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年末の雑感 ~あなたはそんなにパラソルを振る~
手に届きそうな場所にあると思ったものが、
近づいてみたら、実際にはただの蜃気楼だった・・・。
まぶしく見えるものほど、錯覚を起こしやすい。
なにかそんなことが原因の徒労感をただひたすらに感じる1年でした。
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 今年は3月~4月にかけて2ヶ月程、ブログの更新をお休みしました。
実は長期の海外出張が理由でしたが、これがきっかけで、私にブログを書かせ続けていた何かがぷっつりと切れてしまいました。以降、更新頻度の低下・・・それは夏の猛暑が追い討ちをかける形となり、結局、秋以降、バス2:鉄道1の比率をベースに更新頻度を落として、なんとか持続している状態となっています。
月末に何か発言したくなるだけの気力も既にありません。いよいよ、潮時なのかもしれません。

ということで、今年の総括。
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by hiro_hrkz | 2010-12-31 02:24 | 言いたい放題 | Trackback | Comments(0)
神奈電をもう一度
ただいま、こんなものを製作中です。
e0030537_0144349.jpg
暫くぶりに神奈電の模型を取り出したあと、最近の鉄コレと並べてみました。
自作とGMのキット改造しかなかった15年前に比べ、いまやガレージキットから鉄コレまで素材はいろいろ。
台車も弓形イコライザや、KS-30、KS-33タイプも手に入るなど、隔世の感があります。
鉄コレ動力のおかげで、動力車化もらくらく。
今、「俺様地方電鉄」を作りたければ、その労力は遥かに少なくて済むわけです。

それならば、今ある素材で神奈川電鉄を作ったら、どうなるんだろう?
ということで、4両ほど作成してみることにしました。
e0030537_0223959.jpg
まずは一番右。
もと宮城電鉄モハ801→国鉄モハ2320を譲り受けた、神奈電モハ3600です。
もともと、鉄コレ12弾の近江鉄道モハ51を見ながら作成を思いついたのですが、近江のほうが若干窓幅が狭いことがわかり、結局は手許に多量のストックがあった第一弾の上田交通モハ2321を2両切りついで作成しています。
扉の幅は、上田のまま(1100mm)だと戦後製のモハ810~813になりますが、プロトタイプは戦前製なので、ここをつめて900mmとしています。従って側面の切り継ぎは片側5箇所となっています。

前面は共に非貫通側がベースで、窓柱を削って窓幅を拡張したあと、新しい窓柱を設置、さらに乗務員扉を転用した貫通扉を設置しています。

現在の設定では、3600は片運転台で、もと青梅電鉄の車両と編成を組んでいます。が、今度は両運転台で作成したので、この設定も大きく変わります。16.5mが最大長という設定の大山線・秦野線の車両になり、青梅車には鶴見臨港モハ500→モハ1520をあてがおうと考えています。
・・・実は、神奈川電鉄の車両設定はなんにも考えていなかったので無理があるものがいくつか(・・・いや、全部か)あります。とりあえず東急5000や玉電改造車、北陸鉄道は外す方向です。まあ、これはMODEMOの玉電80とGMの江ノ電600を並べたときの落胆が原因だったりもするのですが。
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左側の2両は、もと富山地方鉄道のクハ90、あらため神奈電3820、1820です。
これは鉄コレ7弾の三岐鉄道クハ1601(もと西武451系)が格安で売られていることから思いついたもの。
くわえて、現在の作品は状態不良車となっているので、どうにかしたいというのもありました。
ちなみに前作はGMの西武451をベースとしてますので、正に素材の変化を実感する作業です。
車体は幅を1mmほどつめています。連結面はそのまま幅つめすると貫通路が狭くなってしまうので、一度幕板の中央から下を切り出し、両脇を削って、後から最接合しています。
側面は扉間から窓一枚分狭くして、戸袋窓を埋めただけ・・・と書くと楽なのですが、窓埋めは正直嫌いでして・・・。幕板は地鉄90の方が幅広の印象があるため、雨どいを削り取り、側板の上に、エバーグリーンの0.75×0.5mm帯材を新しい雨どいとして取り付けています。
このあとは屋根と前面の作成が待っています。
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最後は、神奈川電鉄のオリジナル。モハニ2410です。イメージは近鉄ナローのモニ220。
現在の作品はGMのクモハ73がベースですが、今回は、鉄コレ9弾の山陽電鉄702・709がベースです。
この車両、フリーランスにはちょうど良いかも・・と思っていたのですが、細部の寸法に癖があり、なかなか改造は厄介なことになっています。とりあえずここまで来ましたが、客用扉の上でシルを増設するなど、まだまだ手のかかる作業が待っています。ちなみに、これが一番最初の着工(2411も状態不良車)なのですが、完成は一番最後かな・・・と。

なお、10月の記事で、作成中の姿をお伝えしたキハ41000改造電車も神奈川電鉄に入線させることにしました。
また、鉄コレ製品化が相次ぎ作る気をすっかりなくしてしまった豊橋鉄道用に購入したリトルジャパンの名鉄3800も神奈電3750・1750に転用しようかと思っています。

こうして、現在手許には10両分の作成中ボディーがゴロゴロ・・・。
お粗末な限りでございます。
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by hiro_hrkz | 2010-12-30 01:07 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Trackback | Comments(0)
一畑バス いすゞKC-LR333F/KC-LR333J +IBUS
島根県は一畑バスから、KC-のいすゞ中型車を3っつほど。
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・一畑バス KC-LR333J +IBUS 2009年2月 島根県松江市

一畑の路線バスは、その殆どがいすゞ車であり、
また平成元年排ガス規制車(U-)以降は、やはりその殆どが中型車となっています。
これは、その中でもオーソドックスな2段窓で軸距が長い(4.40m)タイプ。
車内は通路だけワンステップですが、まあ、ありふれた感じの車両です。
同じタイプでも、西工架装車のほうに目がいってしまうというのもあるでしょう。
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・一畑バス KC-LR333J +IBUS 2009年2月 島根県松江市

その後、前中扉間が座席部分を含めてワンステップの車両になると
これまた定番の変化といいますか・・・冷房がコンデンサ屋上搭載に変わり、
窓は逆T字窓となります。ただし、サッシは銀色のまま。
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・一畑バス KC-LR333F +IBUS 2009年2月 島根県松江市

さて、一畑は、長さに関しては長短両方を導入しています。
ということで軸距が短い3.75mの前中扉間ワンステップ車がこちら。
首都圏なら京成、京阪神圏なら阪急の事例が知られていますが、そんなに数はないタイプだと思います。
長さ以外は上の車両と仕様はあまり変わりません。

ただし、各車両の登録番号に注目。
実は、この短軸距車がいちばん若い番号(1997年式)なのです。
つまり、(通路だけワンステのLR333J→)前中扉間ワンステのLR333F→通路だけワンステのLR333Jと前中扉間ワンステのLR333J(1998年式)の順に導入されたことになります。
この車両は、例外的な車種選択だった日デKC-RN210CSN(7m級ワンステップ車)と同時の購入で、共に、松江温泉駅~日赤病院~松江駅の路線に投入されたと記憶しています。ひとあし早くこの仕様になったのは、そのような経緯があるのでしょう。
RNは、上記路線の廃止後(と思われます)、使い勝手の問題があったのか廃車になり、栃木県は塩谷町のしおや交通に移籍していますが、こちらは、そのまま使用されています。


#余談ですが、どこかのムックのLR333という省略の仕方(エルガミオだってLR333になります)と、
#例によって例のごとくの偏った事業者で「ララバイ」などと言う勘違いぶりは、どうにかならんものなのかな。
#本の後ろ半分は貴重な写真ばかりだというのに・・・。毎度毎度のことですが。
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by hiro_hrkz | 2010-12-29 01:22 | バス(川重/IK/IBUS) | Trackback | Comments(2)
銚子電気鉄道 2000形
それにしても、まさか2010年になって、
関東地方で京王のグリーン車に乗れる日が来るなんて思ってもみませんでした。
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・銚子電気鉄道 デハ2002-クハ2502 2010年12月 犬吠

銚子電鉄の車両置き換えは、当初京王3000の改造車で行う予定でしたが、様々な理由で頓挫し、伊予鉄道からもと京王帝都2010系の800形を購入することになりました。そのニュースの一報を聞いたとき、私は高浜・郡中港側の先頭車(ラッシュ時に1両で車庫に帰ってくる例のヤツです)を単行用に改造して使うものだとばかり思っていました。が、実際には2両編成を、そのままの形で使うことになりました。

2010年7月に運行開始。これでツリカケ駆動の車両はお役御免となりました。
とくに、デハ801は伊予鉄道に京王2010系入線により代替で廃車、銚子にやってきたという経緯があります。それをまさか銚子で4半世紀経過後にもう一回再現することになろうとは・・・。
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(上から)
・デハ2001 仲ノ町
・クハ2502 笠上黒生 
・クハ2501 仲ノ町 いずれも2010年12月

この4両の電車について改めて、おさらいを。

車歴は以下のようになります。
京王帝都デハ2070→伊予モハ822→銚子デハ2001  1962年 日立
京王帝都デハ2069→伊予モハ823→銚子デハ2002  1962年 日立
京王帝都サハ2575→伊予サハ852→クハ852→銚子クハ2501  1962年 日車(改造)
京王帝都サハ2576→伊予サハ853→クハ853→銚子クハ2502  1962年 日車(改造)

デハは、京王線の架線電圧600V時代最後の新車となるデハ2010(2060)のうち、前照灯がシールドビーム2灯、窓枠がアルミサッシになるなど、1961年以降に製造された車両です。伊予鉄道への譲渡にあたり、台車を井の頭線デハ1000のもの(TS307 主電動機は東洋TDK833/1-B 75kw・端子電圧375V)に振り替え、また、制御装置(日立MMC-LHTB-20)は1500V昇圧時に2010の1機で1C8M制御としたものを、2060にも再搭載し1C4M制御にもどしています。ちなみに2010系の主電動機は110kwだったのでパワーダウンしたことになります。

一方、中間車はサハ2500形のうち、名義上、14m級車を電装解除して中間付随車としていたものを、1962年に車体新造して2010系の中間車にした車両(※)が譲渡されました。台車は東急TS-321Aおよび日車NA-318Tで、共に枕ばねがエアサス。伊予鉄譲渡時は車軸を改軌して、そのまま使用しました。今回、銚子に譲渡された車両はクハ2501がTS、2502がNAを履いています。

伊予鉄道入線後、早期に冷房化改造を受け、三菱CU-127R(10,500kcal/h)を1両に3台、電源はSIVを搭載しました。また、1993年より中間車に京王重機整備の出張工事により運転台を設置。朝ラッシュ後は2両編成での走行が可能になりました。この運転台は京王5000系の部品が流用されたようで、車体すそのカーブがないことを除けば、似たようなものです。

銚子では、2001-2501が京王時代を思わせる緑色に、2002-2502がアイボリー一色にイオンショッピンセンターの広告電車となりました。京王5000系は、当初緑色を塗ることを前提に外形のデザインが決められたそうです。従ってクハ2501で、漸くそれが実現することになったといえなくもないわけです。

個人的に、この京王帝都デハ2010、それも伊予鉄道に譲渡された後期車グループは好きな車両の一つで、まだ小学生だった頃、西武是政線のツリカケ電車と共に乗りに行ったことが思い出されます。
某神奈電にも、この電車が譲渡されているのはそんなことが理由であります。

車齢のわりに状態が良い感じがします。これは、伊予鉄道時代の保守が優れていたからでしょう。
これからも、末永く使われてほしいと思っています。

(※・・・2011年3月7日 修正)
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by hiro_hrkz | 2010-12-25 17:26 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(6)
荒尾市交通局 三菱K-MP118M +西工53MC
移籍車の中には局地的取引というか、ある特定の地域内だけで流通する事例があります。
九州でも、時折そういった例が見られます。
今回取り上げるのは、もと鹿児島市交通局の車両。現在の同局の使用年数では移籍車が発生することはないと思いますが、当時は、熊本県内の複数の事業者への移籍例がありました。
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・荒尾市交通局 三菱K-MP118M +西工53MC 1998年9月 熊本県荒尾市

今はなき荒尾の市営バスに移籍した、三菱MPの西工53MC架装車です。
西鉄の影響か、方向幕の大型化が早期に進んだ九州の事業者では珍しく、1980年代の新車まで小型幕を採用していました。その関係で、前面の方向幕を一部隠して使用しています。側面の幕ではいくらでも例がありますが、前面、それも上下方向での例は、そうはないはずです。
系統幕の方は使用していません・・・荒尾の自社発注車も系統幕がありましたが、なぜか使用していませんでしたね。

三菱車にしては珍しく、分散クーラー(ヂーゼル製?)搭載のため、屋上に出っ張りがないのも
特徴ある点ですね。

・鹿児島市交通局の同型車の画像。
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by hiro_hrkz | 2010-12-23 18:48 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(0)
東野交通のエアロスターM 2題
10年ほど前の東野交通の車両から。

既に何度か書いておりますが、当時の東野は、移籍車両が目まぐるしく入れ替わり、しかも1タイプ1台というものが多くて、追いかけるのは結構大変でした。
移籍車両は大型車が殆ど。三菱もエアロスターが結構な台数が在籍していました。
このうちエアロスターKは、総勢13台を数えた最大勢力の京阪に、神奈中、川崎市、横浜市の神奈川県勢8台ともと大阪市のコスモ専用車5台が加わり、よく見かける存在でした。
しかし、エアロスターMは、自社発注車は1993~1996年に導入された車両が9台ほど在籍するものの、移籍車は現在に至るまで3台と少数派でした。
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・東野交通 三菱P-MP218K +三菱 2000年3月 栃木県那須郡西那須野町(西那須野駅)

最初は、もと東京都交通局の車両から。
大田原営業所の所属でした。
おそらくは昭和60年度導入車ではないかと思われます。
東野のもと都営バスは、目立たない存在でしたね。
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・東野交通 三菱P-MP618M +三菱 1999年1月 栃木県真岡市

続いての1台は、もと成田空港交通の車両。
もとは京成電車の初代成田空港駅とターミナルビルを結ぶシャトルバス用でしたが、直接ターミナルビルに乗り入れるようになって、大量の余剰車が発生。車齢も若い為、各社に引き取られました。
英文字入りの各種案内が、その出自を匂わせます。
側面の窓高さいっぱいのオリジナルの方向幕部分の殆どを覆って、小さい自社の方向幕を入れているところが、目立ちますね。
e0030537_264026.jpg
どちらの車両も、塗装を変えた程度で、改造も殆ど行わずに使われていました。
「使い捨て」を前提にした、割り切った存在だったのでしょう。
現在は路線縮小の影響もあるのでしょうが、車齢の若い自社発注車が目立ちます。移籍車も並行して導入していますが、その数は少なく配置は黒磯が殆どとなっています。その手入れもしっかり行われるようになったと感じます。

ちなみに、エアロスターMの移籍車もう1台は、その黒磯に配置されたもと自家用車。
上記2台とは年代が異なるので、また別の機会に。
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by hiro_hrkz | 2010-12-18 02:13 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(0)
大井川鉄道 モハ1906
東海道在来線で東名阪間を旅すると、とにかく長さというか広さを感じるのが静岡県。
熱海と新所原の間、いつまでたっても静岡県が終わらない・・という印象を抱くものです。
この途中、いくつかの大きな川を渡ります。西へ進む場合、2本目の川が大井川。
長いトラス橋梁を抜けると山に沿い高度を稼いでゆきますが、その際、北側の車窓には1本のか細い線路と、そこにおかれた朽ちた車両が見えるはずです。これが、大井川鉄道新金谷駅の構外側線と呼ばれるもので、トワイライターには知られた場所です。

この場所、いまから15年くらい前には、こんな電車がおいてありました。
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・大井川鉄道 モハ1906  1994年3月 新金谷

もと小田急電鉄のモハ1906と、もと北陸鉄道のクハ6051、6052の3両編成。
既に、パンタグラフ、尾灯をはじめ各種部品は取られていましたが、記録を調べてみると
この3両の廃車は1996年3月なので、未だ車籍があったことになります。

北鉄のほうは別の機会に譲るとして、今回は小田急の車両について少々。
大東急分離後初の新形式・1900形の1両として、1949年に川崎車両で製造されたもの。
いわゆる運輸省規格型(A'型)ですが、車体幅はロクサン型の入線により2760mmと少々広めです。

大井川鉄道への入線は1976年3月。
当時、クハ6051・6052はモハ305(もと富士身延モハ113)と編成を組むことが多かったようですが、
その代替として購入したもの。竣工は翌年1月で、デハがモハになっただけで車番はそのままでした。
前面も尾灯の位置が窓上から降りてきた程度。しかし、機器類については諸元表をみると、台車はTR22、主電動機はMT40(142kw)と旧型国電系の装備に変わってっています。1M2T編成を組むための出力増強だと思われますが、出所は国鉄か西武か東急か・・・。
なお、制御器は三菱CB10-281Bとありますから小田急時代のABFのままなのでしょう。つまり、大井川は国鉄CS系、東洋ES系、三菱ABF系の混結を行っていたことになります。

さて、小田急1900といえば、広幅貫通路が有名でしたが、ここ大井川では無用の長物。
塞がれていたと数々の文献にはありますが、実際にはどうなっていたのでしょうか?
その答えが、これ↓
e0030537_0222340.jpg
旧型国電か何かの客用扉用プレスドアを
嵌め込んでいました。
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by hiro_hrkz | 2010-12-16 01:17 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(2)
会津乗合自動車の富士7E 4題
先日報じられた、会津乗合の自主再建断念のニュースには、今年もまたこういうことを聞かなくてはならないということに、ただただ、地方の交通事業者にとって極めて厳しい時代になったということを感じるばかりでした。
月並みながら、再建が成功してほしいと願っています。

さて、富士重工のバスを追いかける身としては、会津乗合は是非とも抑えておきたい車種がいくつかあります。
とりわけ、田島営業所に配置されている大型車は、いずれも一見の価値があります。

田島営業所は会津田島~会津高原駅~桧枝岐~沼山峠という尾瀬へのアクセス路線を運行しています。
そのような理由もあり、1990年代後半には、低公害車が導入されました。
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・会津乗合自動車 日デKC-UA460NAN (ERIP) +富士7E 2008年8月 福島県南会津郡南会津町(田島)

それが、この日産ディーゼル製のディーゼル・蓄圧式ハイブリット車であるERIPです。
そもそもERIPを導入した事業者というのが極めて少ないのですが、他の3者がいずれも大都市の公営事業者なのに対し、唯一の民間事業者、かつ中距離線向けということで異色中の異色の存在となっています。
上は1996年度導入の1台で、2段窓。扉配置がトップドアなのは会津乗合標準仕様です。
床下には荷物の多い登山客を考慮したのか、トランクが設けられています。
サスペンションはエアサスですが、会津乗合は一般路線車にもエアサスを1980年代から導入していました。
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・会津乗合自動車 日デKC-UA460NAN (ERIP) +富士7E 2010年7月 福島県南会津郡南会津町(田島)

ERIPは1997・1998年度にも1台づつ増備されました。
メトロ窓に変更され、より観光路線的な仕様となっています。
水芭蕉の絵がさらによいアクセントですね。
なお、画像の車両の幕にある「尾瀬夜行」とは、東武鉄道浅草と野岩鉄道会津高原を結ぶ同名の半夜行列車の接続便であることを示しています。
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・会津乗合自動車 いすゞKC-LV280Q +富士7E 2010年7月 福島県南会津郡南会津町(田島)

さて、会津乗合は日デ・いすゞ・日野を導入していますが、いすゞはエルガ登場まで富士の車体を架装したものを採用していました。1996年度に1台が導入されたこの車両は、当時は未だ普及してなかったアイドリングストップ装置付きなのが売りでした。
そういえば、いちばん最初のERIPと同じ年の発注なのにかたや2段窓、かたやメトロ窓なのは面白いところです。

さて、これら田島営業所(および山口営業所)の車両ですが、会津田島そのものが行きにくい場所であることに加え、田島~沼山峠など路線距離が非常に長いこと、そして夏には沼山峠~御池の一般車両通行規制に伴うシャトルバスで使うものが多いなどの理由で、非常につかまえにくい存在です。
私の場合、1回目は全車空振り、2回目1車種捕獲、そして3回目にようやく全タイプが揃いました。
思い切って冬場に行き、さきの尾瀬夜行と同じ半夜行で走るスキー臨時列車「スノーパル23:55」の接続便を狙ったほうが効率がよいかもしれません。
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・会津乗合自動車 いすゞU-LV324L +富士7E 2008年8月 福島県会津若松市

最後の1台は若松に配置されている、もと東武鉄道の車両。
従来、移籍車は導入していなかった会津乗合ですが、このときはまとめて数台が資本関係がある同社(東武社長の根津家が会津乗合の株主)から移籍していきました。
LVは数台導入されたと聞いていましたが、私が見たのは若松所属のこの1台のみです。
後扉は使っていない模様。
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by hiro_hrkz | 2010-12-11 03:13 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
神戸市交通局 日野KC-HU2PMCE +日野車体
日本のノンステップバスは、その構造上、前中扉となっていますが
初期は後扉つきも何台か製造されました。最も、前後扉という例は殆ど無く、3扉が大半。

関西の事業者は、従前、その殆どが前後扉を採用していましたが、ノンステップ車導入以降、前中扉に移行してゆきます。その中で、神戸市交通局だけは後扉にこだわったためか、3扉での導入となりました。
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・神戸市交通局 日野KC-HU2PMCE +日野車体 2010年8月 神戸市東灘区

これは、日野の例。
当時、なんでも3扉にしたがる傾向があった名古屋市交も3扉のノンステップ車を導入していましたが、日野は2扉以降後の導入例しかないため、日野の3扉ノンステは営業車ではここだけの存在だと思いますと、南海の河内長野のみだと思います(・・・失念していました)。

日デ+富士の初期車ほどではありませんが、重たいイメージのある日野の初期ノンステ。
この車両の場合、重苦しさが倍増されている・・・という印象を抱いたのは、どうも窓の周囲が黒塗りではないことが影響しているのかもしれません。そういえば、この車種で窓柱等を車体色で塗った例というのも、あんまり思い浮かびませんね。

神戸市営も3扉はこの直後にやめて、前中扉に移行しています。
現在、この車両は後ろ扉は締め切りとなっています。
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by hiro_hrkz | 2010-12-08 01:46 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(2)
南部縦貫鉄道 七戸駅
本日、東北新幹線が新青森まで全通しました。1982年6月の大宮~盛岡暫定開業以来、約30年。
特に青森県にとっては、長い間、岩手県の盛岡までしか線路がなかったことに関連し、そのさまざまな(特に政治的な)背景を含めて、感慨深いものがあるのではないかと思います。
開業前のTVCMで、吉幾三扮する駅員が、東京出身の新米に向かって「トーキョー、やっと来たか」と言う台詞は、青森県津軽地方の思いをストレートに表しているようだ・・・と思いました。

この新幹線青森開業というニュースに対し、多くの鉄道マニアが
今はなき南部縦貫鉄道のことを思い出しているのではないかとおもいます。
戦後、1950年代以降の地方で国有鉄道(もしくはその転換3セク線)以外の旅客鉄道が開業した例は少なく、
ここの場合、沿線の自治体の出資していたところに、国策の製鉄事業「むつ製鉄」が沿線で産出される砂鉄を輸送するために資本を投入し、建設されました。

それが「むつ製鉄」の失敗に伴い、あっけなく倒産。その後は、わずかな旅客を輸送するだけにも関わらず、沿線の自治体が様々なことを請け負わせて黒字決算にさせるなど、ほとんど意地で会社と鉄道を存続させたのは、いつかは七戸町内にできる東北新幹線の駅に乗り入れ、そのアクセス鉄道とするためでした。
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さて、南部縦貫鉄道の中枢だったのが、この七戸駅。
七戸の中心市街地から東側に随分離れた場所にありました。
廃止数年前には郊外型ショッピングセンターが駅前にできますが、旅客数には、なんの寄与もしなかったとか。
駅舎は本社機能もあわせもち、随分大きなものでした。が、開業当時のままなのか、外はすっかりと煤けたコンクリート。そういえば、この色合いは、近所の十和田観光電鉄の三沢駅などを連想させ、地域的ななにかを思わせます。
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駅構内はホームが2面と機関庫。そして農業倉庫がありまして、ここには国鉄の冷蔵貨車の車体が鎮座していました。昔の航空写真を見ると、この先、十和田市(三本木)に向けて南に大きくカーブする築堤が建設されていたことがわかります。

一方、本日開業した新幹線の七戸十和田駅。
その位置は、国道4号線との交差地点で七戸と天間林のほぼ真ん中で、かつての営農大学校駅附近です。
新幹線のアクセス鉄道とするときには、営農大学校前附近から新幹線の駅に乗り入れ、その先は廃止とする予定でした。あくまで、野辺地(そしてその先の大湊・田名部)へのアクセス線として考えていたようです。建設時の貨物の構想と同じで、奥州街道沿いの都邑を結ぶという目的と裏腹に、下北半島がこの路線のレーゾンデートルだったのです。

しかし、もし1997年以降、今日まで生き延びアクセス鉄道となっても、おそらく成功しなかった・・というのは、多くの方の一致する意見ではないかと思います。
地方空港と同じで、地元の人はマイカーで乗りつけ、一方で用務客や観光客はレンタカーか観光バスへ。
そのような状況下でローカル線がアクセス交通機関として入り込む余地はゼロに等しいでしょう。
バスでさえ難しく・・・そういえば、並行して走っていた十和田観光のバスもめっきり本数が減ってしまいました・・・交通機関という大義名分など、なにも通用しないということを改めて思うのです。

・いずれも1997年3月 撮影。
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by hiro_hrkz | 2010-12-04 22:51 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(5)