苦痛以外の何者でもなかった私は、そう思うのである(事実、私も某SNSの日記は半放置である)。
さらに、人が読むことが前提で書ける人、あるいは人が読んで楽しいもの・・となれば、なおのこと狭き門になる。ようするに、情報発信の手段が大衆的になったとて、コンテンツのハードルが下がることは無く、むしろより早く、より詳細に、より過激に・・と、エスカレーションする要求を前に上がっているとすら感じるのである。
そんな状況では、モチベーションが喪失が発生してもなんら不思議ではない。だから、個人メディアというのは、商売でもない限り、続くのは稀なのかもしれない。
嗜好の細分化→大衆文化の崩壊と個別文化の伸び悩みというのが、いま起きていることだと解釈する。
自分も、なぜ書いているのか、ときどき解らなくなる。
一番大きかったのは2006年12月の大ブレーキであるが、以降も何度か疑問に陥る。
その度に、情報を発信することの大変さを思う(ようするに面倒臭くなる)のである。
このブログが長期不更新になったら、そんな状態になったとでも思ってやってください。