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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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カテゴリ:鉄道(旧形電車)( 85 )
江ノ島電鉄 300形301、306
江ノ電のかつての主力車両といえば300形。6編成が存在しました。
最も、同じ形式にまとめられていても、その中身は種車も形もバラバラだったのは御周知のとおりです。
2000形などの増備で置き換えられていましたが、真っ先に廃車対象になったのが、1927年に製造された、もと王子電気軌道200形(都電150・170形)の車体を持つ、301+351と306+356でした。
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・江ノ島電鉄 301+351  1991年5月 極楽寺

トップナンバーの301+351は、1956年に東洋工機・東洋電機で改造されました。
1953年に都電150形153、154と、同杉並線260形の台車を組み合わせて入線した113、114(いずれも2代目)が種車です。

片方の車端を切妻に改造し、ドアを中間よりにした車体を2つ接合したようなもの。王子電軌200形は窓配置が1D11D1、301は改造当初は1D10D2でした。なお、連節車にする際に、客室の扉は上方向に拡大しています。その後、1970年代初頭に乗務員扉の設置が行われ、客用扉は車体中央側に移設されています。これにより扉間の窓数は9枚に変化しました。

 江ノ電の電車は1979年頃にヘッドライト・テールライトを全車窓下に2灯づつ装備するように改造を受けていますが、この車両はそのケーシングが一体化しているのが他車にない特徴でした。また他の編成が両端の台車に主電動機を2機づつ取り付けているに対し、この編成だけ両端の台車に1機、連節部の台車に2機取り付けていました。
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・江ノ島電鉄 306+356 (隣は108) 1991年5月 江ノ島 

一方、ラストナンバーの306+356は、江ノ電唯一の連結車だった112→201・202を1968年に東横車両で改造したもの。
112は、西武荻窪線の木造車32を1934年に譲り受けたもので、1953年に都電150形の車体に振り替えられています。202は、夏季だけ運行された納涼電車の車体に静岡鉄道の台車を組み合わせて1949年に登場。1954年に都電174の車体に振り替えられています。両方とも、車体振り替えの時点で客用窓が2段窓に改造されており、後々まで301編成と異なる点の一つとして現れます。

301に先立ち1955年に、やはり東洋工機で連結車に改造されました。
客用扉が上方に拡大されているのは、こちらも同じ。

連節車への再改造時に車体は更新され、ノーシル・ノーヘッダーに。またヘッドライト・テールライトは当初より窓下に2灯りづつ装備されていました。窓配置は乗務員扉設置前の301に近いものですが、こちらは客用扉を拡幅したため、扉間の窓数が8枚・かつ戸袋窓だけ幅が広いものになっています。
しかし、種車のメーカーが異なる(都電150形:田中車両、170形:川崎車輛)ため、雨どいの高さが異なる点には手を付けられず、最後まで300形の中でブサイクと言われるゆえんになりました。1970年代に乗務員扉の設置が行われています。
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300形の特徴は、車体のみならず台車にもありました。
その多くは、旧式の台車を大改造したものです。
画像は301の台車。
揺れ枕から板バネとハンガーで台車枠に連結する旧式の台車を、コイルばねとオイルダンパーで連結する近代的なものにしていますが、無理矢理感は否めず。今ならばもっと細かく観察するところですが、このときはこれを撮影しただけで終わりました。

306は1991年、301は1992年に廃車になっています。


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by hiro_hrkz | 2017-02-02 01:55 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
高松琴平電気鉄道 20形
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・高松琴平電気鉄道 23+120+300+500 2015年5月 岡本~円座

高松琴平電気鉄道が現在動態保存している4両のうち、唯一、他社からの譲渡車両であるのが20形23。製造も最も古い1925年(大正14年)で、今年で実に91年になります。今回はこの20形のうち、珊瑚色と牡蠣色のツートンで、通常に運行されていた1990~2002年の画像を中心にまとめたいと思います。
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・高松琴平電気鉄道 22 1998年11月 今橋
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・高松琴平電気鉄道 21+22 1998年9月 今橋

20形は、もとは現在の近鉄南大阪線等を保有していた大阪鉄道のデロ形。同社初の半鋼製車で川崎造船製の21~25と大阪鉄工所製の26・27がありました。1943年に大鉄が関西急行鉄道(近鉄)に吸収後、モ5621形5621~5627に改番されています。
1923年製造の大鉄最初の電車である木造車のデイ形に準じた形態で、14m級3扉・前面は5枚窓、側面は2枚一組の窓でその上には上辺が弧を描く明かり窓が設けられていました。床下にはトラス棒付きなのは、この時期の鋼製車らしいところ。

近鉄からコトデンへの譲渡は1961年のこと。川崎造船製の5621~5624がやってきました。
これに関してよく「南大阪線は狭軌であるため信貴生駒電鉄の台車を組み合わせて入線した」と書かれています。が、この4両は、南大阪線の特急「かもしか」運転にあたり、クニ5421~5424(もと伊勢電鉄モハニ231形)を電装してモ5821~5824にする際に、主電動機を供出して廃車になっているため、どのみち下まわりは手配する必要性があったのでしょう。
エリエイの「レイル 」57号だったと思いますが、コトデンに搬入された車体がダルマ状態で置かれている写真が掲載されており、床下機器そのものも、どの程度流用されているのか気になるところです。

そして台車(ボールドウィン) ・主電動機(GE-240B)のほうも信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)から購入とされているものの、同社にはこの台車を履いた車両はおらず、少々疑問に感じます。この装備は、大阪電気軌道の木造車・デボ61形(のちの近鉄モ261形)以降の装備と考えるのが妥当ではあるものの、1961年の時点では未だ殆どが近鉄で現役で走っていました。同社に貸し出されていた近鉄の木造車に転用されて履いていたという意味なのか、それとも予備備品を同社が保有していたのか・・・。
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・高松琴平電気鉄道 23 1998年9月 今橋 貫通路の踏み板が上がっている状態なのは珍しい。

 琴電では運転席まわりを大改造し、平妻にHゴム支持の窓、引き戸の貫通扉となりました。昭和30年代に改造された65や230、あるいは610といった車両との共通性がありますね。切妻に改造したのは、もと京浜急行の10形・90形の運転台が狭小で評判が悪かったことも影響しているのではないかと邪推するところです。なお、運転席の側面の窓は上段がHゴム固定の2段窓になりました。
 側面の明かり窓は、5621→21、5623→23は近鉄時代に埋められていましたが、残りは、ガラス部分は板になっていたものの、彫刻が残っていました。その後、24は埋められ、22も彫刻は無くなり窓の形跡だけとなっています。この改造がそれぞれいつ行われたのか・・・昭和40年代の琴電の写真で発表されているものは少なく、何時かはわかりませんでした。1973年よりも前なことくらいで・・・。

1976年には、痛みの激しかった23が更新工事を受けています。外板は全面的に張り替えたようで、リベットが消滅、ウィンドウヘッダーは埋め込まれ、ウィンドウシルが段付きが平板に、戸袋窓がHゴムになりました。この車両だけ車番が切り抜き文字ではなく、ペンキ書きだったのはこれが理由のようです。
そういえば、23だけ非パンタ側(築港・志度側)に貫通幌の座がついていましたね・・・コトデンには他にもこの形跡がある車両がありましたが、同社は先頭に貫通幌を装備しておらず一体なんだったのか。

1980年代前半には廃車が取りざたされたものの、結局、長志線で使うことになり、1988年頃~1992年に、残りの3両も23に準じた更新を受けています。このときに、22の明かり窓跡は完全にふさがれました。23も再度更新され、屋上のベンチレータが撤去されたようです。
 このときに、全車両運転台部分側面の窓が1段窓に改造されていますが、どういうわけか22、24と21、23でその高さが異なっています。
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・高松琴平電気鉄道 23+24 2001年12月 沖松島~春日川 昼間に2連で特別に走らせたときのもの
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・高松琴平電気鉄道 24+230 1997年7月 春日川 通常345がペアだった230と珍しく編成を組んでいた

この車両が入線した当時(というか、もと名古屋市営の車両が入線するまで)、コトデンは長尾・志度線の車両は2桁の番号、琴平線が3桁または4桁の番号でした。従って、この車両も志度線での使用を目論んでいたようですが、結局は琴平線に配置され、代わりに3000形が志度線に転出しています。
 その理由は、先に記した主電動機GE-240Bが定格出力97kwと出力が高かったことがあげられるかもしれません。琴平線では大型の制御車(950形=国鉄オハ31改造、850形=もと南武鉄道 等)と連結して使うことが多かったようです。
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・高松琴平電気鉄道 22+21 1993年8月 瓦町 前面の行先板が旧式。

昭和50年代になると琴平線から志度線に転属がはじまり、昭和60年頃には全車が志度線に揃います。志度線では2連で使われることが多かったようです・・・そういえば、長尾線に入線している写真は見ませんね。

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・高松琴平電気鉄道 21+335+890 1997年7月 春日川 コトデンそごう開業直後で昼間も3連が走っていた
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・高松琴平電気鉄道 22+27+28 1997年7月 今橋
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・高松琴平電気鉄道 24+621+622 1998年9月 今橋

その後、1993年に瓦町駅改築に伴い志度線が分断され、同線に閉じ込められます。
このあとは、増結用として使われることが多くなりました。
もと京浜急行の30形と連結すると、窓の大きさや車高の違いが目立ちますね。また、もと名古屋市営の600形とは実にアンバランスな編成となりましたが、これ自体はコトデンを見慣れていると、逆にそう違和感もなく・・・(笑)。

ということで、20形のあらましと画像を並べてみましたが、東西方向に走る志度線で基本朝しか走らない、しかも基本的に瓦町側(=西側)に連結という状態では光線状態など望むべくもなく・・・なかなか見苦しい写真ばかりなのはご勘弁を。この頃、結構な頻度で高松へ行きましたが、主眼は編成も車両もバラエティー豊富な長尾線、続いて琴平線で、詰田川・春日川の橋梁架け替え後は特に撮影地の少ない志度線には殆ど行かなかったという事情もあります。

茶色に戻されてからの話は、いずれ別の機会に。
そういえば、今月13日のレトロ電車では23が500とペアで走るようですね。

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by hiro_hrkz | 2016-11-12 00:34 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
一畑電気鉄道 デハ20形
86年ぶりの完全新造車が投入されることが話題になっている、島根県の一畑電車。
その、86年前とは昭和初期・・・電化や路線延長が行われた時期で、日本車輌製の鋼製電車を揃えました。
ローカル私鉄マニアの間ではそこそこ有名な車両ですので、これまでは遠景冬の日の景色として遠慮がちな記事にとどめていました。そこで、今回は車両に焦点をあて、一部を改造してつくられた2扉クロスシート車のデハ20形を取り上げたいと思います
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・一畑電気鉄道 デハ23 1993年8月 平田市
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・一畑電気鉄道 デハ22 1995年2月 秋鹿町

まず、一畑の日車製16m級鋼製電車についておさらい。
出雲今市(現・出雲市)~一畑の電化に際して、1927年9月にデハ1~5の5両を新製。うちデハ4は験を担いだのか1929年にデハ6に改番。3扉ロングシートでした。
続いて、1928年に団体用に制御車の(クハ14→)クハ101を増備。車体はデハ1と同型で、その後、1942年認可・1948年に竣工で電装されてデハ7に改番。
そして、小境灘(現・一畑口)~北松江(現・松江しんじ湖温泉)および大社線の開業に際して、1928年にクハ(ニ)3~4、1929年にデハニ53~54を新製。こちらは、2扉+荷物室の合造車となりました。3、4は翌年には電装されてデハニ51~52に改番されています。
合計10両を短期間に揃えたのは、なかなか立派なものですね。

戦後、1951~52年にかけて、デハニ51、デハ2、1、5の順に、2扉クロスシートのデハ21~24にナニワ工機で改造しています。種車は異なりますが、デハ1から中央扉を埋めた窓配置に改造。リベットの打ち方や車体裾の形状も違和感なく仕上げられています。
また、1967年にはデハニ54をデハ11に改番したうえで、デハ7を1962年に電装解除したクハ111と固定編成にしました。このとき車体は大幅に手を加えられ、2扉なるもののその位置は車体中央より、側面ステップは切り上げられ、車内はロングシートとなりました。
そして、3扉両運転台で残ったデハ3、6は1978年の大社線ワンマン化に際して、アルナ工機で運転席の拡張・乗務員扉の取り付けと、それに伴い両端の扉と戸袋窓を車体中央側にずらす工事を請けています。

下回りは制御器と主電動機は三菱製であるのは、この時期の日車製地方私鉄向け電車の多くに同じ。WH社のライセンス品である単位スイッチ式手動加速のHL制御器と、定格出力75kwのMB-98-AFGを4機備えています。が、戦後、双方を弱界磁制御が行えるように改造を行い、列車速度を向上しています。本来、WH~三菱の制御器は弱界磁制御が行えるものはFがつくわけで、HLF(制御器の電源がバッテリならHBF)と称するのが正しいのですが、後付改造ということもあるのか、このような言い方はしていませんでした。
 余談ですが、デハニで認可最高速度の85km/hを経験したことがありますが、これが実にダイナミックなもの。なにかにつかまっていないと・・・というのが大げさではないほどでした。

ブレーキは直通制動(SME)。後年、5両編成にするときは、中間車にブレーキ手を乗せて、編成後部の車両にも均一にブレーキがかかるように操作していました。

さて、デハ20形は1958~59年に入線した、もと西武鉄道クハ1235~1238のクハ100形101~104と編成を組むようになります。が、両者は固定編成にならず、デハ20形は最後まで両運転台のままでした。
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画像は1995年に撮影したデハ22の車内。
 二重屋根風の天井や木製のボックスシート、
 扉は木造の手動・日よけは鎧戸である一方で窓枠はアルミサッシ、
 客室の車内照明は蛍光灯だが運転席だけ白熱灯であること
などが解りますが、一点注目していただきたいのが運転台の仕切りの位置。いつも先頭に立っていたパンタグラフ側は左隅なのに対して、クハ100と連結する側は中央運転台になっていました。
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・一畑電気鉄道 デハ21 1993年8月 平田市

踏切事故か何かで先に戦線離脱(1994年6月廃車)した21の非パンタ側です。
ワイパーの取り付け穴も中央の窓枠にあけられていることがわかるかと思います。
前照灯もパンタグラフ側がシールドビーム2灯なのに対し、こちらは白熱灯のままですね。

デハ24がいちばんはやく1981年に廃車。最後まで残っていたデハ22・23は1996年に廃車になりましたが、うち23が赤茶色の旧塗装に戻されて、平田市駅近くの平田図書館前に保存されました。
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・1998年9月 

しかし、長続きはせず2004年?に解体。先頭部だけが島根県立古代出雲歴史博物館に引き継がれました。

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by hiro_hrkz | 2016-08-13 00:47 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
日立電鉄 モハ1301
日立電鉄の旧型車が営団2000に置き変わる寸前。残っていた車両の中で、とりわけ異色の存在だったのが、モハ1301でした。
もと宇部鉄道の車両で、僚車4両の中で、これだけが10年以上生き延びていました。
画像は、1989年に日立電鉄を訪れた際に、常北太田の側線の端に置かれていたもの。かなり無理して撮影しています。
いまなら、駅の外を一周して他のアングルから撮るのでしょうけど、この頃はフィルムの枚数等もあり・・・そしてはじめてのローカル私鉄遠征ということもあったのでしょう・・・これ1枚しか撮影していませんでした。
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・日立電鉄 モハ1301 1989年4月 常北太田

日立電鉄独特の更新改造を受けているものの、四角四面の鉄の箱という感じがする車両。
そして、見れば見るほど独特の窓配置であることがわかります。今回はその点について、少々記したいと思います、

まず、この車両の車歴について。
1929年、小倉にあった東洋車輛で4両が宇部鉄道モハ21~24として製造され、1943年5月1日の国家買収後も車番は変わなかったものの、1945年に宇部の空襲によりモハ23を焼失。残った車両は可部線さらに富山港線と転出して1953年の一斉改番で、漸くモハ1300~1302と国鉄として正式な車番を振られたのち、1956~1958年に廃車。うちモハ1301・1302の2両が同じ宇部鉄道出自のクハ5300・5301と共に日立電鉄に譲渡され改番せずに使用された・・・ということになります。
詳細は拙サイトをご覧いただければ、と思います。

宇部鉄道の電車は空襲で電車区が焼けたことも関係するのか、私鉄時代の写真が殆ど残っていません。
しかし、1939年に牧野俊介氏が撮影されたモハ24の写真が鉄道ファン240号(1981年4月)の「宇部線を走った社形国電」に掲載されています。
その頃の窓配置はパンタがある側から、1D1D12D1。この車両を形容する際に「合造車を思わせる窓配置」という言葉が使われますが、もとはまさしく荷物室が存在していたようです。なお、窓は1段式、ヘッドライトは路面電車の如く、窓下に取り付けられていました。

この次は、戦後、1950年代に可部線または富山港線で撮影された写真となります。
ネコパブリッシング刊の「私鉄買収国電」に全車の写真が掲載されていますが、これらを見ると、パンタグラフ側のエンドよりの(荷物)扉は幅が狭められて乗務員扉になっています。逆エンド側は1300は原型のままですが、1301と1302は、扉が窓半枚分、車両中心側にずれ、運転席側には乗務員扉が設けられていたようです。これは鉄道ピクトリアル626号(1996年9月)のP28に掲載されている、1957年に沢柳健一氏が撮影されたモハ1302の写真から判断した結果です。
つまりモハ1300は(パンタ側から)1d1D12D1、モハ1301・1302は1d1D11D1(逆サイドは1dD11D1d1)となります。これらの改造は1951年に幡生工場で施工された模様。なお、富山港線所属時に1300・1301は非パンタ側の運転台を撤去・片運転台化され妻面の窓は埋められていたとあります。

そして、日立電鉄に2両が譲渡されるのですが、その時期はずれており、先にモハ1301が1957年に譲渡されます。国鉄時代の最終形態のまま2扉で使用されました。ただし、この時点で非パンタ側の乗務員扉は埋められて通常の窓(従って窓配置は非パンタ側から2D11D1d1)に変化しています。
一方、1959年に譲渡されたモハ1302は入線時に日車支店で3扉・2段窓にに改造されています。このときに、パンタグラ側の客用扉と、その直前の窓の位置を入れ替え、連結面寄りの窓を他の客用窓と同じサイズに拡張した結果、窓配置は1d5D5D1に変化します。
モハ1301も1963年2月に3扉化。こちらはパンタグラフ側の窓配置を弄らなかったので、(パンタ側から)1d1D4D5D1になりました。また増設した扉の開く方向が2両でアベコベになっています。

この後、ベンチレータをグローブ式に交換・・買収国電なので国鉄時代の施工と思われがちですが、日立電鉄に譲渡後に行われています。さらに1969年?にはモハ1301に対して車体更新工事を実施。この頃の日立電鉄の更新車におなじみのメニューが実施され、前面窓や戸袋窓など各所をHゴム化、他の窓は2段窓化、更にウィンドウシルを撤去しています。連結面寄りの窓はHゴム支持の窓1枚に変更されました。一点よくわからないのが、モハ1301の連結面の窓が開けなおされたのがいつだったのかという点。

モハ1301+クハ5301、クハ5300+モハ1302の固定編成で使用されていたものの、1979年、相鉄からモハ1007~1009などを譲り受けた際に、モハ1302およびクハ5300が廃車。その後、1985年にクハ5301が廃車になり、編成相手を失ったモハ1301は両運転台に復し、昼間のワンマン運転用に改造されます。
このときに、結構な改造が行われていることがわかります。パンタグラフ側の扉と窓をモハ1302の如く入れ替え、また助手側の乗務員扉を埋めています。非パンタ側の新設運転台部分も窓2枚若しくは窓と乗務員扉になりました。結果、窓配置は上記写真のように、1dD5D5D1.1となりました。
パンタ側の従来からある運転台は中央から左に移動しています。テールライトはガイコツ型から埋め込み型になりました。

下回りもいろいろ変遷を受けているようですが、詳細は不肖。
RMライブラリ64「日立電鉄の75年」には制御器がRPC101(国鉄CS-1)とあるものの、原型はHL。富山港線時代の制御器とも異なり、これへの変更は果たしていつなのか・・・

廃車は1991年のことです。


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by hiro_hrkz | 2016-05-11 00:51 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
蒲原鉄道 モハ61
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・蒲原鉄道 モハ61(後ろはクハ10) 1999年2月 五泉~今泉

 今シーズンは、「そこに雪はあるか」「ない」ということで、記録的なほどに暖かく雪が無い状況が続いています。新潟県の山間部でも非常に少ないと聞いています。本来なら、上の画像の程度の雪はあってもよさそうなものですが・・・。

これは、雪の中を走る私鉄の旧型電車を見たくて、その新潟県は蒲原鉄道へ行ったときに撮影したもの。17年前、廃線を半年後に控えた1999年の2月のことです。だいぶ前に取りあげたクハ10と同じ日の撮影で、その反対側。右側には、電車の通過を待っている子供の姿が写っています。

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・蒲原鉄道 モハ61 1999年9月 上:五泉~今泉、下:五泉

先頭に立つモハ61は1940年4月、日本鉄道自動車製。
もとは西武鉄道の前身・武蔵野鉄道の発注車 クハ5856で同社12年ぶりの新車でした。同じような制御車が合わせて7両製造されています。
車体長16140mm(最大長170000mm)×車体幅2600mm(最大幅2725mm)。ボギーセンタ―の間隔が10670mm・・つまり35フィートであることから、台枠はより古い時代の客車から流用したものと推測されています。台車共々、東武鉄道の中古ではないかと、どなたかが指摘されていましたね。

(新)西武鉄道成立後、クハ1232→1233と変遷。そして、1958年1月に、片運転台の制御車から両運転台の電動車に改造の上で、蒲原鉄道に譲渡されモハ61になりました。
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 台車はDT10とあるものの、実際に履いていたのはそれよりも華奢な印象のもの。DT10の軸間距離は2450mmなのに対し、こちらは竣工図上は2180mmで、いわゆるTR-10に包括されるものかもしれません。また、総括制御を目的に1971年3月に直接制御から間接非自動制御に改造しています。よく「HL制御」と書かれているものの、WH社もしくはライセンス生産の三菱製というわけではなく、単位スイッチ式間接非自動という以外の意味はないようです。


1978年にワンマン改造が行われたこともあり、1985年の路線の大幅短縮後も生き残り、1999年の廃線まで使用されました。現在は、もと蒲鉄沿線の冬鳥越で保存されています。
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by hiro_hrkz | 2016-01-10 01:27 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
東京急行電鉄 デハ3500形
東京急行の戦前形のことを、まとめて「3000形」などというと、そのスジの人に怒られてしまうわけですが・・・それはともかく、3000番台の車両は、3450形については50両が製造されバラエティーも豊かだったことから、書かれた記事も多いと思いますが、それ以外は、意外に手薄に感じます。
もちろん、関東大手で古くからのファンも多い東急ですから、記事も記録も(他社に比べれば)多いのではありますが。
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・東京急行電鉄 デハ3501 1989年3月 蒲田

デハ3500形は、もと東京横浜電鉄1000形。もともとは、1938年に目黒蒲田電鉄に12両、東京横浜電鉄に10両が認可されましたが、入線は両者の合併後の1939年でした。
台車が改軌を考慮した長軸式であったことはよく知られてますね。
制御装置は日立の電動カム軸式の多段式(MMC)を装備してことで知られますが、製造当初は13段のMC-200を装備し、1940年に21段のMMC-(H-)200に変更されました。なお晩年に使用してたのはMMC-H10Kは、1970年前後に再度交換されたもののようです。

東急の3000番台の車両は、その多くが戦後に車体更新で大改造を受けています。
3450形・3700形は、窓の天地を拡大したことで知られていますが、3500形は当初よりこのサイズ。それゆえか、1967年の更新では、車内の更新とアルミサッシ化などに留まっていました。
が、1976年以降、再度更新が行われ、このときに、張り上げ屋根にヘッドライト・テールライトの一体化で、海坊主などと揶揄されるスタイルに変化しました。これは1972年から更新が行われた3650形に準じたものですが・・・これが上記のような3450形との記録の差に表れているのかどうか。
それにしても、車齢35年で、ここまでの大改造をするとは・・・東急は、あと何年この電車を使うつもりだったのかとも感じます。最も、この年代の車両は他の事業者でも後世の目から見ると微妙な時期に大改造を受けているものが少なくありませんね・・たとえば、南海1200や京急420といったあたり。

結局、池上線・目蒲線で使われ続け、廃車になったのは1989年の春のこと。他社への譲渡事例はもちろんありません。
某所には四国の某社が小型車中心の某線用に・・・とありますが、真相は不明。同社のもと山形交通や南武鉄道の車両が同じくらいの車体寸法ではありますが、こちらは電動車で自重が37.7t~39.8tでは、自重30t以下に限定される同線には入線は無理だったのでしょうね。
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by hiro_hrkz | 2015-10-10 01:05 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
長野電鉄 1500形
ブログ開設10周年を記念して統計をとったら、長野電鉄を取り上げた回数が少ないことに気がつきました。
ということで、本日のお題は長電の車両から、最後まで残ったツリカケ電車を。
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・長野電鉄 モハ1501 1993年5月 須坂

言わずと知れた話ですが、長電は1981年3月に、連続立体化交差事業で長野~善光寺下が地下線になります。
これにより難燃化改造が難しい在来車は殆どが廃車になりました。
その中で、須坂~屋代の通称屋代線用に昭和20年代に製造された1000形グループのうちの何両かが残されました。

1948年に製造された、いわゆる運輸省規格型のモハ1001~1002に端を発するこのグループは、
電動車・制御車、或は新車・鋼体化車あわせて、一族14両を数えるました。
日本車両支店製の2扉車(最大長×幅:17600×2477mm)で、富山地方鉄道モハ14750とは、ほぼ同型で知られています。

改番や改造の変遷はややこしいので省略しますが、
長野市内地下化の直前の段階で、モハ1001~1004、モハ1011・1012、モハ1501・モハ1502、クハ1051・1052、クハ1061・1062、クハ1551・1552と電動車8両、制御車6両となっていました。
地下化による車両整理が一段落した1981年度以降に残ったのはモハ1003・1004、モハ1501・1502、クハ1552の5両。しかし、1985年に1003、1004、1552の3両が廃車になり、最後まで残ったのは1951年製のモハ1501・1502の2両でした。
 そういえば、この地下化の際に、1000より古い車両が福鉄と上田に譲渡されているのは不思議な感があります。戦後混乱期の製造であることが祟ったのでしょうか?

1500の主要機器は、長電の旧型車の標準に違わず、制御器は三菱のHL。ただし抑速制動付のHL-Dとなっていたのが珍しい点で、制御電源も架線降圧のほか、下り勾配区間での停車を考慮してバッテリーも併用(つまりHBにもなる)していました。
主電動機は出力75kwのウェスチングハウス556-J6を4機搭載、ブレーキは直通制動(SME)、台車は他の1000グループの電動車が日車D系なのに対し、住友KS-33Eとなっていました。自重は36tです。
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・長野電鉄 モハ1501 1993年5月 須坂

1000形は車両によって前面の貫通・非貫通がバラバラでした。
1501は貫通路付で窓枠も木製なのに対し、1502は非貫通で窓は3枚ともHゴム支持と、2両で印象は随分と異なるものになっていました。なお1000形の前面のカーブ具合は、同じ日車製の名鉄車(800や3800など)と比べてふくよかな印象がありますが、これは日車の戦前製ガソリンカーあたりを彷彿とさせると思います。
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・長野電鉄 モハ1501 1999年10月 須坂

私が須坂で1500を見たのは1993年5月のこと。
しかし、翌年に再訪した際にはワンマン化で3000形に置き換えらており、乗ることは叶いませんでした。
一応、モハ1501はイベント用?で、その後もの車籍を1999年まで有していましたが、使われたことはあったのかどうか・・・。

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by hiro_hrkz | 2015-07-29 01:44 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(2)
銚子電気鉄道 デハ501
銚子電鉄のデハ501といえば、小型電車として模型にも恵まれているため、
この種の車両としては知名度があるほうだと思います。
1947年日本鉄道自動車製で、もと近江鉄道クハ23→上田丸子電鉄丸子線モハ2321。
日鉄自の小型電車シリーズの一つであるこの車両の車歴は、だいぶ前・・鉄コレ第一弾が発売されたころにまとめていたので、リンクするに留めておきます。
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・銚子電気鉄道 デハ501 上:1994年7月 笠上黒生 下:1990年8月 仲ノ町

既に、デハ801が入って失職状態になっており、撮り辛いところに置かれていました。したがって、あんまりいいアングルで撮影していないのが残念なところ。そんな「失業車」でしたが、某工務店傘下になると新塗装になりました。下の写真はその直後で、未だ腰板に金色の縁取りやらロゴがない状態です。

それにしても長さ10990×幅2600mmの小さな車体に4個モーター、間接自動制御というのは、なかなか贅沢な仕様といいますか。ブレーキ(SME?)や抵抗器、あるいはMGやCPといった補機類とあわせて搭載できたものだと思います。

台車はNT-28。主電動機は芝浦SE-131-Eで出力45kw。
丸子線オリジナルの丸子鉄道デ201~202→上田モハ3151~3152がウェスティングハウス製造のW.H.546.8 出力48.7kwを4台搭載しているので、これに倣った仕様なのかもしれません。最も、同車は15m級車ですが。

主制御器も電空カム軸式のPC-3-Aを搭載しています。
上田の電車として見ても、電空カム軸式の制御器を搭載したのは、これが最初だったはず(電動カム軸式はもと総武鉄道のモハ1001→モハ5361がありますが)。のちに上記のモハ3151~3152と、それに先行して作られたモハ3131~3132も電空カム軸式になりモハ3351~3352、3331~3332になっています。
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by hiro_hrkz | 2015-04-10 00:30 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
高松琴平電気鉄道長尾線 880
私が見たことがあるコトデンの車輛の中で、
最も不運のクルマは、やはり880になるだろうなあ・・・と思います。
以前、ちょっとだけ触れましたが、今回はこちらにクローズアップしてみたいと思います。

 もとは総武鉄道(→東武鉄道野田線)が1929年に日本車輛東京支店で製造したクハ1201。同型のモハ1001・1002と共に1947年に琴電に入線し、9000形910と、7000形710・720となり琴平線に配置されます。
 昭和30年代には、もと山陽電鉄の920と合わせて4両で、E.E系の電動カム軸式自動加速制御器搭載車のグループを形成していましたが、1966年に他車に合わせて手動加速のHL制御に変更、さらに1974年に910が電装され730になります。 
 その後、1981年に710・720が廃車となりますが、残る730は当時琴平線で使用していた700番台の電動車(もと西武鉄道→山形交通)と共に1983年に電装解除の上で長志線に転属、880になります。
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・高松琴平電気鉄道 880 1990年8月 仏生山

が、もと山形交通の車両が長志線でも最大収容力を持つ車両として順当に使用されたのに対して、こちらは殆ど使用実績もなかったようです。1990年夏に、私がはじめてコトデンに行った際には仏生山駅の一宮側側線の奥に放置されており、色は褪せ錆が浮くなど、一目で使っていないことがわかりました。

転機となるのは1994年の瓦町駅改築に伴う長尾線と志度線の分断、そして1996年の井戸駅交換設備復活に伴うダイヤ改正での増発でした。このときに志度線に既存の車両を多くまわし、その分不足する長尾線には880および同様に長期放置状態にあった71を、徹底的に改修して復帰させることになりました・・・瓦町駅の改築構想は1970年代後半には既に存在していたので、放置は、意図的な温存だったのかもしれません。
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・高松琴平電気鉄道 880 1995年8月 仏生山

1枚目の5年後。荒廃が進み、窓ガラスは割れベニヤ板が張り付けられているところも存在していました。
この状態から、1996年秋に改修が完了し復活。このときに側面の扉を木製から鋼製に交換。また、ウィンドウヘッダーと、特徴的だった運転席上のルーバーを撤去したため、スッキリした印象となっています。
しかし、折角復活したものの、長尾線の制御車つきの運用は30形の2連3編成および、750形と860・870の2連2編成で足りており、今度は逆に仏生山駅太田側の側線で終日昼寝の毎日。
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・高松琴平電気鉄道 880 1999年4月 仏生山
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・高松琴平電気鉄道 880 2000年1月 瓦町
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・高松琴平電気鉄道 880 2000年7月 瓦町

電動車とペアで瓦町駅に予備編成として置かれていることもありましたが、定期的に走るのは4日に一度の仏生山への回送くらい。2000年7月に2週間ほど?定期運用についたことがありましたが、そのまま2000年の秋に廃車になりました。
600・700が入線した前後の1997~2001年は、頻繁にコトデンに行きましたが、結局、この車両が先頭に立って走る姿を見ることはできませんでした。

※2015.2.25 1995年8月の画像を追加しました。
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by hiro_hrkz | 2015-01-23 01:46 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
北陸鉄道石川線 クハ1720形
名鉄は1950年代後半~1960年代にかけて、いわゆるHL制御の車両の機器を流用して3700系列の電車を製造してゆきました。当初は木造車が種車でしたが、末期になると鋼製車も対象となります。この際に抜け殻になった車体は、中部地方の名鉄系列の事業者に譲渡されてゆきました。

名鉄の前身のひとつ、愛知電鉄が1928年に日本車輛で製造したデハ3300・3600、サハ2040を出自とするモ3300、モ3350→3600、ク2040もその一つ。
全通したばかり神宮前~吉田(豊橋)間の優等列車用に投入された18m級2扉クロスシート車で、1966年に残っていた13両全てが廃車になっています。

このとき余った車体は、大井川鉄道に2両、豊橋鉄道に4両、そして北陸鉄道に7両が譲渡されました。北鉄では3両を電装しモハ3771~3773に、残り4両はクハ1721~1724として、いずれも石川総線に投入しました。
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・北陸鉄道石川線 クハ1721 1990年8月 加賀一の宮 
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・北陸鉄道石川線 クハ1723 1990年8月 鶴来

画像は1990年にもと東急7000系が導入されたため使用停止状態で留置されていたときのものです。
他に、モハ2両もありましたが、場所が悪く撮影していません。

Hゴム大好き?の北陸鉄道にかかると、旧型車もご覧の通り・・・前面窓だけでなく、側面も上段がHゴム固定式でスタンディーウィンドウのようになっています。また、1721は外板の張替が行われており、リベットが消滅・ウィンドウシルは段付きから平板に、雨どいも撤去されノッペリとした雰囲気になりました。
さらに、ヘッドライトが独特の小型のものになったため一種異様な感じですね。客用扉は7000系入線に伴いホーム高さの扛上が行われたため、暫定的にステップが埋められています。

台車は、よくあるU型イコライザの釣合梁式ですが、車体に比べて華奢な感じですね。
北陸鉄道の車両は、一時期のコトデンほどではないにせよ、台車の振り替えが度々発生していたようです。
ちょっと調べてみましたが、素性は不明です。
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by hiro_hrkz | 2014-11-07 00:10 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)