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カテゴリ:路面電車・低床電車( 72 )
岡山電気軌道 7900形
岡山電気軌道の電車は、現在、超低床電車と3000形を除き広告車となっていますが、それ以外も登場時は、オリジナルの塗装をまとっていました。
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・岡山電気軌道 7901 1990年8月 清輝橋

このうち、もと東武日光軌道線の3000形の主要機器を流用して製造された7900形のトップナンバー、7901(1989年 アルナ工機製)は、クリームの濃淡に緑色の帯という外装でした。これは7601、7701の塗装をベースに帯の色などを若干変えたものですが、なぜここで赤から緑に変えたのかは不明。
 なお、7601、7701とは同じ車体に見えますが、前面運転席横の窓を見るとわかるように、前面の傾斜がよりきつくなっていること(7度→11度に変更)がわかります。
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・岡山電気軌道 8301 1994年9月 東山
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・岡山電気軌道 8501 1995年8月 岡山駅前

その後に登場した、8101、8201、8301、8501は、マルーンに金色の縁取りのレトロ調となりました。
この新しめの車体にこの塗装は、少々場違いな感もありますが、社章や車番の文字色もちゃんと金色になっており、それなりに気合いが入っていることが伺えます。

なお、冷房機はいずれも富士電機の直流駆動式ですが、8501のみ能力22000kcal/hに増強(ほかは20000kcal/h)されているため、その外観が異なっています。
また、3000の機器流用とは言うものの、台車は7401、7501、7601と同じく新造したもの(アルナNK-202)を履いており、制御器も西鉄北九州線600の日立DR-BC-447を取り付けて登場(もしくは後に交換)しています。
従って、東武時代のままなのは主電動機程度(東洋TDK532-B、端子電圧600V・定格出力45kw)となっています。他の形式が37.5kwの主電動機を登載しているため、若干出力が大きいことになりますね。

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by hiro_hrkz | 2017-07-09 23:40 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
鹿児島市交通局 2100形 2101・2102
鹿児島の市電は、1985年に伊敷・上町の両線を廃止したものの
その後の近代化は目覚ましく、路線のセンターポール化、車両の全車冷房化などを推進してゆきます。
そして、1989年に26年ぶりの新車として投入されたのが、2100形でした。
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・鹿児島市交通局 2102 1994年9月 二軒茶屋~南鹿児島駅前
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・鹿児島市交通局 2101 1994年9月 二軒茶屋

2両それぞれ独自の塗装をまとい、2101は「しろやま」、2102の「さくらじま」の愛称をつけて登場しました。そのメーカーは地元、JR九州の鹿児島車両所だったことが特筆されます。
そのスタイルは、前面は1枚窓、側面の窓は逆T字と、当時他の事業者で投入されていた路面電車と同じ「最新スタイル」ではあるのですが、一方で丸みが多い車体そのものは、昭和30年代の印象。どこか中途半端な車体更新車という感じもしてきます。お手本になるものが在来車しかなく、それに合わせて作ったためこうなった・・・というところなのでしょう。

車内は、ロングシート主体であるものの、乗務員室の後ろは2人掛けの転換クロスシートとなっていました。
が、中乗り前降りでは乗客の流動性が悪くなるだけで、結局1995年にロングシートになりました。

一方、電装品は東洋電機製。直流電動機を用いた間接自動制御で発電制動付というのは、鉄道線の電車なら普通の方式ですが、日本国内の路面電車では1960年代以前は直接制御や間接非自動制御に比べてレスポンスが遅いことで嫌われ、一方、1980年代以降ではVVVF制御が主流になったことから、少数派となっています。型式は、主電動機がTDK8567-A(定格出力60kw×2)、制御器がAMD-M260-119B・・・(M:600V、2:1C2M、60:60kwモーターの意)です。
台車は、住友製のFS-90で、国内でも広電や熊本市電で既に実績のあった軸箱支持にシェブロンゴム式を採用しています。
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・鹿児島市交通局 2102 2012年5月 高見馬場

このあと、鹿児島市電は続々と新車を投入していきますが、機器類は交流モーター+VVVF制御に、車体も窓配置が整理され洗練されたものになりました。
2100形は愛称もなくなり、緑とオレンジに白線の標準塗装になりましたが、ずんぐりとした感じが強調される結果になりました。ほかには冷房機が交換されているようですね。

2両だけの少数派ということもあるのか、なんとなく見かけることが少ないような気がします。
自分で撮った写真を探しましたが、結局この3枚だけでした。

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by hiro_hrkz | 2017-04-18 00:20 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
函館市電の「新塗装」
全国の路面電車の中には、一部の低床電車を除き全面広告車が多勢を占めるようになって
オリジナルの塗装が、殆ど見当たらなくなった事例が幾つかあります。
そうなると、広告が解除されたときに、どの色に戻せばいいのかわからなくなる・・・なんてことはないと思いますが、結果として消えてしまった組み合わせというのが出てきます。
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・函館市交通局 812 2014年4月 五稜郭公園前

函館市電800形は1962~1965年に新潟鉄工所で製造された車両。
都電7000形や8000形がモデルになってると思しき車体なのは一つ前の710形と同じ。
函館市電の主力車種でしたが、8000形への車体更新が進められ間もなく形式消滅となる見込みです。
この最後まで残った812は、現在、凡そ1980年代までの標準塗装であった緑とクリームのツートーンになっています。

しかし、800形には、こんな塗装になっていた時期もありました・
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・函館市交通局 806 1995年9月 十字街

緑色が基調なのは同じですが、こちらは白地にライトグリーンという随分明るい感じのもの。
(実際には、画像よりももっとくすんだ色調なのですが)。
これは、1985年に国鉄五稜郭工場で車体を新造した711号車で採用されたもの。
その後、在来車にも波及し、最古参の500形も一部は塗り替えられました。
710形・800形は頭数が多かったので、それなりに存在した・・・ということはなく、この頃既に全面広告車が大半を占めていたので、あまり存在しなかったようです。私も、見たのはこの一両のみ・・・。

711は廃車前にこの塗装に戻ったようで、また8000形は現在も、この塗装が標準のようです。

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by hiro_hrkz | 2017-01-07 02:29 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
南海電気鉄道和歌山軌道線 320型
南海系列の軌道線といえば、いまでも2系統が走る阪堺電気軌道が有名ですが、
1971年3月までは、和歌山にも和歌山市駅・東駅から市街地を経て南郊の和歌浦および海南を結ぶ軌道線がありました。
最も、元から南海の経営というわけではなく、幾多の変遷の後、1940年に阪和電鉄が手中に収め、子会社の和歌山電気軌道を設立。同年、南海が阪和電鉄を合併したため子会社となったものです。戦後、1961年に和歌山電軌を南海が合併し、直営となりました。軌間は1067mmです。

さて、和歌山軌道線は、戦後何度か車両を自社発注しています。
その中で、唯一、南海になってから入線したのが320形321~327でした。
1963年9月製造。メーカは、和歌山電軌の発注車 1000~1006、2001~2004(連節車)が東洋工機、311がナニワ工機だったのに対し、日立製作所となっています。
最大寸法は12300×2210×3840mm(長・幅・高)で、和歌山軌道線のボギー車では最大でした。
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・南海電気鉄道和歌山軌道線 321(保存) 1996年10月 岡公園(和歌山県和歌山市)
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・南海電気鉄道和歌山軌道線 322(利用) 1996年10月 黒江駅附近(和歌山県海南市)

さて、この車両の落成後10年経たずに廃線を迎えるわけですが、譲渡事例は伊予鉄道の1両のみ。
ほかは、320形のうち2両を除いて、漁礁として海に沈められるなどして処分されました。
一方、保存された2両は、現在でも残っていますが、ここでは20年前の画像をあげたいと思います。

和歌山城址の南側にある岡公園に保存されているのがトップナンバーの321。
屋根と柵のついた立派な施設で保存されています。公園内に保存されている国鉄C57形蒸気機関車共々の状態は非常に良好で、30年ほど前の鉄道誌ではボランティアの方が保守されているとの記事を読んだことがあります。

和歌山市内線の電車は、俗にケロヨンのようと言われる前面のライトの位置に特徴がありました。
一方で、この前面の窓配置や窓枠形状などは、阪堺線の351型・500型との共通性が感じられるところです。
台車端より車端側は車体幅を絞ってあるので、より細長く見えます。

もう1両の保存車。322は、紀勢本線黒江駅にほど近い場所で、集会所として使われています。
この種の施設としては原型をよくとどめており、状態も比較的良好でした。
路面電車用としては他に例の少ない構造の台車・・国鉄DT21のようなコイルバネ+オイルダンパーの枕ばねとペデスタル式の軸バネを採用した日立KL-11-Cの形状がよくわかますね。

さて、問題なのが車体の塗装。320形は南海になってから登場したので、当時の阪堺線と同じく、上がクリーム、下が緑のツートーンだったとあります。この点では色調は変わっていますが322のほうが近いのでしょう。
そして、321のような和歌山電軌時代からの水色とアイボリーという塗装だったときがあったのかどうか・・・気になるところです。

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by hiro_hrkz | 2016-10-12 02:30 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
離島の路面電車
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本土から海を隔てたその先に、電車があるというのは、非常にワクワクします。
海外なら、スペインのマヨルカ島(観光目的の旧型電車)やカナリア諸島のテネリフェ(こちらは最新型の市内交通・・・テネリフェ島の面積は沖縄本島の1.7倍ありますが)などが思い出されるところです。

そして日本には、長崎県の壱岐に路面電車があります。
・・・ただし、走るとは言ってない・・・というヤツです。

壱岐が輩出した偉人に、松永安左ェ門(1875-1971)がいます。「電力の鬼」と呼ばれ日本の電力業界などに多大な功績を残した氏の記念館が、島の南側・印通寺にあります。ここに、西日本鉄道福岡市内線の501形516が保存されています。
松永安左ェ門が、福岡市内線の前身・福博電気軌道(→九州電燈鉄道→東邦電力)の設立・運営に関わっていたため、西鉄から寄贈されたものです。
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516は1948年日本車輌製の鋼製ボギー車。
 福岡市内線は、ほかの旧六大都市(および京城、大連)以外の市内電車の多くと同様、戦前は2軸車のみで第2次大戦中にボギー車の導入がはじまります。501形(および同系の551形)は、1944~1948年に発注・一部車両は1944年に車体のみ完成したものの、資材難により落成は1948年のことでした。型式が異なるのは使用(流用)する予定だった主電動機により、どちらも高床車ながら床構造が違っていたため。
 最大寸法11000×2400×4100(長×幅×高)で、やや小ぶりな車両です。下回りは台車が日車C-10、主電動機が37.3×2で直接制御というありふれたもの。
 501~520・551~560の30両が製造され、その後1951年までに同系で低床車の561形561~608の48両が加わり、福岡市内線の主力車種となりました。1960年代になると窓枠や扉を交換、室内のビニル鋼板張り化が行われ、1968年以降はワンマン化が行われました。
 福岡市内線廃止に伴い561形のうち32両が北九州線に転属しましたが、他は廃車。この車両は1979年の福岡市内線全線廃止で廃車になっています。

壱岐に来てから特に目立った変化はなかったようですが、直近10年のどこかで、屋根を補修する際に雨どいを取っ払ってしまったようです。これで印象が随分と異なってしまいましたが、一方で、長崎電気軌道の201・202形のモデルになったことが視覚的によくわかるようになりました。
車内には入れませんが、外から見る限りは廃車時のままのようで、広告などもそのままです。が、全て色あせているのは致し方のないところ。海から非常に近い場所なので、維持には苦労が多いのかもしれません。

・いずれも2016年4月 撮影
 


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by hiro_hrkz | 2016-07-24 00:44 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
福島交通軌道線 2022
昭和40年代福島駅東口から各所を結んでいた福島交通の軌道線(飯坂東線)
廃止後各所に車両が保存されたことは、だいぶ前に拙サイトで取り上げたことがあります。
この中から特に、今回は那須ロイヤルセンターに保存されていた2022について取り上げたいと思います。

2022は1960年12月、日本車輛東京支店製。
同時に製造された2023と共に、福島交通軌道線最後の新車となりました。
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それまでの車両と打ってかわって、全金属製?の車体に大きな窓、そして上部が傾斜した前面と近代的なスタイルとなりました。全般的に、この車両の2年前に日車支店が製造した、ナローゲージの花巻電鉄デハ57からの流れを感じるところで、両者は窓の寸法は共に900mmです。また、この窓幅は、1963年から数回に渡って増備された飯坂線の新造車に受け継がれています。

車体の塗装は、水色と黄柑色の同線の標準塗装でしたが、ステップまわりが黒く塗られたのが特徴でした。
しかし、保存されていた当時は、青とクリーム色?になってしまっています。
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福島交通軌道線は、軌間がサブロクでありながら、車体幅が2m以下だったことで知られています。
この車両も車体幅は1920mm 内法は1750mmしかありません。
前出の花巻デハ57が、それぞれ2100mm、1910mmですから、ナローゲージの車両よりも細かったわけです。
実際に車内に入ってみると、それほど狭さは感じませんでしたが、ロングシートの奥行は浅く、実際に人が乗った状態では感じ方は異なったと思います。
なお、全長は11000mm(連結器面間11440mm)。これも花巻電鉄デハ57より丁度1m短いものでした。

一方で、台車が車体に不釣り合いに感じますが、これは都電の中古品とのこと。ただし主電動機は、日車製の新造品(端子電圧750V・出力48kw)を1両に2個取り付けています。

さて、この車両が保存されたのは沿線から離れた、栃木県は那須高原のレジャーランド。
これは、那須ロイヤルセンターが小針歴二率いる当時の福島交通グループだったためです。
もう1両、1108と共に、その前庭に置かれていました。従って入場料を払わずとも見ることができました。

しかし、訪問当時から賑わっているようには見えなかったのも事実。
撮影から5年後、親会社(福島交通不動産→エフ・アール・イー)の破産に伴い2000年には廃業となり、これら保存車も消えたようです。

余談ですが、ここへ行くには、黒磯から東野交通のバスに乗っていきました。
これが、りんどう湖・那須ロイヤルパークを経て那須ハイランドパークへ行くものでした。
当時はそれなりの本数があったのですが、今は休日のみ2往復まで減っているようです。

・いずれも1995年8月 撮影

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by hiro_hrkz | 2016-04-07 02:11 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
2015年8月 広島にて
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今年は第2次大戦終結70年ということで、夏にはそれに因んだ企画が幾つかありました。
広島の原爆投下に関しても、例年よりも取り上げられる機会が多かったように思います。
とりわけ、NHKで原爆投下前後の広島電鉄に乗務していた女性運転士・車掌と、彼女たちが働きながら学んだ広島電鉄家政女学校を取り上げたドラマ「一番電車が走った」が製作・放映されるなど、この街の路面電車と原爆について、改めて知る機会が多くありました(・・・余談:このドラマの主演を務めた女優さん、来年あたりブレイクしそう・・)。

その広島電鉄には、いわゆる「被爆電車」の650形が在籍していますが、このうち休車状態にあった653を、中国放送(RCC)との共同企画で原爆投下当時の塗装に戻し、貸切の特別運行を6~8月に行いました。
この企画を5月に広島に行った際に知ったのですが、その後ネット上に現物の写真がアップされると「・・ぜひとも実物を見てみたい・・・」ということになり、終戦記念日に再度、広島へと足を運んだ次第。

さて、653の運行は、広島駅~己斐(・・って言わないのか。今は)を1日2往復、その前後は皆実町6丁目経由の回送で千田車庫に入庫というもの、広島到着は昼前で、そこから幾つか狙ったものの・・・
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広島の信号機は、電車とクルマが同時に右(左)折できるところが多く、クルマの途切れるタイミングが掴めない。結局、夏の炎天下では判断も鈍るのか、2回被られ思うようなアングルでの撮影ができず、しょげかえることに。

皆実町6丁目附近で回送を撮影したあとは、紙屋町経由で先回り。久しぶりに、広島~己斐以外の広電に乗りましたが、待ち時間が思ったよりも長く、本数が削減されていることを実感しました。
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結局のところ、十日市町と土橋の間が光線状態もよく、また電車と自動車が被らないタイミングが長いので、ここで撮影しました。その後、信号待ちしていたところを追いかけて、天満橋附近の昔ながらの道幅の区間を行く姿を一枚。

そして最後は、原爆ドームをバックに・・・と考えて相生橋の上へ行きました。
みな考えることは同じようで、多数の同業者がおりました。
しかし、光線状態が悪い上に、このアングルで撮影することに何か抵抗を感じてしまったのです。
その次の瞬間に目に飛びこんできたのは、広島中心地に連なるビル街。

「そうか。原爆の惨禍から復興し、百万人都市として繁栄する広島の姿こそ、
 この電車と共に撮影しなければ・・・」

そして、原爆ドーム前電停から東にカメラを構えたのでした。
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(上から)
・広島電鉄653 側面の広告枠に掲げられた企画趣旨
・比治山公園下~段原1丁目
・御幸橋~皆実町6丁目
・十日市町~土橋
・土橋~小網町
・原爆ドーム前~紙屋町西 いずれも2015年8月
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by hiro_hrkz | 2015-12-19 02:25 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
豊橋鉄道東田本線 モ3500形3502
都電7000形更新車といえば、いわずとしれた荒川線の主力車種ですが
1977年の登場後、いちばん最初に廃車になったのは1991年のこと。それから24年経過した現在も多数が残存しているというのは、計画とはなかなか思い通りに行くものではない・・・ということを感じさせます。

その7000形更新車の唯一の譲渡例が豊橋鉄道のモ3500形。
まず1992年に非冷房のまま廃車になった都電7009と7028が、豊鉄3501と3502に、
それからしばらく開いて2000年に冷房改造済の7017と7021が、同様に3503と3504になりました。
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・豊橋鉄道 モ3502 (上)1999年3月 市役所前 (下)1996年8月 駅前~新川

ホームを嵩上げした都電荒川線ですので、各扉はステップ付に改造。
そのため、前扉はバス用の折戸になり、中扉は窓一枚分前側にずらすという、なかなか手の込んだ改造となっています。
一方で、台車は車軸を軌間1372mmから1067mm用に狭めて使用していますが、主電動機(日車NE-60 出力60kw)は流用することができず、当時の主力車種である3100形(もと名古屋市電)と同じ神鋼電機TB-28A(出力37.3kw)が2機とりつけられました。結果、大幅にパワーダウンしています。
さらに先に入線した3501、3502は、集電装置をビューゲルからZパンタに変更。そして冷房の取り付け(おそらく三菱CU77)と見かけ以上の大改造を受けています。

さて、この3500形。ちくわ屋がスポンサーの広告電車になってからの姿が知られていると思います。
上の写真は、海を泳ぐ魚がいろいろと描かれた時代のもの・・・この中に、ちくわとハンペンも泳いでいたのはご愛嬌。
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・豊橋鉄道 モ3502 1993年3月 東田坂上

しかし、入線当初は都電7000形冷房改造車と同じ塗装になっていました。
都電時代は非冷房なので、豊橋ではじめてこの色が塗られたわけです。
なお、3501には窓下の濃い緑帯の部分に「Welcome to Toyohashi.」などと書かれていましたが
こちらは、当初よ広告電車にすることを見越したのか、何も書かれておらず、また窓下の黄緑色の細い帯は省略されていました。
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by hiro_hrkz | 2015-11-13 00:46 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
土佐電気鉄道 高知駅前電停
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そびえ立つ椰子の樹が印象的だった、かつての高知駅前。
高知市とその周辺を結ぶ路面電車、土佐電気鉄道の電停は、
そのころは駅前広場にはなく、駅前の交差点の東側にありました。
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独立したスペースを悠々と使って・・・というわけではなく、直進車線と左折車線の中間という形になっていました。
従って、駅から電停にゆくには歩道橋を使わなくてはならず、不便な電停でした。
こちらにも5本ばかり椰子の樹があるのがポイント。

2線分のスペースがありますが、1線分はもともと線路が無く自動販売機などが設置されています。
また、電停周辺には、大きな電飾看板が幾つかつけられていました。
特に電停の屋根に付けられたものは、電球で回りを縁取った派手目のもの。
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したがって、夜に行くと、パチンコ屋のごとき風情となっていました。
・・・点滅こそしませんが。

2001年、駅前通りを直進し、駅前広場に乗り入れるように付け替えられました。
これにより、JRの改札を出れば、目の前に電停があるという非常に便利な形になりました。
また、電停への曲線がネックで200形しか入線できなかったのが、当然すべての単行車両が運行可能となり、
桟橋線の冷房化率の向上などにも寄与したようです。
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変更後、旧電停の場所は道路になり、
わずかに歩道橋にそのあとが見られる程度となっています。

1、3枚目:1993年8月
2、4枚目:1996年10月
5枚目:2013年4月 撮影

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by hiro_hrkz | 2015-08-09 18:54 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
札幌市交通局 210・240・330形
札幌市電は昭和30年代に入ると、独特の丸みを持った電車を次々と投入してゆきます。
最初に登場したのが1958年製の330形5両で、日立製作所製でした。
黄土色とライトグリーンにステンレス帯という出で立ち・・・その形状は玉電200形をモデルにしたと言われますが、真相はいかに?
全長12500mm×幅2230mm 主電動機は40.0kw×2で直接制御車でした。

その後の製造は、札幌市が道内の産業育成の観点から、地元の事業者で組織させた札幌綜合鉄工協同組合(札鉄協:苗穂工業、泰和車両、運輸工業または藤屋鉄工)があたり、1958年に210形6両、1959年に220形8両、230形8両、1960年に240形8両が製造されます。これらは、主電動機を単車から流用しています。また、240形から間接非自動制御となりました。
そして、1961年に製造された250形5両は車体が伸びて全長13100mmになっています。これはディーゼルカーのD1000形等に合わせたもの。これで、ボギー単車の新造は終わり、連結車・連節車の時代へ移行することになります。
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・札幌市交通局 246(上) 332(中) 334(下)  1995年9月  電車事業所前

これら単車は、1970年代に入りワンマン化されますが、一方で1971年から路線の縮小がはじまり、それが落ち着いたあとに残ったのは、330形5両、210形6両、220形2両、240形7両、250形5両という陣容で、その後330形が3300形に機器流用で廃車になるまで変化はありませんでした。なお直接制御車は、都電8000の廃車発生品を用いて間接非自動制御(日車NC-193)に変更しています。240・250も日車製のNC-350なので都合が良かったのでしょう。

画像は1995年のもの。246は標準塗装ですが、332は姉妹都市のミュンヘンの路面電車を模した青とクリーム色になっています(そういえば、ミュンヘン・札幌・ミルウォーキーなんてCMもありましたね)。ドイツの路面電車は丸みが多いものが多いので、これはそれなりに雰囲気が出ていたと思います。
一方、334は、人魚やら海の生き物を描いたものとなっていますが、これが資料が無く正直よくわからない存在です。
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・札幌市交通局 211 1994年2月 電車事業所前

さて、330形以外は1990年代に入り車体更新を受けます。
もともと、ヘッドライトが、前面の上下にあるというのが珍しかったのですが、ここで窓下に2灯となり雰囲気が変わりました。塗装も、従来のものより明るめのものとなっています。
その後は、8500形等と同一の塗装で登場したものもありますが、現在の緑と白の塗装に揃えられています。
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by hiro_hrkz | 2015-04-21 00:42 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)