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カテゴリ:鉄道(電機、貨電、貨車)( 49 )
住友大阪セメント いぶき500形
貨物の専用線が日本中にあった頃でも、電化されているところは、本当に数えるほどでした。しかもその多くは凸型電機で、箱型電機はさらなる少数派。そのうちのひとつが、東海道本線の近江長岡から分岐していた(大阪窯業セメント→)大阪セメント伊吹工場でした。

同工場は1952年に操業を開始。専用線は当初非電化でしたが、1956年に電化されています。その際に、日立製作所で、2両の電気機関車を製造しました。
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・住友大阪セメント いぶき501 1996年10月 近江長岡

全般的には、当時、日立製作所が私鉄向け(秩父鉄道、東武鉄道、松尾鉱業ほか)に製造した箱型電気機関車と共通で、
国鉄EF15形電機を縮小したような車体・機器配置になっています。
自重50t、主電動機は秩父・松尾と同じく日立HS277系ですが、両者が定格出力200kwのHS-277Arなのに対し、こちらは150kwのHS-277Br-16を4機搭載。また、松尾と同じく発電ブレーキを装備していました。

引張力は9000kgで、これも松尾の8800kgに近似した値となっています。ちなみに秩父鉄道のデキ102~106が7700kg、東武のED5010が5280kgですから、本線走行を考慮せず、とにかく多くを牽引できるようにセッティングされているといえましょう。

大阪セメントは、1994年に住友セメントと合併し、住友大阪セメントになります。
上の画像はその2年後に撮影したもの。大阪セメントはライオンの商標を使用しており、この車両も側面の中央にそれが描かれていましたが、合併後なので消されています。
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・三岐鉄道 ED501 2002年5月 山城

その後1999年6月をもって専用線は廃止されました。なお、2003年には伊吹工場そのものが閉鎖されています。
この2両の機関車は、類形機を保有する大井川鉄道が譲り受け2000年3月からED501・502として使用開始します。
しかし同年、中部国際空港の埋め立て工事用の土砂運搬で輸送力の増強が必要になった三岐鉄道に急遽・貸出(501)、譲渡(502)されました。
三岐鉄道では、重連総括制御化の上で2両固定で使用。このときにヘッドライトを三岐標準の2灯にしています。

上の画像がその時の写真。先頭の501には、大井川鉄道で復活させたライオンの商標がついていますが
502にはそれが無く、代わりに車番とメーカー名の間に三岐鉄道の社章が取り付けられています。
501のパンタグラフが下がっている理由は不明。

2002年10月に土砂輸送の終了に伴い、501は大井川に返却、502は廃車になりました。
502は、その後西藤原で展示されていましたが、2015年に解体。
大井川の501も、西武鉄道から購入したE31形の整備に手を付けた現在、いつまで残るのか気になるところです。


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by hiro_hrkz | 2017-06-18 20:54 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
十和田観光電鉄 ED301
十和田観光電鉄は、電化以降廃線までの間に2両の電気機関車を保有しました。
一つは、1962年川崎製のED402。そしてもう1両は、改軌・電化時の1951年5月に製造されたED301です。
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・十和田観光電鉄 ED301 2002年6月 (上) 工業高校前 (下)七百

製造したのは日立製作所(水戸工場)。これは、電化に際して、電気関係の一切を日立が受注したためです。
同時に入線した、やはり日立製のモハ2400形と主電動機(HS-266Cr20 端子電圧750V/定格90.0kw)や制動装置(AMM-C)は共通化されています。ただし制御装置は、さすがに電車用のMMCというわけではなく、オーソドックスに電空単位スイッチ式となっています。
自重は30.0t・・・形式の「30」がここからきているのは、(旧)東北運輸局管内らしいところです。
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車体は、日立製の凸型電機の標準的なスタイルをしており、凹凸のないキャブの側面にやや小さめの窓は、たとえば、京福電鉄テキ521→えちぜん鉄道ML521や、住友別子ED104にもみられる特徴です。
ただし、車体幅が広い(京福テキ521が最大2171mmなのに対し、本機は2515mm)ことから、前面の窓が、他は2枚窓なのに対し3枚窓なのが特徴でした。運転台は前後に1つづつあります。

上の画像は、貸切運転会の際に撮影したもの。
この車両は、入線当初は制御車を牽引して走行していたようで、たとえば前面のテールライト外側には給電用のジャンパ栓が備えられています。そのときの再現というわけだったのか、前面に電車用の行先板をつけています。
・・・・ところで、この特徴ある編成の写真、どこかに残っていないものでしょうか?
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・十和田観光電鉄 ED301+トラ301+ED402  2011年9月 七百附近

十和田観光は貨物輸送が遅くまで残っていたほうで、国鉄分割民営化直前の1986年10月まで一般貨物を取り扱っていました。その後も、積雪に備えてED402共々、2012年の廃線まで生き残っていました。
こうして、イベントで駆り出されることも何度かありましたね。

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by hiro_hrkz | 2017-02-17 02:01 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
黒部峡谷鉄道 EDS13
一般的な知名度は比較的高いものの、鉄道マニアからの注目度はさして高くないと思われるのが、富山県の黒部峡谷鉄道。その理由を考えると、特殊すぎる規格、乗車システム、駅または沿線での撮影が難しい、一方で産業用ナローとしては近代化されすぎ・・・といった点でしょうか。しかし、「産業の為に鉄道がある」という原始的かつ根本的な姿を、非常に生き生きとした状態で感じることができるのは確か。雄大な景色と、一方で、発電所等に吸い込まれてゆく謎めいたレールなど、確実に乗って楽しい路線だと思います・・・とはいえ、私も乗ったのは20年以上前の一度きりなのですが。
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・黒部峡谷鉄道 EDS13 1994年9月 宇奈月

さて、黒部峡谷鉄道の車両は幅は1660mm、高さは2420mm(パンタグラフを除く)で、日本国内の一般的な鉄道はおろか、ナローゲージの車両(例・もと近鉄特殊狭軌線で、幅2100mm、高さ3200mm)よりもさらに小さい程です。通常の写真を見ている分にはあまり感じませんが、実際に、ここの機関車を目にすると、機械の塊に車輪がついている・・といった印象を受けます。

その電気機関車は、1966年に製造されたED18以降、4軸の箱型が主力となっています。
それ以前は、専用線時代を含め、2軸機もしくは4軸の凸型機を導入していました。
画像のEDS13は、車歴上は戦後初の新製機である1957年日立製作所製のED13を1993年に改造したものとなっています。が、実態はややこしく、1959年にやはり日立で製造されたED17を1993年に箱型車体に変更した際、流用したのは主電動機程度であったため、残った同車の車体・台車等にED13の主電動機を組み合わせたものとなっています。

主電動機は日立HS102-Grb(端子電圧300V・35kw)×4で、箱型機の42kw×4に比べて、若干出力が小さいものになっています。制御器は半間接式(・・と公式サイト等にはあるものの、一体どういうものなのか)東洋電機製DB2-DC564Aで、運転台は進行報告に対し横向き配置となっています。普段は、宇奈月での入替用なので、これでもよいのでしょう。

なお、黒部峡谷鉄道は列車が完全指定制であることから駅への入場は制限があり、ホームから車両を撮影するのが難しい状況でした。アングルが中途半端なのはそのため・・・おそらくこれは今も変わっていないと思います。

・参考文献 澤内一晃「凸型電気機関車の系譜」 鉄道ピクトリアル 859号(2012年2月号)

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by hiro_hrkz | 2016-10-23 23:04 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
西武鉄道 ホキフ71形・ホキ81形
国鉄の貨車の中で、無蓋のホッパー車と言って思いつくものは幾つかあると思いますが、その中でも特にメジャーなのがホキ800でしょうか。バラスト散布用・・・つまりは事業用ゆえに全国各地に配置されていたこと、そして特徴ある外観は、印象に残りやすいと思います。
直線主体で構成されているため、近代的な印象を受けますが、その製造初年は1958年と60年近く前で、それなりに昔の設計の車両ということになります。

ホキ800は、同系車が多くの私鉄で導入されたことでも知られます。特に、関東地方の大手私鉄では、東急と京成以外の各社が保有していました。うち京王ホキ280型は相模原線建設で使用した鉄建公団保有車を譲り受け、ブレーキをHSCに改造していたのが特徴。また京急ホ50形は当然ながら1435mm軌間、電車用の引き通しを備えた事実上の「サホ」でした。
そして、西武と小田急に在籍したのが、片方に車掌室を持つホキフでした。
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・西武鉄道 ホキフ72 1994年11月 横瀬
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・西武鉄道 ホキ88 1998年10月 横瀬

西武鉄道のホキ・ホキフは、1968年にホキフ71~74とホキ81~86、1973年にホキ87~90の合計14両が製造されました。メーカーが自社所沢工場である点も、当時の西武らしい特徴といえます。
また、私鉄のホキとしては珍しく国鉄に乗り入れる運用を行い、中央線の酒折駅からバラストを搬入していました。1980年代前半、この車両は飯能駅の南側にあった貨物用側線に留めてあることが多かったのですが、国鉄乗り入れの運用表が、車両の側面に直書きされていたのを覚えています。

その後、西武線内だけで完結するようになり、塗装もアイボリーに緑帯の爽やかなものになりました。折角の車掌室もこの頃には意味をなしておらず、ホキ・ホキフ特に区別なく運用されていたようです。

ところで、私鉄のバラスト用ホキの中でも特に印象に残ったのは、元来、電車がいちばんの好物の私には、やはり山陽電鉄と神戸電鉄に在籍していた制御室がついた「クホ」でした・・・・このあたりも近所の図書館がどういうわけか所蔵していた「私鉄車両のアルバム 別冊A」の悪影響(もしくは教育)の賜物かもしれません(笑)。それに比べるとホキフは、車端にハコがつき、ヘッドライト?もあるものの、どこか物足りない印象だったのも否めませんでした。

西武のホキフは1996年に廃車。ホキはその後21世紀になっても残っていましたが、2008年に廃車になったようです。関東大手私鉄では最後のホキでした。この世界は、今は保線機械が主流ですね。
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by hiro_hrkz | 2016-06-22 01:39 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
小田急電鉄 ED1012
小田急が貨物輸送を止め、さらには工事輸送用の機関車がなくなったあとも、どういうわけか海老名の車庫の南端に1両の電機が置いてありました。電車からよく見える位置だったので、ご存じの方も多いと思います。
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・小田急電鉄 ED1012 1999年10月 海老名

1927年の小田急開業時に川崎造船で製造されたED1010型1012号機です。
製造時は1、2。大東急成立時に、もと小田急車=1000番台の法則に従ってデキ1010形1011・1012となり、戦後の独立時にデキをEDに変えました。

 自重は41t。同社初の電機である庄川水力電気の4両の流れを汲む、箱型に近い機械室に前後の小さなボンネットがある形態となっています。同型が武蔵野鉄道(デキカ21~22=西武鉄道E21~22)、上田温泉電鉄(デロ301、のちの名古屋鉄道デキ501→岳南鉄道ED501)に存在したことで知られます。
 主電動機は、川崎K7-1503-B(端子電圧750V 111.9kw)×4。西武E21と戦後、出力に関する諸元が異なったのは、架線電圧の違い(小田急、上田=1500V、武蔵野=1200V)から、端子電圧の異なる主電動機を搭載したゆえでしょう。武蔵野は端子電圧600VのK7-1903で出力は同じ111.9kw。これが、戦後の1500V昇圧で端子電圧750V、約140kwになったわけです。

 廃車は1984年。撮影時は、それから15年が経過していたわけですが、荒れた様子もなく、また外観上の部品の欠損もありませんでした。同型の1011が向ヶ丘遊園に保存されていたを考えると、その理由がよくわからなかったのも事実。
しかし、2005年ごろまでには解体。1011も、やはり2005年の向ヶ丘遊園の閉園に伴い、解体されました。

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by hiro_hrkz | 2016-02-21 02:35 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(2)
京阪電気鉄道大津線 122
私がまだ小学生低学年だったころの話。
近所の図書館には、鉄道の本が幾つかあったのですが、その中に交友社の「私鉄電車のアルバム」・・それも1A、1Bとなぜか別冊A、別冊Bが置かれていました。ご存じの方も多いかと思いますが、別冊Aは荷電・貨電、別冊Bは電機という実に目の毒(!)なものが沢山のっている2冊で、私が人生を踏み外すきっかけの一つとなりました(苦笑)。
・・・余談ですが、国鉄関係では、誠文堂新光社の「電気機関車ガイドブック」や「国鉄電車ガイドブック 旧性能車篇」なんてものが置いてあり、同様に買収電機だのクモ「ニ・エ・ル・ヤ」などに目を奪われた結果が・・・今思えば、実に人を惑わす図書館でした・・・。

その中で、関西の様々な旧型の貨物電車が非常に印象に残りました。しかし、その殆どは、私が関西に電車を見に行ける頃には廃車になり、残っていた車両もなかなか見られるところには無い・・結局、実物をみることができたのは、わずかにこれだけでした。
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・京阪電気鉄道大津線 122 1994年8月 近江神宮前(錦織車庫)

京阪電車の122です。
留置場所の関係で、手前には架線柱のワイヤーそして、乗務員乗降用のステップがあってスッキリしない写真となっていますが、いま思うと、こんな状態であっても、撮っておいてよかったなあ・・・と思うところです。

車歴は非常にややこしいものです。
 もとは1934年11月竣工の有蓋電動貨車で旧車番は2002。製造は自社の守口工場でした。なお、実際の製造は1933年で当初車番は2004であったとも書かれています。1945年7月に天満橋駅で空襲に遭い全焼、1946年に復旧。
 1955年にこの車両の機器と、1936年製造・1949年廃車の無蓋電動貨車 3012の台枠を組み合わせて、上の写真のようなスタイルに改造の上で本線から大津線に転属・・・最も、そのころは三条で線路が繋がっており、またポールとパンタグラフを共に装備していたので、両線を行き来していたそうですが。
 1959年に3022、1970年に122に改番され、1997年の大津線昇圧で廃車になりました。

なお、2002と同型の2003は、3021→121と改番されて、1983年に京阪線が昇圧するまで守口工場の牽引車あるいは救援車として使用されました。ATSを装備するために車体の前後に張り出しを設ける改造が行われていました。
また3012と同型の3011は、103に改番されて、やはり1983年まで使用されました。1968年にクレーンの装備と、運転台の幅を狭める改造をうけています。

自重23.0t。最大寸法(長・幅・高)は14242×2378×3980mmで、「屋根付きの無蓋電動貨車」という非常に特徴あるスタイルになっています。柱が2本あるので、前後の運転室の部分と合わせて3っつに分割されていますが、それぞれの天井にはホイストが取り付けらています。運転室の幅が狭いことを含め、レールの運搬等に対応したものだったのでしょう。

台車はブリル27E-1 主電動機は東洋9C(出力45kw)を4台装備している点は、大津線急行の主力車だった260形と同じ。廃車後には、アメリカのトロリーミュージアムに譲渡されています。
制御器は260形・350形などと同じく電空カム軸式の日立PRから、自社製の電動カム軸式に交換されており、この車両はEC-100なるものを搭載していました。詳細は不明です。


この車両、京津線に配置されていたこともあり、「私鉄電車のアルバム」では別冊Aではなく、2Bのインタアーバンの項に載っています。ご注意を。

参考文献 同志社大学鉄道同好会「私鉄車両めぐり(48)京阪電気鉄道」 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション25に収録
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by hiro_hrkz | 2015-10-22 01:58 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
富山地方鉄道 デキ12021
今年4月に富山地方鉄道に乗った際に、稲荷町でデキの姿が見えないなあ・・・と思っていたら本線側の建屋の前に、随分と綺麗な状態で置かれていました。
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・富山地方鉄道 デキ12021 2015年4月 稲荷町

 いつも使い込まれた状態でしたので、下回りを含めて塗装がバッチリ決まった状態なのは新鮮でした。
それにしても、ピンク色とグレーという組み合わせは、富山地鉄のどの車両とも異なる不思議な色使いですね。
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1958年東芝製。もともとは黒四ダム建設用として製造されたもので、当初は関西電力の保有でした。
7年前に製造された松尾鉱業 ED251から更に丸みを強めたボディー・・・特に、キャブ、ボンネット共に、前面が傾斜している点が印象に残ります。

 一方、機械の面に目を転じれば、主電動機は90kw×4で、非自動電空単位スイッチ式の制御器を備える点は、比較的ありふれた私鉄電機のスペックですが、ブレーキは電気制動つきとなっています。最大寸法(長・幅・高)は11000×2736×4070mmで、自重は30.0t。大きさがほぼ同じ東芝戦時型のデキ14730に比べると10tあまり軽いことになります。 
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しかし、特徴的なのは、この台車 TT-53でしょう。
車体より下に突き出した梁の上に台車の心皿を置く構造となっており、
また軸箱の支持はSミンデン式と同等の構造となっています・・・ちなみにSミンデン台車が登場するのは、これより5~7年くらいあとのこと。
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・富山地方鉄道 デキ12021 1993年3月 稲荷町

25年以上のキャリアのあるNゲージファンには、かつてマイクロエースがこれをプロトタイプとした3軸機を出していたことで知られているかもしれません。私がはじめて買った電機の模型というのが、実はそれでして、思い出のある車両でもあります・・・いろんな事業者の社紋のデカールが附属していたのを思い出します。

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by hiro_hrkz | 2015-07-13 00:01 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
名古屋鉄道 デキ603・604
大手私鉄の事業用車両というのは、神出鬼没でなかなか撮影できないもの。
最近は、モーターカーなど保線機械への代替が進んだこともありその絶対数が極端に減りましたが、
今でも維持しているのが名鉄です。

この2両を見たときも偶然で、金山で「ムーンライトながら」を降りて名鉄に乗り換えると目の前に止まっていたのが603でした。
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・名古屋鉄道 デキ603 2000年9月 金山

これはすぐに神宮前方面に発車して行ったのですが、続いて逆に神宮前方面から604が到着。
条件は悪いながらもなんとか撮影しました。深夜作業を終えて、大江へ戻る途中だったのでしょうか。
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・名古屋鉄道 デキ604 2000年9月 金山

名鉄デキ600は東芝戦時型40t機のひとつ。
その中でも、603と604は海南島にある日本窒素の鉄鉱山向けに製造されたものの、制海権喪失により鉱石の輸送不能→鉱山の操業が停止したため、注文流れになったものです。そのような経緯があり、東芝戦時型の車体幅は2800mm以上で、地方鉄道の車両限界を超過しており、名鉄では入線できる路線に制限があります。

1992年に大規模修繕が行われ、外見では車体の塗装が変更となったほか、尾灯・前照灯の変更や、窓枠のアルミサッシ化、またキャブ前面のうち片方の窓が開閉可能に改造されています。キャブ内部は計器類が更新される一方、マスコンはオリジナルのままのようです。
 一方で、他社では乗り心地改善のために履き替えられた台車は原型の板台枠のままコロ軸受け化、主電動機はSE130(110kw)×4で、名鉄の電機の中では最大の出力をほこります。

名鉄は、2014年度の投資計画で電機2両の製造を発表しています。
名鉄の機関車の中では最も製造年が新しいデキ600形ですが、今後の動向が気になるところです。
・・・それまでに他の機関車を含めて撮影できる機会があるのかどうか・・・。
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by hiro_hrkz | 2015-01-11 18:40 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
松尾鉱業 ED251
かつて、岩手県は国鉄花輪線の大更駅より東八幡平まで敷設されていたのが松尾鉱業鉄道。
硫黄の運搬を目的に敷設された・・・というのは、いうまでもない話かもしれません。
非電化の国鉄ローカル線の途中から分岐する電化された鉱山鉄道というのは、なかなか魅力的なシチュエーションだと思います。
硫黄鉱山の需要が無くなったため松尾鉱業は倒産・閉山し、1972年に廃線となっています・・・雲上の楽園と呼ばれた鉱山町のその後などは、廃墟方面でいろいろ取り上げられていますね。

松尾鉱業鉄道というと、晩年は阪和電鉄の買収国電払下げ車が在籍し、国鉄直通のキハ52を牽引して走ったことで知られますが、これが1968年に入線するまでは、旅客列車も電機が牽引する客車列車でした。
電気機関車は4両。うち2両は現在も秩父鉄道に譲渡されて使用されている箱型電機。残り2両は、凸型の入れ替え機で、このうちの1両が、東八幡平駅跡近くの松尾歴史民俗資料館に保存されています。
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・松尾鉱業 ED251(保存) 1994年7月  松尾歴史民俗資料館

1951年東芝製で、同じ年につくられた東濃鉄道のED1001が兄弟機といえます。
最大寸法の長さ10050mm×幅2600mmや台車中心間距離4750mmは完全に同一、キャブの高さは東鉄の方がトンネルの為に若干低くなっています(ただし、諸元で見ると、最大高は東鉄のほうが高い)。重さはMGを搭載している松尾が27tなのに対し、それが無い東鉄が29tと重いのは意外なところ。Rが多いボンネットやキャブは、後に富山地鉄デキ12020や南海ED5201に引き継がれているとも考えられますね。

下回りは主電動機出力が若干異なりますが(松尾:東芝SE-170 60.0kw、東鉄:SE-170C 67.1kw)、台車は国鉄の電車用DT16に近似のTT-51で同じとなっています。その他は機器構成が若干異なっているようです。

20年前の画像ですが、色あせた程度で、現在もあまり変わっていないようです。
ところで、松尾鉱業の機関車の色はコバルトブルー。この色だった時代はいつごろなのでしょうか?
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by hiro_hrkz | 2014-09-23 00:01 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
豊橋鉄道渥美線 デキ451
豊橋鉄道渥美線の貨物列車は、1984年2月まで健在で5両の電機を保有していたことは、
以前デキ211の記事内で触れました。貨物の廃止後、211以外は廃車となり、順次解体されていったのですが、このデキ451はしばらくの間、高師駅構内に放置されていました。
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・豊橋鉄道渥美線 デキ451 1990年8月 高師

部品は剥がれ、下回りが見えなくなるほどのガラクタが周囲にあるなど、酷い状況ではありましたが、
それでも40t級・主電動機出力100kw×4の箱型電機の堂々とした風貌は失われていませんでした。

この車両、もとは田口鉄道が発注したデキ53で、1929年、日本車輛(車体)・東洋電機(電機)製。
鳳来寺鉄道(のちの国鉄飯田線)本長篠から分岐し三河田口に至る同線は、宮内庁が出資し、御用林から木材の輸送を目的に敷設されたこともあり、このような堂々とした機関車を保有することになりました。
田口鉄道の実質的な親会社である豊川鉄道が、2年前の1927年にやはり日車・東洋で製造したデキ52とはデッキの有無を除けば、ほぼ同じで、台車や主要機器類のほかにも、前面窓下に砂箱が取り付けられた部分などの共通点が見られます。
豊川と、その傍系というべき田口・鳳来寺の3社は共通の車両を保有し、共通運用をしていたことで知られますが、この車両も、その一環であったわけです(電車の制御器等も基本的にデッカー・東洋で統一)。

豊川・鳳来寺が1943年に国に戦時買収された後、1952年以降、社線内でのみ運用。
1956年に田口鉄道が豊橋鉄道に吸収されたあと、1965年に架線電圧600V対応の改造の上で渥美線に転属しています。
その後、1968年11月の大改番で自重を基準にする形式に変更され、デキ450形451になりました。
前面のシールドビーム2灯化は1970年。このような無骨な電機にはアンバランスに感じるところですが、豊橋鉄道の電車で特徴的だったヘッドライト形状が、電機に対しても進められていたことがわかります。

これを撮影したのは、高師駅の本線と車庫を挟んで反対側の貨物側線の跡地。
倉庫が並び、また600V時代は電車も留置されていましたが、今は駐車場となり、景色は一変しています。
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by hiro_hrkz | 2014-04-22 00:07 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)