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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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年末の雑感 ~Sincerely~
今年も1年無事に過ごせたこと。
そして、いろいろな方にお会いできたことに感謝。
厄年は、一筋縄ではいきませんでしたが、なんとか乗り切れそうです。
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それでは、今年のまとめ。

1)サイト
・鉄道関係
 結局、神奈川電鉄やり直しはサイト構築までいきませんでした。
路線はほぼ確定したのですが・・・。
30年近く前の世界を扱うのですから、どんなふうにまとめるか思案のしどころ。。

ところで、これに合わせて、実物の個人サイトはどうなっているんだろう・・・と、検索をしてみたのですが、やはり現在は、ブログどころかツイッターなどの時代ですね。引っ掛かるのは事業者公式サイトが多く、個人サイトによる情報発信は非常に低調であることを実感するに終わりました。「架空の鉄道」をサイトで表現する際に、ファンサイトではなく「会社公式」タイプを志向するのも、このような背景があるのかもしれないと感じます。

・富士重工製路線バスのページ
 まさか18年ものが移籍するなど、驚くような事例もあったのですが、比較的落ち着いていたようには感じます。最も、各地で新塗装の例が報告されたものの、追いかけることができず。いずれも持ち越しです。
 それにしても、首都圏で新7E架装車の廃車が進んでいるものの、移籍事例は思ったよりも少ないという印象。特に、東武のKL-LV280L1前中間ノンステの事例が少ないのが意外というか残念というか・・・。

2)模型
 出来高は11両+神奈電平塚中央駅2期分。このうち神奈電新シリーズは10両で、5年で44両となりました。残りの1両は鉄コレの秋田中央交通。そろそろ買いためた鉄コレ(とMODEMOの江ノ電)を整備していきたいなあ・・・と思っています。
余談ですが、目が疲れるようになりました。面相筆の先がわからない・・・ああ、寄る年波には勝てず。

3)外回り
 北陸新幹線が開業した今年。私も、北陸3県と長野県北部へ行きました。
また、どういうわけか同じ方面への再訪が多く、広島県2回、関西3回、茨城県3回となった一方で、
九州は黒崎に半日だけ、白河・勿来以北も無し、関東地方でも群馬県は0回という状況。
東北地方や群馬県に1度も行かなかったのは19年ぶりくらい・・・いろいろ事情はあったのですが。

行った先でトラブルが発生することも多かったですね。
箱根に行こうとロマンスカーに乗ったら、偽厚木で人身事故→町田で運転打ち切り。
高松に行こうと難波から高速バスに乗るつもりが、大鳴門橋でトラック横転→岡山経由の在来線で迂回。
静岡に行ったら、線路に自転車が投げ入れられて、帰りの電車が来ない・・・・。
高速バスのコンセントがぶっ壊れた・・・。
 
これらもやっぱり厄年だから?後厄のほうが怖いぞ!と周りからは散々言われているのですが。

4)ニュース雑感
 海外からの訪問客がどっさり増えたことを、各地で実感した1年。それは旅先での宿泊場所が確保しにくいこと、そして値段が高騰したことでも実感し、旅がやりにくくなったという印象になりました。
 一方で、駅で頭の中が「???」になっている外国の方を見ることも何度か。乗り換えアプリはJR線なのに、地下鉄の改札に来てしまった。あるいは、JRに乗るのに、手許には地下鉄の路線図。私たち日本人は「一つの街に複数の鉄道・バス事業者があり、それぞれに運賃を払い、路線図も別」という認識がありますが、諸外国の方には、この点を理解してもらうだけで大変なことなのだと思います。
 拙い英語で、何度かフォローしたこともありますが、「〇〇駅は改札外乗り換えだからオレンジ色の自動改札を通って・・・」なんて説明するのは無理! せめて、サインシステムだけでも全事業者・自治体横断で統一できないか、あるいは地域内の一般交通機関フリーの一日乗車券はできないものか(・・・たとえば、ドイツなどは両方ともありますね)等々、考えさせらることが何度かありました。

5)その他
 私事ながら、1月で8年ほど勤めた現場を離れることとなり、その後は案件を巡り波乱含みの展開となりました。従って予定が立てるのが難しく、外回りは上記の結果となった次第。しかし、安泰と思っていたところが、その後修羅場となっているのを見ると、いろいろ思うところではあります。
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今年も拙サイトをお読みいいただきありがとうございました。
それでは良いお年を。
きたる2016年が皆様にとって福と幸いに溢れる一年でありますように。

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by hiro_hrkz | 2015-12-31 02:32 | 言いたい放題 | Trackback | Comments(2)
神奈電をもう一度 2015年12月 +α
※ 神奈川電鉄はフィクションです。
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なんとか年が変わる前に車両が完成しました・・・本当は神奈川電鉄関連の仕掛一掃という目標はあったのですが、結局は、夏から製作していたこの1両だけとなりました。
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東芝戦時型の40t機 デキ403です。
過去の記事で触れたようにワールド工芸のキットの改造です。
ディテールがあっさりしているので、手摺を取り付け、テールライトを銀河のパーツにしたのはそちらで記した通り。
その他、ヘッドライトは銀河の100w、パンタグラフはトミックスのPG16を使っています。

台枠は隅を削って大きなRをつけ、実物に近づけています。また、台車間がスカスカなので、エアタンクの断面が見えるパーツ(グリーンマックの京急1000旧キットあたりのもの)を取り付けています。エンドビームがのっぺりしているのが気になるところではあります・・・別売のパーツがあることを知ったのは、完成した後の話。
台車は、附属の板台枠としました。カプラーは、KATOのナックルカプラーを直径1mmのネジで取り付けています。

塗装は、GMの阪急マルーンですが、フラットベースで半艶程度にしています。
手摺などは艶消しの白。この色の組み合わせは、弘南鉄道あたりに影響されたものです。
余談ですが、塗装工程で失敗し、一旦IPAプールにドボン。これが他の車両が完成しなかった原因の一つでもありました。

さて、このキット組んだ印象ですが、パーツの合いがいま一つである点、そして素材がABSである点を特に考慮して進める必要があると感じました。前者については、キャブの妻板は両端をできるだけカットしたほうが、実物の印象に近づくように思います。また、車体と台枠は別々に組たてる構造ですが、実物を見ると解るように、本来キャブの側面は下辺まで段差なしで一体なので、塗装前に台枠と車体を接着して継ぎ目を消すなどをしたほうがよいかもしれません。
もう1両組み立てたいか?と言われると・・・うーん。
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旧作との並びを1枚。
私鉄電機の製品なんて夢のまた夢のさらに夢くらいだった20年前。プラ板から全スクラッチで作ったもの。
ボンネットの点検蓋にあるヒンジ部分はランナー引き伸ばし線で一か所づつ表現するなどそれなりに頑張ったつもりではあるものの、20年経つとさすがに老朽化が酷い状態となっています・・・最も、この車両は動力化を目論み。ボンネット内部をがらんどうにしたことも関係していますが。
旧作のデキ251・281も改修したいところではあります。

さて、今月は神奈電以外にもう1両を製作しました。
鉄コレ10周年記念で発売された秋田中央交通のデワ3002とナハフ20。
正直、こんなものまでNゲージ系のプラ製品で発売される時代が来るとは・・・と思いながらも購入。
しかし、デワはどうもイメージしていたものと違う。
塗装が明るすぎ、そして車体の印象そのものに違和感・・・いろんな資料をひっくり返して調べた結果、
秋田中央の3両のデワは経歴がバラバラで、窓の寸法もとバラバラ。加えて、東横電鉄時代の画像と見比べても細部寸法が違いそうです。
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結局のところ、印象に従って、前面窓はウィンドウシルの下辺まで、側面窓は下辺の窓枠の下までに拡大しています。本来なら窓枠をプラ板で新製するのがよいのですが、今回は、カッターやら先を研いだドライバーなどで元の車体を掘り下げています。
なくなったウィンドシルと下辺の窓枠は、エバーグリーンの0.25×0.5mm平板とプラストラクトの0.3×0.3で新製。
前照灯は銀河の旧国100wを取り付けています。
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塗装は、「昭和30年代鉄道原風景 東日本私鉄編 」(J.Wally.Higgins著)に掲載のカラー写真を参考としました。結果、車体はMrカラーのブルーFS15044を艶消しにしたもの。屋根は艶消しの黒。窓枠はクリーム色がよいようですが、好みで小田急アイボリーとしています。
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パンタ台もゴツイので(・・・実物は、非常に華奢な印象のものです)できるだけ足を細く削り、また上面の内側はすべて取り除いています。側面は縦方向より横方向が一段奥まったように削りましたが、あんまり目立たないですね。パンタグラフは、指定のPS13では大きすぎるので、手許にあった小型のもの(PS28?)を使用しました。

ナハフも車体のスケスケ感が酷いので塗装をやり直したいですね。その際には、手許のキハ04系鉄コレをベースにもう1両のナハフを作って、客車2両としたいところ・・・かつて、「鉄道ファン誌」の高井薫平さんの連載にあった、路肩の併用軌道を行くミキストの写真が忘れられないのです。
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by hiro_hrkz | 2015-12-30 02:37 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Trackback | Comments(0)
「都バス」の消えた街
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1983年に大正出版から発刊された「都電の消えた街」という本があります。
諸河久氏が撮影された都電が走っていた当時の写真と同一地点・同一アングルで撮影した写真を並べ、そこに林順信氏が文章をつけたもの。今見ても、その間の街並みの大きな変化がわかります。
当時小学生だった私は、なぜかこの本に興味を持ち、都電さらには「昔の東京」というものへの関心を高めてゆくのですが・・・似たような企画にテレビ東京の「テレビあっとランダム」のランダム写真館なんてのもありましたね。

それはさておき、1983年というのは、都電の廃止が進められていた時期から11~16年後という時代。
それでは、現在から同じくらい溯ると・・・2000年。あのミレニアムイヤー、そして東京では都営地下鉄大江戸線の環状部全線開業した年です。その影響で、都バスは都心部で大規模な路線改変があり、バスが消えた区間もいろいろあります。今回は、その前後に撮影した写真を取り上げたいと思います。
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ホテルニューオータニのガーデンタワーをバックに、四谷の迎賓館前を走るのは、四92系統(品川営業所)。
車両はU-HT2MLAA +日野車体です。
四谷駅から外堀通りを赤坂見附、溜池と進み、飯倉、一ノ橋(麻布十番)、魚籃坂下を経て品川を結んでいたこの系統。
もと都電3系統の代替で、都電時代はこのあたりから専用軌道になり、かつ都電唯一のトンネルがあったことで知られます。四92は、大江戸線開業時に四谷駅から赤羽橋の間が短縮され、反96系統に統合され8の字運転の環状系統になりました。
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 新宿から四谷三丁目、青山一丁目、六本木、一ノ橋、赤羽橋、札ノ辻を経て、田町駅を結んでいたのが田70系統(新宿営業所)。拠点間が大江戸線と被ることから全区間が廃止になりました。
 上は、六本木の芋洗坂を麻布十番方面に下る場面。六本木交差点で、アマンド脇のいちばん意外なところに突っ込んでゆくのは楽しい風景でしたが、その先は、こんなふうに路駐の間をスラロームすることもありました。
 下は、慶応大学の東門附近で、国道1号線を東京タワーをバックに走る場面。この区間は田70系統が無くなったあとも、先述の反96や東98(東京駅~等々力)が走っていましたが、前者は廃止、後者は都営バスが撤退しています。なお、車両はどちらともU-LV324K +IKです。
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目黒駅から天現寺橋、一ノ橋、神谷町、新橋、銀座を経て日本橋三越を結んでいたのが橋86系統(目黒営業所)。大江戸線と特に並走するわけではありませんでしたが、このときに新橋~三越の間が廃止になりました。この系統は銀座通りを走る最後の都営バスでした。 
 上は鳩居堂のあたりから新橋方向を向いて撮影したもの。走ってくるのは日野HIMR(KC-RU1JLCH+日野車体)です。あまり変わってないだろうと・・・思っていても、後ろの銀座松坂屋は建て替え中、そして、銀行の大規模合併で第一勧銀などはとうに無く、時間の流れを感じるものです。
 下は、新橋駅近くの第一京浜国道にて。車両はU-HT2MLAA+日野車体です。前面の方向幕に経由地が書いてないので、フォントの大きさなどになんとなく違和感がありました。この区間は廃止にはなっていませんが、橋86は多くが東京タワー折り返しとなり、新橋には朝夕しか来なくなりました。後ろの施工中のものは、ゆりかもめの新橋駅。この頃は、未だ汐留寄りの仮駅でした。
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新宿駅西口のバスターミナルを発車するのは、都03系統グリーンアローズ(杉並営業所)。もと銀71系統。新宿から、四谷見附、半蔵門、日比谷、銀座、勝鬨橋を経て晴海埠頭と、東京都心部の主要地点を結ぶ路線で、都市新バスに指定されたのも頷けるものです。
 こちらも大江戸線とは全く被らないにも関わらず、このときに四谷駅と新宿の間が廃止になりました。個人的には銀座と新宿の間でよく利用していたので、非常に残念だったのを思い出します。最も、画像の1997年度に導入された2代目の専用車KC-HU2MLCA+日野車体は、初代に比べて座席のグレード等が落ちて一般車とあまり変わらなくなり、暗い予感があったのも確かです。
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画像は1年後、四谷駅までに短縮されたあとで数寄屋橋で撮影したもの。
営業所が杉並から深川に変更されたため、車種も変わりました(画像はKC-LV380L +富士7E)。
専用車ではなく一般車が充当されていることに、凋落を感じずにはいられませんでした。

今回は4系統について書いてみましたが、新宿と目黒は営業所自体が無くなり、杉並も支所になるなど、縮小が進んでいたことを改めて思いました。このあと、私は都営バスに対する興味を徐々に失い、石原知事の中古車禁止で、それは決定的になりました。忘れかけていた都営バスですが、今年導入の新車が「A代」と聴き、私が知っている世代でも2巡していることに時の流れを改めて感じるところです。

・1~6枚目 2000年11月撮影
・7枚目 1999年7月撮影
・8枚目 2001年11月撮影
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・おまけ
最後の都03と同じ日に数寄屋橋交差点で撮影した写真。
後ろの阪急が入居していた東芝ビルは既になく、跡地には東急グループが進出するとのこと。
人々の雰囲気はあまり変わらないような気がしますが、いま同じアングルで撮影すれば、信号待ちの人の大半はスマートフォンの画面を見て居そう・・・。

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by hiro_hrkz | 2015-12-26 02:43 | バスのある風景 | Trackback | Comments(1)
東急バス いすゞP-LV214K +IK
(関東地方の)バスマニアは、貸切兼用などグレードが高めの路線車両のことをしばしば「ワンロマ」と言います。これは、京王の路線・高速バス兼用車の通称を、他の事業者の車両に応用していったからでしょう。最も、各事業者によってその仕様はマチマチであり、ローバックの座席を2人掛けにした程度・・・という事例も。
 一方で、リクライニングシートとは行かずとも、2人がけのハイバックシートがズラリと並ぶ路線車などというのは
他地方の事業者では標準だったところもあり、このあたりでなんとも地域限定な言い方・・・逆に言えば東京都市圏の通常のバスの仕様を如実に物語っていたとも言えます。

そんな中で、比較的グレードの高い「ワンロマ」を導入していたのが東京急行。
同社の場合、正しくは「ロマンス車」と呼びます。
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・東急バス いすゞP-LV214K +IK 1998年8月 渋谷駅(東京都渋谷区)
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・東急バス いすゞP-LV214K +IK 1997年6月 東京都世田谷区

このキュービックバスは1986年に、グランド線(渋11 渋谷駅~三軒茶屋~八雲~田園調布)に投入されたもので11台が在籍。逆T字窓・エアサスにハイバックシートの2人掛けという仕様で、同社の一般路線車と大きく差がありました。前年度?、目黒営業所にも似た仕様のエアロスターが投入されていますが、そちらの外装が通常の路線車と同じ銀地に赤帯なのに対して、こちらは屋上および車体裾の一部を金色に塗り、より存在感をアピールしていました。
このような車両を投入した素地には、貸切仕様の中型車を使った「東急コーチ」の存在も大きかったのではないかと推測するところです。

この後も続いて東急は、ロマンス車を投入しますが、更にグレードが上がる一方で、このようなある特定の一般路線に集中投入されるということは無くなりました。
また、廃車後、当時は系列外への移籍ということが殆ど無かったこともあり、どこにも乗合車で移籍しませんでしたね。

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by hiro_hrkz | 2015-12-23 03:04 | バス(川重/IK/IBUS) | Trackback | Comments(0)
2015年8月 広島にて
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今年は第2次大戦終結70年ということで、夏にはそれに因んだ企画が幾つかありました。
広島の原爆投下に関しても、例年よりも取り上げられる機会が多かったように思います。
とりわけ、NHKで原爆投下前後の広島電鉄に乗務していた女性運転士・車掌と、彼女たちが働きながら学んだ広島電鉄家政女学校を取り上げたドラマ「一番電車が走った」が製作・放映されるなど、この街の路面電車と原爆について、改めて知る機会が多くありました(・・・余談:このドラマの主演を務めた女優さん、来年あたりブレイクしそう・・)。

その広島電鉄には、いわゆる「被爆電車」の650形が在籍していますが、このうち休車状態にあった653を、中国放送(RCC)との共同企画で原爆投下当時の塗装に戻し、貸切の特別運行を6~8月に行いました。
この企画を5月に広島に行った際に知ったのですが、その後ネット上に現物の写真がアップされると「・・ぜひとも実物を見てみたい・・・」ということになり、終戦記念日に再度、広島へと足を運んだ次第。

さて、653の運行は、広島駅~己斐(・・って言わないのか。今は)を1日2往復、その前後は皆実町6丁目経由の回送で千田車庫に入庫というもの、広島到着は昼前で、そこから幾つか狙ったものの・・・
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広島の信号機は、電車とクルマが同時に右(左)折できるところが多く、クルマの途切れるタイミングが掴めない。結局、夏の炎天下では判断も鈍るのか、2回被られ思うようなアングルでの撮影ができず、しょげかえることに。

皆実町6丁目附近で回送を撮影したあとは、紙屋町経由で先回り。久しぶりに、広島~己斐以外の広電に乗りましたが、待ち時間が思ったよりも長く、本数が削減されていることを実感しました。
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結局のところ、十日市町と土橋の間が光線状態もよく、また電車と自動車が被らないタイミングが長いので、ここで撮影しました。その後、信号待ちしていたところを追いかけて、天満橋附近の昔ながらの道幅の区間を行く姿を一枚。

そして最後は、原爆ドームをバックに・・・と考えて相生橋の上へ行きました。
みな考えることは同じようで、多数の同業者がおりました。
しかし、光線状態が悪い上に、このアングルで撮影することに何か抵抗を感じてしまったのです。
その次の瞬間に目に飛びこんできたのは、広島中心地に連なるビル街。

「そうか。原爆の惨禍から復興し、百万人都市として繁栄する広島の姿こそ、
 この電車と共に撮影しなければ・・・」

そして、原爆ドーム前電停から東にカメラを構えたのでした。
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(上から)
・広島電鉄653 側面の広告枠に掲げられた企画趣旨
・比治山公園下~段原1丁目
・御幸橋~皆実町6丁目
・十日市町~土橋
・土橋~小網町
・原爆ドーム前~紙屋町西 いずれも2015年8月
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by hiro_hrkz | 2015-12-19 02:25 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
琉球バス 日デP-U32L +西工58MC
西工が58MCを架装していた頃は、当然ながらその東限が京都市交の時代。
それより東の乗合車で採用した事例はごくわずかしかありません。
しかし、何故か自家用で西工58MCを選択したところが幾つか存在しました。
例えば、千葉県のK社やK学園ですが、最大勢力だったのが東京多摩地方の某私立高校のスクールバス。
途中から西東京バスの契約輸送になり、同社に引き継がれて緑ナンバーとなりました。
そのうち、何台かが数回に分かれて、沖縄の琉球バスに移籍しています。
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・琉球バス 日デP-U32L +西工58MC 2000年2月 那覇バスターミナル

上記の2台は1995~6年頃の移籍(・・・なにげなく、もう20年前なのですね)。
730車追放の為に、同社は大量の移籍車を購入していますが、これらはその中でも最初期の10台に入ります。
2台で年式は異なり、同じP-U32系でも、上の丸目の車両は昭和60年騒音規制前のいわゆる前期型。下は、騒音規制後の後期型となります。
屋上の冷房装置(デンソー?)がいちばん後ろに載っているのは、西鉄の本家西工そのまんまという感じがします。

トップドア+メトロ窓で、車内には2人掛けのシートがズラリと並ぶ仕様は、それまでの沖縄の郊外線バスと大差が無く、うってつけの車両であったと思います。2台とも、片道の所要時間が2時間かかる27番 屋慶名線(那覇~天久~牧港~我如古~普天間~コザ~安慶名~屋慶名)で使われていました。

西東京の契約輸送車に話を戻すと、結局このタイプは乗合車としては琉球バスにしか移籍しませんでした。
後に増備される車両は、関東地方での定石通り富士7Eとなり、前中扉・2段窓と仕様が大幅に変化しています。特に、KC-UAは、あちこちに移籍し、その総数と移籍先の数が合わずマニア諸氏の頭を悩まさせているのは御周知のとおり。

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by hiro_hrkz | 2015-12-16 01:25 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(2)
帝産湖南交通 三菱U-MP618M +呉羽
滋賀県南部をテリトリーとする帝産湖南交通。
基本的には前後扉で座席は枕カバーはあるものの、背もたれは低め・・・という仕様の車両でしたが、時々貸切兼用の特別仕様車が導入されていました。
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・帝産湖南交通 三菱U-MP618M +呉羽 2013年5月 瀬田駅附近(滋賀県大津市)

その一例がこちら。U-のエアロスターです。
貸切系の前面を持つ車体。車内は2人かけのハイバックシートが並ぶ・・・というのはこの種の車両ではよくありますが、最大の特徴は、側面の窓が固定窓となっている点でしょう。通常は、逆T字窓・メトロ窓と種類はあれど開閉可能なことが多く、この事例は少ないと思われます。

車内は吊革付きですが、これは新製時からだったのかどうか。
またカーテンが写真には見えないのが気になります。


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by hiro_hrkz | 2015-12-12 16:40 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(0)
栗原電鉄 M15形
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宮城県北部の石越から若柳、栗駒を経て細倉の間を結んでいた栗原電鉄。
762mm軌間・非電化でしたが、1950年に直流750Vで電化、そして1955年に1067mmに改軌しています。
この改軌時に投入されたのがM15形M151~M153の3両。当時としては非常に珍しいアルファベットを車両の記号としたことで知られます。1995年に、第3セクターのくりはら田園鉄道に移行するまで主力車両でした。
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メーカーは、ナニワ工機で、最大寸法(長・幅・高)は15700×2700×4080mm。
側面の窓は上段がHゴム支持の、いわゆる「スタンディーウィンドウ」を採用しています。
前面は2枚窓で、このあたりの車体の造りは同時期にナニワ工機で製造された広島電鉄1050形、下津井電鉄モハ102・クハ22、京福福井ホデハ241、水間鉄道モハ251といったあたりとの共通性が見られます。
車内は至ってオーソドックスな造りですが、照明に新製当時から蛍光灯を採用し、かつカバーが取り付けられていたのは、この車両が長らく「デラックスな車両」と言われた所以だったとも思います。

下回りに目を転じると、ブレーキは直通制動(SME) 。
台車は住友FS-21で、上下揺れ枕をオイルダンパ付きのコイルばねで結び、軸箱保持はペデスタル式というもの。この時期の新型台車によく見られた構造ですが軸距が短めであること、またブレーキシューが片抑え式になっている点が注目されます。
吊り掛け駆動式で、主電動機は三菱MB-330Arを4機搭載。出力は40kwと低めですが、栗原電鉄の表定速度は線形の割にそれなりに高かったこと(25.5kmを44分程度で走破=表定34.7km/h)を思い出します。

そして、制御器は・・これが詳細不明。書籍(たとえば鉄道ピクトリアル477号 特集「東北地方の私鉄」)を見ると、「UP-731」とあるのですが、このような型番は聞いたことがありません。写真を見る限り、外観は三菱の間接非自動・単位スイッチ式・・・要するにWH-HLと酷似しているので、その系統のものだとは思うのですが・・・・。
なお、西武鉄道から譲り受けたM181は「UP-51」とありますが、これも外観上はM151と大差なく、同種のものだったと推測されます。
(新車のパンフレットを見れば、一目瞭然なのでしょうけど)。

電装品が三菱製だったのは、この路線の顧客であった細倉鉱山が三菱系であったことと関係があったのかどうか、気になるところではあります。

(上から)
・栗原電鉄 M152 1994年2月 若柳
・栗原電鉄 M151 1995年8月 若柳
・栗原電鉄 M153 1995年8月 若柳
・栗原電鉄 M152 車内 1994年2月
・栗原電鉄 M151 FS-21台車 1995年8月

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by hiro_hrkz | 2015-12-09 02:42 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
鹿児島交通グループ 日デU-UA510LAN・KC-UA521NAN +富士7E
日デUA系の8気筒エンジン車への富士7E架装例は貴重な事例ですが、
それをコンスタントに導入していたのが鹿児島交通です。
導入当初は西工58MCを架装してましたが、1992年から富士7Eに変更しています。
うち、U-UA510LAN+富士7Eは、1992年に5台、1994年に3台の計8台が導入されました。なお、1995年には系列の奄美交通で同型式・同仕様の車両を3台導入しています。
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・鹿児島交通 日デU-UA510LAN +富士7E 2012年4月 高見馬場(鹿児島市)
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・鹿児島交通 日デU-UA510LAN +富士7E 2014年7月 鹿児島中央駅
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・鹿児島交通 日デU-UA510LAN +富士7E 2009年4月 山形屋附近(鹿児島市)
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・鹿児島交通 日デU-UA510LAN +富士7E 1994年9月 枕崎駅前(鹿児島県枕崎市)

トップドアにメトロ窓、車内にはリクライニングシートというのは、当時の鹿児島交通の中距離線用では標準の豪華仕様。他メーカーでもこの仕様の車両が導入されています。

そして、バスの塗装は、側面に大きな椰子を描いたもの。これが色違いで5色あったのですが、中距離線用ということもあり、配置は加世田や枕崎。当然、片道の所要時間は長く、一度見逃したら帰ってこない!
ということで、全色をとらえるのは至難の業でした。過去のアルバムをひっくり返すと、光線状態などは置いておくとして、青・赤・緑・黄の4色は撮影していたようです・・橙だけ捕まえられませんでした。
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・三州自動車 日デU-UA510LAN +富士7E 2012年4月 志布志(鹿児島県志布志市)

その後、塗装は簡略化され、白地に小さな椰子の樹を貼り付けた現在の外装となります。
1994年導入の3台については大きな椰子の画像を見たことが無いので、製造時からこの外装だったのかどうか気になるところです。上の車両は、大隅半島側に配置され分社の大隅バスネットワーク→三州自動車に異動したもの。
富士7Eとして見ると、通常黒色で処理される方向幕の両脇が白くなっているのが特徴ですね。
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・屋久島・種子島交通 日デKC-UA521NAN +富士7E 2012年4月 宮之浦港(鹿児島県熊毛郡屋久島町)

1997年には系列の屋久島交通で1台が導入されました。
平成6年排ガス規制対応になり、型式はKC-UA521NANになりました。型式上は、いわゆるN尺(軸距5.55m)となるところですが、実際はL尺と同じ5.24mで、従来の車両と変わりません。

親会社とほぼ同一の仕様ですが、路肩灯の位置が若干異なっていますね。
塗装は、椰子の樹ではなく、いわさきグループが展開する観光事業に関連したグリーントライアングルになっています。なお、同時に同じ鹿児島交通グループの種子島交通で同型式車が1台導入されていますが、こちらは、かの輸出用の部品を流用したアクの強烈な富士7Bを架装しました。
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・鹿児島交通 日デKC-UA521NAN +富士7E 2012年4月 鹿児島中央駅前
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・三州自動車 日デKC-UA521NAN +富士7E 2012年4月
  上:志布志(鹿児島県志布志市)、下:鹿屋(鹿児島県鹿屋市)

その後、親会社でも1998年度に同型式を2台導入しています。こちらもやはり、軸距5.24mです。冷房は、デンソーのビルトインタイプに変更されていますが、これは同時期に導入された鹿児島市内専用KC-UA460LANでも同様となっています。
そのほか、ドアの色が黒くなったのが相違点です。
1台が薩摩半島の枕崎、もう1台が大隅半島の鹿屋で、これまた実に捕まえづらい存在であります(・・・鹿児島交通のバスは大半がそんな感じではありますが)。
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by hiro_hrkz | 2015-12-05 00:51 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
備北交通 日野KC-HU3KMCA +日野車体
世の中には同一もしくは似通っていて紛らわしい事業者名というのは幾らでもありますが、
こと乗合自動車に関して言えば、「備北」ではじまる2社は代表的な事例でしょう。
一方は、このブログでも何度かとりあげた、備北バス。「備中の北」の名の通り岡山県の高梁市・新見市等に路線があります。
そしてもう一方が「備後の北」、広島県庄原市に本社を構える備北交通。広島電鉄系列の事業者です。

とはいうものの、その車種構成もあって、庄原あるいは三次といった同社の主要エリアに足を踏み入れたことはなく、広島バスセンターに出てくる急行路線で見た程度。
ここで見るのは、大概が貸切・高速系の車両なのですが、以前は、こんな車両も運用されていました。
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・備北交通 日野KC-HU3KMCA +日野車体 2000年8月 広島バスセンター附近

KC-のブルーリボンです。
トップドアで高出力エンジン・エアサスを装備、窓はメトロ窓で座席もハイバックシートという仕様は
まさに「昔ながらの中距離路線バス」という感じがしますね。
実際、この車両で、広島~庄原を国道経由で結んでいたので、運用の面でも「昔ながら」と言えそうです。

この車両は、そんな仕様を持つ最後の1台。
現在は、路線は高速道路経由となり、こちらは大学の送迎輸送専門になっているようです。

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by hiro_hrkz | 2015-12-03 00:29 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)