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カテゴリ:鉄道(近代形電車)( 96 )
北陸鉄道浅野川線 モハ3011・モハ3301
北陸鉄道が昭和30年代に日本車輌で製造した15m級電車については何度か取り上げてきましたが、
今回のお題は、1958年(昭和33年)製のモハ3011とモハ3301です。

その前に、ここで一度これら15m級車の全容を再確認しておきます。
 最初に登場したのが、1956年製のサハ1000形1001・1002。両端とも丸妻・非貫通の附随車で、1966年5月に電装・貫通路取り付けが行われてモハ3730形3731・3732となります。配置は終始、石川総線でした。
続いて1957年8月製のモハ3201、クハ1001が製造され加南線に配置されます。モハ3201は両運転台で片側が非貫通の丸妻・もう一方が貫通の平妻。クハ1001は片運転台で、運転台がある側は丸妻の非貫通、連結面が平妻となります。
ここまでの4両はウィンドウシル・ヘッダーつきの外観です。
 1958年は11月にモハ3011が、12月にモハ3301が製造され、それぞれが石川総線と金石線に配置されます。
どちらも片側が非貫通の丸妻・もう一方が貫通の平妻なのは3201と同じですが、カーブの曲率や屋根の深さ等が変更されて浅くなり、またドアが開く方向が車体中央向きとなりました。詳細は後程。
そして、1961年8月にモハ3501が、1962年7月にモハ3551が製造され、浅野川線に配置されます。
こちらはどちらも平妻の貫通路付となりました。
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3301 1990年8月 内灘
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3301+モハ3501 1996年10月 粟ヶ崎
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3011 1996年10月 内灘
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3011 1994年9月 内灘

モハ3011は車体寸法が幅2600×長14650×3495mmで、窓幅850mm・扉幅1100mmというのはモハ3501等と同じで、15m級車の基本的な寸法です。これに対してモハ3301は窓一つ分短く、最大長が3011の15600mmに対して、15000mmと短くなっています・・・窓の寸法と合わない気がしますが、3301だけ違っていたのでしょうか。これは金石線が軌道線であったため2両連結にした際に軌道法での編成長上限である30mを超えないようにするため・・・と言われています。
 集電装置は、3011はZパンタ(「日車の図面集」による)、3301はポールと異なっていました。台車は上下揺れ枕式で枕バネがコイルバネ+オイルダンパ―、軸バネがウィングばねの日車ND-4Bで、これは3201、1001、3501と同系です。軸受けがコロではなくプレーンですね。

3301は1964年に金石線から加南線に転属。一方3011は石川総線から金石線に転属します。
ここで3301が600mm短かったことは一体なんなのか?と思うわけです・・・同線で編成を組んでいたモハ3000形は全長14820mmですから。なお、3011はモーターを外し制御車代用となっています。

1969年に3301が、1970年には3011が再電装の上で浅野川線に転属します。
このときに非貫通側にも貫通路を取り付けています。また、前面窓はサッシからHゴム支持に変わった模様です。
それぞれパンタグラフがある側がもと非貫通側で、よく見るとこちらは丸みを帯びているのに対し、非パンタ側は平妻であることが上の写真でもお分かりいただけるかと思います。
なお、両車でパンタグラフのある向きが逆となっています。

主要機器は3301は新品で、主電動機が日車NE-40(40.5kw)×4、主制御器が日車の電動カム軸式・自動加速のNCAです。一方3011は、モハ3051(→クハ1101)から外した日車NE-4B(出力不肖)と日立の電動カム軸式・MMC-L5を使用しています。時期的に1952年のモハ3051の鋼体化の際に取り付けたものでしょうか?
一方、モハ3011の再電装後は三菱MB-172R(37.3kw)×4ですが、これは本来なら路面電車用で金沢市内線あたりから転用したものかと邪推するところです。また、制御装置は3011、3301ともに浅野川線転属の頃に手動加速式のHL-74に変更しています。

さて、上の写真は、1990年以降に撮影したもの。
従って、本来埋め込み式のヘッドライトが単独のシールドビームとなり、また、戸袋以外の客用窓がアルミサッシに取り換えられて天地寸法が小さくなるなど、全般的に不格好(失礼)になっていた時期です。この中でも3301は廃車まで鋼製で側面のチグハグ感がありませんでした。

1996年撮影の2枚は、既に車両置き換えを目前とした頃で、ホームの扛上が行われてステップを暫定的に埋めた状態になっています。また、3011は内灘町のPR塗装となっていました。この車両は代替となる京王帝都3000系のうち1編成だけ入線が1年遅く、補助金の都合があったのか、昇圧後もしばらくは籍があり内灘に留置されていました。

※参考文献 
西脇恵「私鉄車両めぐり77 北陸鉄道[2] 」 鉄道ピクトリアル216号(1968 年11月)
西脇恵「私鉄車両めぐり77 北陸鉄道[終] 」 鉄道ピクトリアル218号(1968 年12月)
西脇恵「北陸鉄道」 鉄道ピクトリアル461号(1986年3月増)、
山本宏之「100周年を迎えた北陸鉄道石川線 1」 鉄道ピクトリアル918号(2016年6月)

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by hiro_hrkz | 2017-12-03 23:19 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
伊予鉄道 600形
伊予鉄道の鉄道線の電車は、1967年の横河原線電化で西武鉄道から川造形を購入するまでは、全て自社発注車でした。しかし、昭和30年代に投入されたのは600形1編成2両のみ。このあたりはコンスタントに新車が投入された市内電車とは対照的です。それは当時の車両構成を考えれば当然なのですが。

ともあれ、この600形は1958年ナニワ工機製。
自社発注車で唯一の張殻構造の車体を持つ新性能車でした。
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・伊予鉄道 モハ601 1990年8月 古町
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・伊予鉄道 モハ602 上:1993年8月 下:1996年10月 古町

車体寸法は長さ18000×幅2600mm(最大寸法は18800×2700mm)。私鉄中型車としては車体が細い一方で長いといえますね。
中央運転台で、前面は中央の窓が幅広の3枚窓構成。同じ時期にナニワ工機が作った地方私鉄向けの電車に当時の流行のせいか2枚窓(例1例2)が多いことを考えると特異な点です。これは伊予鉄が運転台の位置に拘ったゆえと思いますが、前面の見付けは、同時期に同じメーカーでつくられた路面電車との共通点を感じるところです。
客用扉の幅は1000mmと狭めで、落成当初はステップつき。また、連結面は幅広貫通路である一方、窓はありませんでした。

電気機器類は、それまでの伊予鉄の電車と同じく三菱製。従って、制御器は単位スイッチ式間接自動のABF-104-6ED、主電動機はMB-3032-C(端子電圧300V・定格出力75kw)を1両に2機搭載し、2両でMM´ユニット方式(1C4Mで直並列制御)となっています。制動方式は、発電制動・中継弁つき自動空気ブレーキ(AMAR-D)で、これも自動ブレーキの在来車との共通性を考えての選択でしょう。
台車は、軸バネがウィングバネ・枕バネが上下揺れ枕式でコイルばねの日車ND-104となっています。国鉄DT21に類似していますが、台車枠の側面に丸い穴が開いているの点に、この時期の日車製台車(例・NA-4)の特徴が表れていますね。
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さて、2両編成で落成した600形ですが、やがて伊予鉄は関東の私鉄から大量の車両を購入し3両編成が標準となっていきます。在来車も3連となりますが、その中で600形は併結できる車両がなく次第に運用しにくい存在になっていたようです。
そんな状況の中、1979年に長野電鉄から車両を購入・改造して3両固定編成となりました。
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・伊予鉄道 モハ603 1993年8月 古町

伊予鉄モハ603となったのは、もと長野電鉄1100形。木造車(モハ1、クハ61、クハ51 いずれももと信濃鉄道→国鉄)の機器を流用して1961年に日本車輛で3両が製造されました。長野市中心部の地下化に伴い廃車となり、モハ1101とクハ1151が豊橋鉄道に譲渡されモ1811+ク2811に、モハ1102が伊予鉄に譲渡されました。
車体の長さは600形と同じ18000mm(最大長1880mm)ですが、車体幅は100mm広い2700mm(最大2744mm)。前面はもともと貫通路付でしたが、改造されて601と同じようになっています。これは3両化にあたり運転台を撤去した602から移植したものなのか気になるところです。

機器類も、もとが釣り合い梁台車+吊り掛け駆動・HL制御・直通制動であったため、根こそぎ交換されています。
これには1977年に機器を交換したモハ303・304と共通するものが使われています。すなわち、制御装置は電動カム軸式の三菱ABFM-104-75MDA、主電動機は三菱MB-3054-D2(端子電圧375V・75kw)を4基搭載し、やはり1C4M制御となっています。制動装置は601・602に合わせてAR-D。台車はダイレクトマウント式で枕バネがコイルバネという住友FS504を履いてます。

なお、モハ602は運転台を撤去していますが、それだけにとどまらず、従来からの連結面と同様の切妻構造に変更しており、こちらもそれなりに大きな改造となっています。

それにしても、既に3扉が主力となっている状況での2扉車の購入、そして下回りの全面交換と前面の大改造などという大手術をしてよく導入したものだと思います。当時、大手私鉄でもこんな新しい車両は、まず放出されておらず(・・京成が他社に譲渡していれば別だったのでしょうが)、良好な案件ではあったのでしょう。

鉄道線用では600以来の自社発注となる610形に置き換えられ、1995年に廃車。
603は直ぐに解体されましたが、残る2両は保存する意図があったのか、その後も長い間、古町駅構内に留め置かれていました。

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by hiro_hrkz | 2017-09-10 00:57 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
弘南鉄道 3600形(全金属車)
弘南鉄道は、現在弘南・大鰐の両線ともに、旅客車はもと東京急行の電車がすべてを占めています。
現在の主力はオールステンレスカーの7000ですが、東急から弘南にはじめて車両が譲渡されたのは1975年のこと。
もと戦災省電の3600形で、番号もそのままに弘南で使われ始めました。
その直前に弘南線では、もと旧型国電を増備していたことを考えると、車体の大きさは納得のいく選択であります。

東急3600は、デハ3600(3601~3616)、クハ3670(3671~3679)、クハ3770(3771~3782)の3形式計37両からなるグループ。うち、デハ3601、3602、3607、3608、クハ3671~3675、クハ3771~3775の14両が、戦災車の鋼体を叩きなおしたもので、残り23両が戦災車の台枠を流用して車体を新造したものでした(以下、台枠流用車と表現)。前者は、クハ3771を除き、1960~1966年に東横車両製の全金属車体に交換されています(以下、全金属車と表現)。
定山渓鉄道に譲渡したモハ3両を除き、まず台枠流用車が1971~1975年に廃車、全金属車も1980~1982年に廃車になりました。

弘南には1975~1976年に台枠流用車のモハ4両、クハ6両が入線。続いて、全金属車が1980~1981年にやはりモハ4両、クハ6両入線し、合計20両の一大勢力となりました。
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・弘南鉄道弘南線 モハ3601 1995年8月 黒石
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・弘南鉄道弘南線 クハ3675 1995年8月 黒石
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・弘南鉄道弘南線 モハ3608 1995年8月 平賀
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・弘南鉄道弘南線 クハ3672 1997年8月 平賀

今回取り上げるのは、全金属車体のグループ。
1960年代に車体を新造した東急3000番台車の共通仕様で、スッキリした車体が持ち味です。
とはいえ、寒冷地を走る弘南鉄道でらしい改造も各所に施されています。

外観上でいちばん目につくのは、モハの貫通扉が塞がれたこと。
これは、弘南の他の車両でも見られますが、隙間風対策です。この改造で、どうも不細工になったものが多いのですが、この全金属車は綺麗な見た目をしていると思います。

また、客用扉は半自動式になり、手動開閉用の取っ手が取り付けられました。そして、片側の側面に3ヵ所、縦方向の雨どいが新設さてています。これで、側面が少々ゴツくなったようにも感じます。
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台車は、全車両が国鉄TR-11系で、日車や川車の釣り合い梁台車を多用していた東急の電車の中では、一番目につく差であったように思います。

線形が平坦な弘南線では、1M2Tの3両編成で使用されるのが基本で、3600もモハ+クハ+クハで組成され、朝ラッシュ時は2編成つなげた6連でも使用されました。一方で、後に昼間は乗客の減少から、Tを切り離して1M1Tの2連で走るようになります。

3600は、東急の3000番台車の中では、ずば抜けて高出力の主電動機、日立HS-269-Cr(定格出力142kw・・他に東武78系→5000系がこの系統の主電動機を使用)を搭載しており、こうした使用条件に合致していました。
それにしても、もともと3600が装備していた国鉄の100kw主電動機(MT-7、MT-10等)から、昭和40年代になぜこんな高出力なものに交換したのか興味があります。東急3000番台の主流・・すなわち3450、3500、3650は出力94kwの日立HS-267-*rを使用していたのですから・・・余談ですが、運輸省規格型の3700や、2両だけ製造された3800は出力110kwの東洋TDK-528-9Hを使用していました。

制御器は、戦後の東急3000番台の標準である、日立の電動カム軸・多段式のMMC-H-10系を登載しており、これも昭和40年ごろまでに交換されたもの。弘南線は電動車がすべて当形式になったため、自動的に日立MMCで統一。弘南線に残存した旧型国電2両と、もと阪和→国電→松尾の2両(いずれも制御車)は、従来のCS系からMMCに合うように手を加えられました・・・・といいたいところですが、これまた疑問が。

というのも、東急3000番台車のマスコンは国鉄MC1。当然、もと旧型国電の各車両とは同じはずです。
そもそも、東急3000番台でも3400あるいは、それより古くに廃車になった3200あたりは、制御器が旧型国電の標準である国鉄CS-5を使用していました。
はたして、一部文献(たとえば鉄道ジャーナル1981年8月号「ある戦前派ベテラン電車の半世紀」)で見られる4両を東急3600に合わせる工事とは、どのようなことだったのか・・・。

私が弘南鉄道を最初に訪れたのは1994年2月。
このとき、既に7000系への置き換えが一段落しており、3600は3編成しかありませんでした。
上の写真のうち、モハ3608は平賀構内で入替中のところで、この年の10月には廃車。
最後まで残ったのはモハ3601-クハ3773-クハ3672で、廃車は1999年でした。

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by hiro_hrkz | 2017-06-07 02:25 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
長野電鉄 0系「OSカー」
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・長野電鉄 クハ51 1994年3月 朝陽

OSというと、現代ならオペレーティングシステムというのが一般的なところですが、
やはり鉄道マニアとして思い出すのは、「Officemen & Students Car」であると思います。
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・長野電鉄 モハ1 1999年9月
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・長野電鉄 クハ51 1999年9月 須坂
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・長野電鉄 モハ2 1997年2月 須坂
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・長野電鉄 クハ52 1994年3月 朝陽

改めて説明するまでもない電車ですね。
長野電鉄0系電車は、1966年日本車輌で2連2編成が製造されました。
ローカル私鉄の自社発注車では大変珍しい20m級4扉車です。しかも朝には2本つなげて4連で使用したというのは、登場時は特にインパクトの強い話だったはずです。なにせ、20m級(以上)で4扉両開きは、当時の私鉄では、東武8000、小田急2600、相鉄6000、近鉄通勤車、および営団5000系しか存在していませんでした。そして車両形式の「0系」というのも、より印象的なものにしたことでしょう。

車体も鋼製ながら前面に強化プラスチックを使用しており、複雑な造形・・たとえば、運転席窓回りは傾斜がつけられ、前面方向幕上部がその両側よりも凹んでいる・・・も、当時としては斬新なものだったと思います。側面の方向幕も、まだ大手私鉄でも実用化されていなかった時代につけたことになります。こういうった点は、メーカーとして、実験的な部分もあったのではないかと推測されるところです。

電気機器類は、長野電鉄の伝統に従い三菱電機製で揃えられており、制御器はABFM、主電動機は135kw×4でWNドライブとなっています。日本国内で狭軌用のWNドライブが初採用されてから約10年で、随分と高出力になったことがわかります。ただし、それでも外形寸法が大きい為か車輪径がモハが910mm、クハが860mmと異なったものになったようです。
 この主電動機の出力は、40‰勾配が連続する山之内線で使用し、かつMT編成としたためですが、一方で在来車には多く装備されていた抑速制動もしくは発電制動はありませんでした。主電動機の熱容量といった技術的な理由なのかどうかはわかりませんが、このことは引退間近の頃の鉄道誌を読むと、この電車の寿命を縮めることに繋がったようです。
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台車は日車NA-18。
インダイレクトマウント式で枕ばねはコイルバネかつオイルダンパ付き、軸バネはペデスタル式となっています。

長野オリンピックを目前にした1997年に廃車。
うち、モハ1+クハ51は暫くの間、須坂駅に留置されていました。1999年の写真はそのときのもので、方向幕が「特急」になっているのはご愛嬌です。
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そして、自分が作った模型と並べて1枚ほど。今では鉄コレがありますが、そんなものの影も形も無かった当時。
側面はGMの西武451系を片側4か所の切り継ぎと戸袋窓を埋めて作り、前面は同じく京成3500系キット附属の京成3150用を改造、そして、台車はDT-20を履かせてあります。
「長野オリンピックを記念して~」と言いながらの大改造でしたが、あれからもう19年も流れているんだなあ・・・と、ふと思ったところです。

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by hiro_hrkz | 2017-03-10 01:10 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
福島交通飯坂線 サハ3000形
福島交通が、昭和30~40年代に日車に自社発注した飯坂線向けの車両は、過去に連節車のデハ5012+5013と、2両固定のモハ5114+クハ5215について取り上げましたが、本日は下2桁の番号順でその次の車両がお題です。
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・福島交通飯坂線 サハ3016 1991年3月 桜水

モハ5114+クハ5215と同じく1966年に製造されたのが、附随車のサハ3000形3016、3017の2両。
ローカル電鉄が附随車を自社発注した事例は珍しいものです。
しかも、両端に貫通扉付で固定編成の中間に入ることを意図したと思える設計なのに、
実際には在来車で15m級のモハ1200形に挟まれて使用されていました。
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・福島交通飯坂線 モハ1202+サハ3016+モハ1211 1991年3月 桜水

当初より在来車に挟むつもりだったのか、それとも3両編成新造の計画があって先行して登場したのかは、今となってはわかりません。この車両が、それよりも小さく外観も全く異なる電動車にサンドイッチされた編成は、飯坂電車の名物ともいえるものでした。

車体はクハ5215の運転台をなくした形状で、最大寸法(長×幅×高)も全く同じ18700×2866×3886mm。
台車も同じペデスタル式の軸箱保持のNA-19Tでした。
車体はこれといった特徴もありませんが、福島駅側の連結面のうち、片側にしか窓がないのは、その部分の室内に配電盤が設置されていたためです。

昇圧後、サハ3017の車体が桜水駅構内で倉庫として使われていました。
当初は、塗装もそのままでしたが、後に窓ガラスを含めて茶色一色に塗りつぶされました。
そして、今年秋、東急から1000形電車を導入するのに伴い、その搬入スペース等を確保するために解体されたようです。
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・1997年3月 桜水



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by hiro_hrkz | 2016-12-11 01:15 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
広島電鉄宮島線 1090形1094
広島カープが25年ぶりに優勝しましたね。
おめでとうございます。

ということで、今回は、24年前の広島のネタから一つ。
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・広島電鉄宮島線 1094 1992年3月 荒手車庫

広島電鉄宮島線は、かつては線内専用の高床車を走らせていましたが、これの最終運用は、それこそ25年前・・・1991年8月のことでした。私はわずかに間に合わず、荒手車庫に留置されていた1090形1094を遠くから見るだけでした。

1090形は、もともとは京阪電鉄の木造車200形229・230と100形109・111で、大戦中の合併で阪急となっていた1947年に広島電鉄に譲渡され1050形1051~1054になりました。その後、1953年にナニワ工機で車体を新造。前面2枚窓で側面はスタンディウィンドウというスタイルは、その後、同社で作られた栗原電鉄M15形などに受け継がれていると思います。
前面上部の通風孔と路面電車のような扉配置に特徴がありました。

主電動機はいずれも東洋電機の50馬力・TDK-9C(出力37.3kw)×4でした。が、制御器はそもそも100形の制御器を交換して総括制御可能になったものが200形ということもあり、もと200形の1051~1052が日立の電空カム軸式・自動進段のPR-100なのに対し、もと100形の1053~1054はイングリッシュエレクトリックの直接式・Q2Dと異なっており、こちらは鋼体化時に同じEE製の電動カム軸式 M15-Aに交換しています。台車はブリル27E1でした。

さて、時は流れて1979年、1053・1054を改造して2両固定編成に改造。このときに下回りは交換され、制御器は東洋電機の電動カム軸式・ES-762A、台車はボールドウィン78-25-AA、主電動機は東芝SE-180(出力90kw)×4になっています。
これらは、阪急電鉄の電動貨車4200形が1967~1969年の神宝線昇圧に際して交換した機器である模様・・・4207が1977年、4209が1979年に廃車になっているので時期的にも合致します。
車体は前面の通風孔を埋めて大型方向幕を設置、車掌台は引違い窓に改装されています。

1053・1054は1982年に1091・1092に改番。1980年に一旦廃車になった1051・1052も、この年に1053・1054と同様の改造を経て、1093・1094として復活しています。
そして、1984年に路面電車と同じ手法で三菱製の冷房機を登載、ただし能力は若干高いCU-77NH(26000kcal/h)となっています。

廃車は1053・1054が1990年、1051・1052が1991年で、冷房機は当時製造中だった3900形に転用されています。
上の写真で屋上がスッカラカンなのはそのため。
その後、2002年に米国のトロリーミュージアムに台車を譲渡するために、解体されました。
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・1995年8月 荒手車庫


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by hiro_hrkz | 2016-09-11 18:27 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
東武鉄道 3070系

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東武鉄道が1960年代から80年代にかけて製造した、在来車の機器流用による車体新造車。
その開始は1964年で、73系の更新が終了した頃になります。車齢40年近くになり構造もバラバラの在来車の車体を廃棄し、統一された車体に載せかえて輸送力を増強・・・というのは、この時期の関東大手私鉄に多く見られた現象ですね。東武の場合は、それが長く続いたところに特徴があるといえるかもしれません。

このうち昭和30年頃までに製造された中型車を18m級車に更新したのが30系。まず、東洋電機ES-530制御器などを搭載した32系を種車とする3000系、つづいて日立製作所PR-200およびMCH-200制御器※を搭載した54系を種車とする3050系と続き、一番最後に更新されたのがが国鉄CS-5制御器を搭載した53系などを種車とした3070系でした。
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・東武鉄道 モハ3573 1995年6月 東武日光
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(上から)・東武鉄道 モハ3173 サハ3273 モハ3373 クハ3473 1995年6月 下今市

3070系の更新は1974~75年に実施。2連5本と4連6本の合計34両が、津覇車輌製の車体に変わりました。
なお、当初は5000系を名乗っていましたが、後に78系更新車に番号譲るために3000番台に統合されています。
8000系の前面と2000系の側面を組みわせたような・・・と例えられるのは、それまでの30系と同じ。
ただし、乗務員室が、運転側・車掌側ともに拡張されています。
前面には、種別幕がありますが、これが1文字づつ操作して合計3文字を表示するタイプで、時々、とんでもない組み合わせになっていたことが記憶に残っています。

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下回りは、基本的に種車のそれを流用していたため、台車も各種が存在していまいた。
画像はモハ3173が履いていたボールドウィンBW-78-25Aと、クハ3473が履いていた扶桑FS-7。
後者は住友金属が戦後、高速台車振動研究会の成果を基に昭和20年代に製造したもので、一体鋳鋼台枠・軸バネにウィングバネを採用し、後の様々な台車に繋がっていきます。

主電動機は東洋電機のベストセラーTDK-528/9-HM(定格出力110kw)を使用。
制御器は、種車のうちモハ5324が東洋の電動カム軸式 ES567を、モハ5800・5801が日立の電動カム軸・多段式のMMC-H-10Eを搭載していましたが、全て国鉄CS-5(と、弱め界磁用のCS-9)に変更しています。このとき、一部は国鉄から新たに譲り受けており、大船工場に出向いたという話が知られていますね。

ところで、東武30系のうち、3000系と3050系は併結できたものの、3070系は制御器の関係で併結できなかったと解説されることがよくあります。しかし、英国Dick kerr→E.E社系の電動カム軸式であるES-530は兎も角として、3050系の種車である54系の一部に取り付けられていたPR-200は国鉄形式CS-3で、CS-5と同じ電空カム軸式。当然国鉄では混用もされていました(MCH-200は電動カム軸式で、3050系はこちらに統一されていた模様)※。
両者が併結できなかったのは、制御器が原因というよりは、マスコンが3070系は国鉄MC1なのに対し、3000・3050系はデッカー系のM-8Dだった(手動加速と自動加速を選択できた)ことに求めるのがスジでしょう。

余談ですが、CS-5は各社で製造されましたが、その基となったのは芝浦製作所がGEとの技術提携で製造したCS-1ことRPC-101。CS-5にもメーカー型式があり、芝浦製作所ではRPC-105となるようです(参考)。

3070系は、栃木に配置され、宇都宮線・日光線・鬼怒川線で使用されました。さらには、一時期は野岩鉄道に乗り入れて会津高原まで走っていました。たしか、野岩線開業時のニュースでこれが出てきてびっくりしたことを覚えています。
個人的には、子供の頃、栃木駅でこの電車を見たとき、8000系と同じ車体なのに走行音が78系・73系と同じであることに不思議な感を覚えたものです・・・地元西武にはこの手の電車は多かったのですが、車体の色が違ったので、違和感が無かったのでしょう。

この写真を撮影した翌年、1996年には、全車両が廃車になったようです。
新しい車体は実質20年ちょっとの使用で終わりました。

※2017.12.12 PR-200制御器とMCH-200制御器に関し記述を訂正しました。

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by hiro_hrkz | 2016-06-11 17:27 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
富山地方鉄道 10030形 
もと京阪3000系テレビカーの富山地方鉄道10030形。
同社の主力車種の一つですが、既に入線から25年が経過しているのですね。
時の流れは早いものです。

さて、10030は、近年、1編成が京阪時代の塗装に戻していますが、
そもそも1990年に入線した若番2編成は、京阪時代の塗装のままで長く使われていました。
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・富山地方鉄道 モハ10032+モハ10031 1994年9月 宇奈月温泉
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・富山地方鉄道 モハ10034+モハ10033 1994年9月 稲荷町
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・富山地方鉄道 モハ10034+モハ10033 1999年6月 寺田

正直なところ、当時の地鉄の標準色である「雷鳥色」になるとばかり思っていたので、この姿での登場は少々ガッカリしたのを思い出します。とはいえ、幌も鳩マークもなくなると、前面の印象は随分とあっさりしたものになりますね。
前面の助手側上部に付けられたハコ(アンテナ)は地鉄での後付ですから、京阪と同じ色を新たに塗ったということになります。
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・富山地方鉄道 モハ10035+モハ10036 1993年3月 宇奈月温泉附近

そして、3番目に登場した10035+10036は、富山地鉄新塗装の黄色と緑となりましたが、前面にのみ赤帯が入るものとなっていました。直ぐに、現在と同じ塗装となり、この姿は短命に終わりました。

さて京阪と地鉄は軌間が異なるため、台車・主電動機は、営団地下鉄3000系のそれを使っています。
もともとは、京阪3000は車体直結式の台車を履いていたわけですが、一方で1990年当時に廃車になっていた狭軌の電動車でこの構造のものは営団3000系初期車の住友FS-336くらいしか無かったため・・といわれてます(当時の記事で読んだ記憶)。しかし、乗り心地に難があったため、同じ営団3000でも後期車が履いていた上下揺れ枕式のFS-510になりました。
上の画像は既に全てFS-510ですから、余程難があったのでしょうか。台車の取り付け部分は、かなり改造したのでしょうね。

その後は、全8編成のうち6編成が国鉄DT32台車とMT54主電動機(出力120kw=160PS)の組み合わせに変更されており、形式の上3桁が主電動機出力(PS)を表す地鉄では珍しく合致していない状況になっています。
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・1993年3月 南富山

画像は1993年当時、南富山駅構内に置かれていた未改造の3010と3509。のちに、最終編成のモハ10045+モハ10046になります。台車は仮に履いているだけで、車体が随分と高く持ち上げられています。
この台車が国鉄DT32かTR69ですが、時期的にみて、他の車両に使われたものでしょう。
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・富山地方鉄道 モハ10034+サハ31+モハ10033 2015年4月  大庄~月岡

最後に、ダブルデッカーのサハ31を挟んで京阪時代の塗装となった10033+10034の画像を。
詳しい説明は不要ですね。
かつて「狭軌線でのダブルデッカーは重心の関係で無理」といわれていたことは、1989年にJR東日本が2階建てサロを登場させて覆されるわけですが、それでも標準軌線の2階建て車が台車を履き替えて狭軌線を走っても問題がないのだなあ・・と改めて関心してしまうものです。

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by hiro_hrkz | 2016-03-11 01:29 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
栗原電鉄 M15形
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宮城県北部の石越から若柳、栗駒を経て細倉の間を結んでいた栗原電鉄。
762mm軌間・非電化でしたが、1950年に直流750Vで電化、そして1955年に1067mmに改軌しています。
この改軌時に投入されたのがM15形M151~M153の3両。当時としては非常に珍しいアルファベットを車両の記号としたことで知られます。1995年に、第3セクターのくりはら田園鉄道に移行するまで主力車両でした。
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メーカーは、ナニワ工機で、最大寸法(長・幅・高)は15700×2700×4080mm。
側面の窓は上段がHゴム支持の、いわゆる「スタンディーウィンドウ」を採用しています。
前面は2枚窓で、このあたりの車体の造りは同時期にナニワ工機で製造された広島電鉄1050形、下津井電鉄モハ102・クハ22、京福福井ホデハ241、水間鉄道モハ251といったあたりとの共通性が見られます。
車内は至ってオーソドックスな造りですが、照明に新製当時から蛍光灯を採用し、かつカバーが取り付けられていたのは、この車両が長らく「デラックスな車両」と言われた所以だったとも思います。

下回りに目を転じると、ブレーキは直通制動(SME) 。
台車は住友FS-21で、上下揺れ枕をオイルダンパ付きのコイルばねで結び、軸箱保持はペデスタル式というもの。この時期の新型台車によく見られた構造ですが軸距が短めであること、またブレーキシューが片抑え式になっている点が注目されます。
吊り掛け駆動式で、主電動機は三菱MB-330Arを4機搭載。出力は40kwと低めですが、栗原電鉄の表定速度は線形の割にそれなりに高かったこと(25.5kmを44分程度で走破=表定34.7km/h)を思い出します。

そして、制御器は・・これが詳細不明。書籍(たとえば鉄道ピクトリアル477号 特集「東北地方の私鉄」)を見ると、「UP-731」とあるのですが、このような型番は聞いたことがありません。写真を見る限り、外観は三菱の間接非自動・単位スイッチ式・・・要するにWH-HLと酷似しているので、その系統のものだとは思うのですが・・・・。
なお、西武鉄道から譲り受けたM181は「UP-51」とありますが、これも外観上はM151と大差なく、同種のものだったと推測されます。
(新車のパンフレットを見れば、一目瞭然なのでしょうけど)。

電装品が三菱製だったのは、この路線の顧客であった細倉鉱山が三菱系であったことと関係があったのかどうか、気になるところではあります。

(上から)
・栗原電鉄 M152 1994年2月 若柳
・栗原電鉄 M151 1995年8月 若柳
・栗原電鉄 M153 1995年8月 若柳
・栗原電鉄 M152 車内 1994年2月
・栗原電鉄 M151 FS-21台車 1995年8月

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by hiro_hrkz | 2015-12-09 02:42 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
近江鉄道 モハ1形・クハ1213形
近江鉄道は、親会社の西武鉄道に倣ったのか、昭和30年代中ごろから自社の彦根工場で車両の「自作」をはじめます。このうち1963年と1966年に完成したのが、モハ1形1~6とクハ1213形1213、1218~1222です。
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・近江鉄道 モハ1 1996年10月 彦根
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・近江鉄道 モハ3 1999年10月 高宮
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・近江鉄道 クハ1221 1993年8月 八日市

 例によって例の如く名義上の車籍は流用されたもので、モハは1928年の全線電化・1500V昇圧時に投入されたデハ1~9(当時の親会社、宇治川電気より旧・神戸姫路電気鉄道1形の車体を譲渡・流用)が出自となります。一方、クハはもと西武のクハ1250形の鋼体化なるも、これとて車籍流用車で、もとは蒸気動車に木造客車となります。なお、クハ1221と1222は珍しくも、綺麗な籍の新造車となっています。

車体は、前年の1962年に作られたモハ133形・クハ1214形とほぼ同一で、最大寸法(長・幅・高)は15890×2740×4220(クハ3917)mm。前面2枚窓で一応湘南形となっていますが、丸みが無く全般的にカクカクした印象となっています・・・1961年に、はじめて彦根工場が手掛けたクハ1212は丸妻だったので、一体ナニがあったのか。
屋根も一般的な電車に比べてやたらと薄い印象。そこにグローブベンチレータがズラっと並んでいるところに、西武系の印象を強くします。

自重は装備品の変化と共に増えて行った模様。
1970年の諸元表によれば、クハは21.3t、モハは28.5t。
このときは、台車はクハがTR-11、モハはKS-33L、ブレーキはAMJ・ACJ(GEの自動ブレーキAVRのこと)、主電動機は70kw×4(型式は記載がなく不明)、制御器はPC101C2を搭載していました。すなわち、鋼体化前の機器を使っていたようです。

一方、1984年の諸元表では、クハが24.5t、モハが34.5t。
モハの台車はDT-12、ブレーキはAMA・ACA、主電動機はMT-15(端子電圧675V・出力100kw)×4、制御器はCS-5と国鉄型に交換されています。1970年代中ごろに旧型国電の解体を請け負っていたことと関連しているのでしょう。
それにしても、これで6tも自重が増えるものなのか・・・ほぼ何もしていないクハが3.2tも増えるのは謎です。

画像はいずれも1990年代にはいってからのもので、モハ1以外、台車が西武から譲り受けたエアサスのFS-40になっています。また、ワンマン運転対応ということで、乗務員扉脇にバックミラーが取り付けられています。
このほか、ブレーキは近江鉄道の特徴であった、自家製?のブレーキハンドルが特徴の全電気指令式(HRD)に改造されています。
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・近江鉄道 モハ2(上)、クハ1222(下) 2000年8月 武佐

1990年代中ごろまで使用されていましたが、1990年代後半に入り西武から401系を譲り受けると、そちらに車籍を譲る形で廃車になりました。
このうち、最後まで残っていたモハ2+クハ1222は、廃車を前にした2000年に旧塗装のウォームグレーとローズ(つまりは西武の旧塗装と同一)に復刻して運転されました。

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by hiro_hrkz | 2015-09-13 00:29 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(2)