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カテゴリ:鉄道施設( 49 )
熊本電気鉄道 藤崎宮前駅旧駅舎
熊本市街からその北郊へ向けて走る、九州では数少ないローカル電鉄である熊本電鉄。
そのターミナル、藤崎宮前駅は市街地の北側に位置し、その名の通り、熊本の街の総鎮守である藤崎八幡宮の至近に存在します。20年前に、ビルに建て替えられましたが、それまではこんな木造平屋建ての駅舎が建っていました。
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駅の上半分を覆うような看板が嫌でも目に入ってきます。
清酒の広告があるのは、いかにもローカル電鉄といった趣き。
また駅名よりも行き先を大きく書いてあるのもターミナルらしい風景です。最も、この時点で御代志から先は廃線になっており、菊池温泉「方面」には違いありませんが、誇大広告の感も否めないところです。
まあ、現在でも菊池電車(菊電)のほうが通じるほどなので、これでもよかったのでしょう。
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菊池電車の起点は、もともとは上熊本で、併用軌道で熊本城の北側を通り、藤崎宮前でスイッチバックして菊池方面へ向かっていました。第2次大戦中に、現在の上熊本~池田~北熊本の路線の建設がはじめられ、戦後の1950年に開業。藤崎宮前駅は1951年に移転し上熊本方面の軌道線と切り離されています(軌道線は1954年に水害で廃線・熊本市に譲渡)。
つまり、この駅舎はそれ以降の建築となります。

駅舎内部の待合室は、それなりに広かったように記憶しています。菊池電車の営業窓口は、ここに集約されいましたが、昭和40年代の写真を見ると銀行の出張所も併設されていた模様。
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ホームは相対式2面2線で、菊池側には側線もあったようですが、撮影した1990年代には棒線化されていました。なんとも侘しい雰囲気ではありました。

御周知のとおり、このターミナルの立地が不利であるゆえに、市街中心まで行くバスのほうが利便性に勝り、やがて電車は御代志から先を廃止するに至りました。その後も、市電への直通を画策したことは記憶に新しところです。
しかし、実際には熊本中心市街の上通に直結しており、本来、それほど悪いところではない・・たとえば、新潟交通電車線の白山前や、北陸鉄道石川線の野町ほどの僻地感はありません。

ただ、熊本の中心市街は開発余地の関係(武家屋敷~軍用地の転用)からか、通町筋電停より北の上通~藤崎宮前側よりも、南側の下通~新市街側のほうが栄え、さらには交通センターが完成したことで、取り残されてしまったように思います。
歴史にifは禁句ですが、何かしらのベクトルが異なれば、もともとは同じような立地であった、伊予鉄の松山市駅あるいはコトデンの瓦町駅のように、中心市街をこちらのほうへ持ってくることができたのかもなあ・・と、感じるところです。

・1、3枚目 1993年8月 撮影
・2枚目 1995年8月 撮影

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by hiro_hrkz | 2017-01-20 01:46 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
旧 山形交通高畠線 高畠駅舎
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かつて、山形県内に三山、高畠、尾花沢の3っつの鉄道路線を保有していた山形交通。
22年前の大学生のときにその廃線跡を巡り、その時に撮影した写真は、過去に何度か(三山線間沢駅舎三山線モハ103尾花沢線DB152)取り上げています。
廃線から20~25年後の当時見た保存車や遺構は失われたものも多いのですが、現在も残っているもの一つが高畠線の旧高畠駅舎です。今回、22年ぶりに現地を訪ねたので記す次第です。
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e0030537_01303095.jpg戦時合併で山形交通が成立する前・・・まだ高畠鉄道だったときの1934年頃の建築で、この地で産出される高畠石を使った立派な駅舎であり、いまでも、地域の名建築として残っています。また構内に保存車があることから、この種の物件としては、比較的よく知られているほうではないかと思います。
表側(上の写真)の入り口、また旧ホーム側にも庇がありますが、これらは鉄道があった頃からのもの。
鉄道があった頃の写真と比べてみても、そう大きく変化してないようです。
扉や窓は上辺が緩く孤を描いており、木製の窓枠共々、なかなか凝った造りになっています。
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ここで、22年前・・・1994年8月に撮影した駅前面の写真を挙げます。
窓枠が傷んでいる点や、八木アンテナが屋上にあるといった点はありますが、現在と殆ど変わっていないことがわかります。
いちばん大きな差は、駅入り口左側にあった電話ボックスが撤去されたこと。石造り風ですが、これは廃止されてから雰囲気に合わせて作ったもので、鉄道があった頃は普通のガラス張りのものでした。

このときは、三山線を終えた時点で手持ちのフィルムが無くなってしまい、急遽12枚撮りを1本買って凌ぎました。当時、フジフィルムのISO400のカラーフィルムを主に使っていましたが、これはISO100。22年が経過して、ISO400よりISO100のほうが劣化が早く変色が進んでいました。少々見苦しい点はご容赦を。
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さて、この駅舎。鉄道が廃止になったあとは、バスの高畠待合所となりました。正面向かって右側の入り口にかかっている表札を見ると、今でも山形交通(・・・とはいっても、20年近く前にバスは分社されて山交バスに、不動産事業等が本社に残りヤマコーに社名変更しています)のもののようです。現在でもバスの待合室となっていますが、休日は全面運休ゆえか、この日は閉鎖されており中に入ることができませんでした。
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22年前は、平日だったので(・・・その頃は休日もバスがありましたが)中に入ることができました。ただし、旧ホーム側の扉が閉鎖されているのは同じ。外から覗いた限りでは、この頃に比べて整備されているようです。
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嬉しかったのは、22年前でもびっくりした、昔の運賃表がそのまま残っていたこと。
窓口は昔は鏡、いまはベニヤが立てかけられていますが・・・。
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 今回は現・高畠駅で自転車を借りて、この旧・高畠駅まで往復しました。22年前も交通の便は悪く、行きは「まほろばの緑道」となった廃線跡を歩き、帰りは旧・高畠駅から赤湯(駅ではなく国道沿いにあった山交のバスターミナル)までバスに乗りました。
 当時、ここを発着していたバスは、米沢~高畠待合所~赤湯と(高畠駅~)高畠待合所~観音岩の2系統。後者が高畠線の代替となりますが、高畠駅~高畠待合所の間は既に1日1往復となっていました。このあたりの有力な都邑は米沢であり赤湯なので、直接そちらに出ることができるバスのほうが便利だったのでしょう・・・とはいえ、当時でも平日で8.5往復+区間便1往復でした。現在は、米沢~高畠待合所に平日だけ3.5往復が残るのみです。
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 なお、高畠石を使った建築物は、この高畠駅舎だけではありません。高畠駅と同じ頃に建てられた隣の竹ノ森駅舎も、平屋の小規模なものながら石造りで、造りに共通点が見られました。
 高畠駅構内には、石造りの旧変電所の建物が残されています(上の写真)。窓は鉄板でふさがれていますが、かつては中が見られたようで、整流器などが残されたままだったとのこと。なお、高畠線の電化は1929年ですから、駅舎よりも古いものかもしれません。そして駅前にあるガレージも石造り。1928年に高畠鉄道はバス事業を開始しているので、それと関連があるのかもしれません。
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22年前の写真と見比べた際に感じたのは、周辺そして旧駅構内(まほろば公園)の緑が濃くなったこと、そして木々が成長したことでした。一方で、児童遊園が整備されているものの遊ぶ子供の姿などなく・・・最も地方の集落では外を歩く人に逢うことすら稀ですが・・・まちづくりの表彰のプレートだけが寂しくうつりました。

(上から)5,7,8枚目・・・1994年8月撮影。他は2016年8月撮影。

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by hiro_hrkz | 2016-08-26 01:30 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
えちぜん鉄道・福井鉄道 田原町駅
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今年3月27日、ついに、福井鉄道とえちぜん鉄道三国芦原線の直通運転が開始されました。
今月の地元新聞報道によれば、利用客が増えるなど上々の滑り出しのようで、今後の更なる発展が期待されるところです。かつて、えち鉄が京福で、福鉄が名鉄系だったころのことを思うと、時代は変わったのだなあ・・・と感じます。

さて、両線が路線を接しているのが田原町駅。
今回の直通運転では線路を接続するのみならず、駅全体が大きく改築されました。
まず、現在の配線図をご覧ください。
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従来、えち鉄と福鉄が背中合わせで1線づつある構造でしたが、今回の改築で南側に1面1線を増設しています。大昔は、福井鉄道側は2面2線だったようなので、復活といえるかもしれませんね。
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両者の共同使用駅というわけではなく、福鉄・えち鉄、それぞれ別に駅舎や待合室があり、駅員が配置されています。
高床ホームに面した側の低床ホームは、えちぜん鉄道の区分になり直通電車専用の模様。
ホームも線路も全て作り直しており、どの番線も直線になりました。
低床側はセンターポールとなっており、複線間隔が異様に広いですね。
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今回の改築で、福鉄側はポイント部分だけ併用軌道のようなコンクリ軌道となりました。つまり併用軌道→バラスト敷きの専用軌道→コンクリのポイント→バラスト敷きのホーム部分と変化することに。
そのソリッドなつくりから、ポイントそのものは輸入品なのかもしれません。
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従来、福井鉄道側は1線ながら電車は複数留置できるようになっていました。
これは改築後も引き継がれ、ホームの先は、えちぜん鉄道の西福井よりの踏切手前まで伸びています。
従って、いちばん上の写真のように両者の車両の並びが撮れることも。

さて、福鉄~えち鉄三芦線の直通運転。問題点としてあげられていたのが、定時運行の確保。
単線~併用軌道(一部単線・スイッチバックあり)~単線なので、どうしても一度遅れが出ると、その後の遅延がドミノ倒しになってしまうようです。私が訪ねた当日は、福井中心地でイベント開催・ヒゲ線運休で、10分近い遅れも発生していました。
福井鉄道側は交換駅変更が続出・・・これは交換可能な駅の多さに助けられている感がありました。
一方で、三芦線側は本線列車の10分前後に直通列車が入りタイトなようです。田原町駅が全て詰まってしまって、仁愛女子高前で10分以上停車をするハプニングも・・・。

そのほか、延長なった福井駅前へ行く電車が意外に少ないことも驚きましたが、今後、さらなる利便性の向上を期待したところです。
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・えちぜん鉄道の直通専用車「Ki-bo」L-01と、
 福井鉄道の3連節車「FUKURAM」第3編成 F1003 福井鉄道赤十字前にて。 
 あわせて「希望ふくらむ」ということらしい。
 印象が異なる両者だが、実は前面下部のパーツが異なるだけ。
 なお、この写真は先行の武生発普通がヒゲ線運休で赤十字前止まりとなったため後続の急行と並んだもの。おかげで2連節のKi-boは超満員に・・・

・いずれも2016年4月 撮影。

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by hiro_hrkz | 2016-05-21 23:21 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
近江鉄道 鳥居本駅
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歴史ある私鉄ゆえか、旧い駅舎(例1例2)の多かった近江鉄道。
だいぶ消えましたが、いまも健在なのがこちら。有名な物件ではありますが。
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米原と彦根の間にある鳥居本駅。
この区間の開業は、1931年で近江鉄道の中では新しいほうですが、
その開業時からあるのが、この木造の洋館風の駅舎です。
撮影は21年前ですが、改修が行われて間もないこともあり、美しい状態でした。
赤い屋根と窓がひときわ目を引きますね。
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近江鉄道は私鉄の中では比較的遅くまで(とはいえもう30年くらい前ですが)貨物輸送を行っていました。
鳥居本駅には石油の油槽所が存在し、専用のスイッチャーまでありました。
この頃には、もう面影はありませんでしたが、その代わりに一般の貨物ホームはそのまま残されていました。
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ここには、電気機関車と同じ空色に塗られた、ワフ1形がポツンと置かれていました。
多数が存在し、貨物廃止後も彦根などに放置されていたこの貨車。
ここの個体には荒れた雰囲気が無かったのは、この貨物ホームで市が開かれ、その店舗だったか物置だったかで使っていたから・・・と聞いたことがあります。

・いずれも1995年8月 撮影

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by hiro_hrkz | 2016-01-24 00:14 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
静岡鉄道静清線 入江岡駅
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東海道在来線で西へ西へとゆくと、清水駅を過ぎて巴川を渡ったあたりから草薙駅の手前まで、進行方向左側に静岡鉄道が並行し、あたかも複々線といった雰囲気になります。ここでは、いつもそちら側に注目するのですが、静鉄は昼間でも1時間に片道9本が走っている割に、並走もすれ違いも少ないように感じます。

この並走区間の一番東側にあるのが入江岡駅。静鉄の終点、新清水から数えて一つ目の駅であります。
このあたりは、掘割の中を路線が走っており、駅舎は線路を横断する陸橋に面してあります。

・・・・と書けば、名古屋の金山とは行かないまでも、せいせい東京の上野毛あたりを連想したくなるものです。
が、実際は
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こんな歩道も無い陸橋に面して、実にコンパクトな出入口があるだけ。
なかなかのインパクトですが、知らなければ通り過ぎてしまうくらいに、存在感がありません。
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陸橋の路面と出入口はツライチではなく、駅舎の方が一段低くなっています。
陸橋側も、その部分だけ柵を取り払っただけで、道路端の段差は特に処理されていません。
なお、駅の入り口には、取っ手部分のボタンを押すと開くタイプの自動ドアが取り付けられています。
駅前にスペースが無いので、飛び出しを防ぐ意味もあるのでしょう。
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そして、駅舎の内部・・・狭すぎて私のレンズでは中に入っての撮影は無理でした。
よくこのスペースに自動改札を2機も押し込めたものだと感心します。
自動改札の向こうは、すぐにホームに降りる階段がはじまっています。
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外側から見れば、こんな感じ。上の写真で券売機と窓口があったスペース・・つまり駅の事務室にあたるのが、丁度窓のある部分になると思いますが、果たして、どれだけの広さであるのやら。
そして、駅舎下のホーム上には、便所が設けられています(拡大したところ、現在は使用中止の模様)。
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コンパクトなのはホーム上も同じ。それでも、飲料水の自動販売機にベンチと必要なものは揃っています。
静鉄の全駅に共通することですが、地方都市の私鉄でありながら、ホームに転落防止策が整備されているのも特筆されるところですね。静鉄静清線といえば都市型ワンマン運転のパイオニア。変わらずにアップデートしているようです。
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なお、入江岡駅は、この夏から静鉄でもタイアップがはじまった、この有名キャラクターの作者さんのご実家の最寄駅ですね。
余談ですが、静鉄には1000形しか走ってませんが、特別外装もしくは広告車ばかりでノーマルな姿のほうが少ないとは知りませんでした。

・いずれも2015年8月 撮影
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by hiro_hrkz | 2015-08-29 02:00 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
ふたつの駅のその後
「北陸へ出かけましょう~」というCMに惹かれたわけではありませんが、
新幹線ができたので、北陸方面へ行ってみました。
その際に過去、拙ブログで取り上げた2つの駅に降りてみたので、過去の画像と比較してみたいと思います。

先ずは、福井鉄道の西山公園駅。4年前にとりあげた際にも最後で少しだけ触れていますが、福井鉄道では経営体が変わってから駅の改装を進め、この駅もリフォームの対象となりました。
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・・・なんということでしょう!!・・・というほどには変わっていませんが、もとの駅の形を残したまま、木材の張替や窓枠の更新が行われ、すっかり新しくなっています。待合室なども清潔で明るい雰囲気となりました。
そして、無人化以来デッドスペースとなっていた駅舎奥の部分は屋根のある自転車置き場となっています。このような大改装は家久駅でも行われており、よい匠に依頼できたのかもしれません。

全くの余談。何故、西山公園駅で降りたかというと、この近くに鯖江市のコミバスを運行する事業者が所在すると聞き、そこに目当ての予備車でも置かれてないかと思ったのですが・・・・完全な空振りでした。コミバスの予備は来てほしくないときに限って来るもので・・・・

今回、北陸新幹線の開業で、最も注目を集めているのが金沢。
私は、10年ぶりに北陸鉄道浅野川線に乗ることにしました。
この路線の終点、内灘駅に関しては25年前と18年前の画像を取り上げていますが、更に時間が経過して、こんな姿になりました。
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すっかり雰囲気は変わりました・・・が、よく見てみれば、窓や扉の位置、一階の屋根、
なにより建物の形状は全く変わっていません。こちらも、もとの建物のままリフォームしたということのようです。

地図はずっと位置が変わらなかったようですが、力尽き?広告が貼られています。
駅舎外に目を転じれば、ホームから直接外に出る階段が整備されています。車椅子用のスロープが合わせて設置されており、これもバリアフリー対応という時代の要請ですね。

駅舎の前面には屋根が設置されています。これはそのままバス乗り場まで続いています。
金沢といえば「弁当忘れても傘忘れるな」。電車とバスを傘をささずに乗り換えられるのは、ありがたいですね。

・いずれも2015年4月 撮影。

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by hiro_hrkz | 2015-05-13 01:15 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
津軽鉄道 金木駅
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 降るな 降るなよ 津軽の雪よ
 春が今年も 遅くなるよ

かの有名な千昌夫の「津軽平野」。
2番の歌詞には、津軽鉄道のストーブ列車も出てきます。これの全国的な知名度向上に一役かったことでしょう。
作詞・作曲が吉幾三なのは、これまたよく知られた話だとは思いますが、彼の出身地こそ、津軽鉄道のほぼ中央に位置する金木です。起点の五所川原以外では最大規模の集落ですが、駅そのものは、他の交換可能駅と比べて特段に大きいというわけでもなかったように思います。
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金木と言えば太宰治の生家があり、駅舎の改札上には「太宰のふるさと」、そして方言での歓迎の言葉が掲げられ、精一杯の観光対応がなされていました。
この部分、駅舎本体から突き出した庇の下に、さらに戸が取り付けられています。ようするに、外壁が二重構造になっていました。防寒対策だったのでしょう。
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駅舎内部はこのような感じ。
売店が併設されているのは、この路線の重要駅であることを表していますね。
冬季ということもあるのでしょうが、駅舎内は列車を待つ客がそれなりに多かったように記憶しています。
奥に掲げられた「ねぷた」の絵が、これまた当地らしい感じですね。
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玄関ポーチは駅舎正面がふさがれていて、脇から出る構造なのは、やはり防寒対策で、北国では比較的よくある構造ですね・・・これは、このあと、改造されて普通の構造になりましたが。
その横には駅食堂がありますが、改めて検証すると、その位置は上の売店のあたりになるはずで、どのような構造だったのか記憶にありません。なお、昭和50年代前半の写真を見ると、駅食堂の看板は無いので、それなりに新しいものだったのかもしれません。

食堂の奥の扉は便所。その近くにバス停が建っています。やってきた弘南バスは、三菱K-MK116H?。今なら、当然バスだけ撮影しているのですが、当時はこの1枚で終わりとしていました・・・午後に弘南鉄道に行く予定で、フィルムを節約したのでしょう。
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この駅舎も2003年に建て替えられました。

・5枚目のみ2002年6月 ほかは1994年2月 撮影

※2016.7.20 2002年6月撮影の画像を追加しました。
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by hiro_hrkz | 2015-02-20 01:15 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
豊橋鉄道渥美線 三河田原駅 1990年
いまから24年前。
豊橋鉄道渥美線の終点・三河田原には、こんな駅舎が建っていました。
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駅前が狭くこんなアングルですが、ローカル私鉄の駅としては大柄なほうだったと思います。
シンメトリーに見えますが、向かって左側は屋根があるだけで、自転車置き場が大半を占めていました。
少々わかり辛いですが、奥に電車(1900形)が留まっています。
オレンジ色のビニールの屋根の部分はバス乗り場なので、渥美半島のさらに先へと乗り継ぐ客を考慮した設計だったのかもしれません。
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駅構内は広く、駅舎直結のホームのほか、屋根のない1面2線と、さらに側線が1線ありました。渥美線は、貨物輸送が割合盛んだったので、その関係でもあるのでしょう。
ただ撮影時は既に貨物輸送は無く、昼間は使わない電車が1編成、留めてあるだけでした。

この写真を撮影した4年後に駅舎は建て替わり白壁ふうのものになりましたが、
その後、さらに駅周辺の整備と併せ、2013年には頭端式となり、駅構内も全く形が変わっています。

・いずれも1990年8月 撮影。
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by hiro_hrkz | 2014-10-23 00:10 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
地平時代の能勢電鉄 川西能勢口駅
能勢電の起点は、親会社の阪急宝塚線と接続する川西能勢口駅。
1996年3月に高架線になり、その後、宝塚線との直通が行われているのは周知のとおりです。

この川西能勢口駅の地平時代といえば、なんといっても駅構内にある急カーブが特徴でした。
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写真だと、そこまできつく感じないのですが、当時、駅のホームから見ていると、
ホームと直角方向に進んできた電車が、バスのごとく急に曲がって入線してくる感じでした。

そのカーブはR40(鉄道ダイヤ情報 1992年7月による)。
標準軌・中型車使用の各線と比較すると、首都圏切きっての急カーブだった京急空港線蒲田の高架化前がR80。本線と支線の連絡線上に急カーブの多い阪急の伊丹線塚口がR60ですから、極端な急カーブであることがわかります。
これと同じ程度の曲線となると、京阪京津線の上栄町附近にR40、箱根登山鉄道にR30と、小型車~路面電車を使う路線ばかりとなります。元々、能勢電は軌道線で全長15m以下の電車を使用していたので、その頃の名残ともいえます。

従って、1983年より阪急から譲り受けた19m級車は、連結面間を160mm延長して対処し、
最徐行で運転されていました。
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外側から見るとこのような感じ。
台車枠が車体から、はみ出ていました。
走っている車両は、もと阪急2000系の1700系1751。
上の2枚に写っている同じく1700系の1707とは全く異なる塗装ですが、この頃、能勢電は塗装で迷走?しており、様々な塗装が試されていました。このあと所謂「フルーツ牛乳」に落ち着くわけです。

高架化により曲線は緩和され、このような無理矢理な線形は見られなくなっています。

・いずれも1993年8月 撮影
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by hiro_hrkz | 2014-06-11 00:57 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(4)
富山地方鉄道本線 経田駅
古い駅舎が多い富山地鉄から、
本日はこの木造駅舎を。
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本線の経田(きょうでん)駅は、新魚津から宇奈月方面に一つ目。魚津市の北端にある港町のはずれにあります。
窓枠のアルミサッシ化など一応の手入れはされていますが、見るからに旧い木造瓦吹きの駅舎があります。
もとは、1940年に廃止になった石田港駅(もとは黒部鉄道が開業したもの)を移築したものと言われています。
参考サイト(外部リンク)
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ホーム側から見るとこんな感じで、直接道路に出られる臨時改札があるところは、いかにも昔の駅舎という感じ。
また、上のリンク先にある画像と比べると、どうやら駅正面から向かって左側の出っ張りは、あとから増築されたもののようですね。外壁に差は感じられないので、このあたりは後年、手を入れられているのかもしれません。
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中は、窓口や扉は板が打ち付けられているのは、無人化された駅にありがちな風景。
駅の近くに高校があるため、平日朝のみ駅員配置となっています。
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こんな駅舎があるものの、構内は1面1線と実にシンプルなもの。
架線柱などを見る限り、これも昔から変わっていないようですね。
石積みのホームに木造の上屋と、地鉄本線でよく見かける構成となっています。

・いずれも2013年4月 撮影。
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by hiro_hrkz | 2014-03-23 22:04 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)