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神奈電をもう一度 2016年6月
※ 神奈川電鉄はフィクションです。
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なんとか、浅草寺二天門前での催事を前に3両が完成しました。既にお伝えしてきたとおり、神奈電の2巡目。つまり、この5年間で製作した車両と同一形式のものです。ただ、完全に同じなのはつまらないので、少しづつ変化をつけてみました。
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神奈電再開シリーズで最初に落成したのが、もと宮城電鉄モハ800形→国鉄モハ2320形の3620形でしたが、2巡目もこの車両から、ということになりました。
種車は鉄コレ第一弾の日鉄自12mであることには変わりませんが、こちらは前面の貫通扉を埋めたことにしています。前回落成後、独特の狭い貫通扉を見ていたら、埋めた方が合理的だなあ・・・と思ったの理由。実物では、国鉄時代に更新修繕を受け、運転室の拡張とグローブベンチレータへの変更が実施されたモハ2320が、非貫通になっています。
 完成後に並べてみると、その点よりも、屋上配管のカーブにより雰囲気が変わってしまったのが少々不本意な点ではあります。
そのほか、パンタ側はダミーカプラーにしています。ほんとうならブレーキホースやジャンパを取り付けて、もっとディテールアップしたいところではありますが・・・。
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続いて、これも再開シリーズ第一陣の1両だった、鉄道省キハ41000改の3600形。
基本的には第一陣とは変わりありませんがベースが同和片上のキハだったので、前面のライトの撤去などが多少の手間となりました。台車は前作がU型イコライザタイプだったのに対し、こちらは弓型イコライザにして変化をつけています。
これも、パンタ側はダミーカプラーとしましたが、その胴受けが車体と密着せず隙間が生じているのが残念な点です。床板ごと切り離して車体に接着しようかとも考えていますが。
e0030537_23560531.jpg
そして最後は、富士山麓電鉄モハ1の車体を流用して誕生した1510形。
 鉄コレ12弾の上田がベースであることなど全く変わりませんが、客用扉は製品のまんまとしました。ありていにいえば「手抜き」なんですが、これで、時代設定が前回落成のものよりも若干前ということになりました(同じ時代にステンレス製扉と木製扉でもいいのですが)。
 台車はブリルなのは共通ですが、前作は鉄コレ用なのに対し、今回はGMの製品を使用。従ってこちらのほうが軸距が短くなっています。

それにしても4年経っても全く進歩していないことが露呈しているといいますか
なにより自分の老朽化で細部の工作がやり辛くなってきたことを実感するのであります。


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by hiro_hrkz | 2016-06-30 00:01 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Trackback | Comments(0)
三重交通 いすゞKC-LR333F +IBUS
三重交通は、9m大型の導入数が多かった事業者の一つですが、
1980年代中ごろから中型の採用が増え、平成6年排ガス規制(KC-)になると、ほぼ中型のみとなります。
それも、軸距4300mmの長尺車ではなく、3750mmの短尺車になり、サイズが一気に小さくなります。
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・三重交通 いすゞKC-LR333F +IBUS 2002年4月 近鉄四日市駅(三重県四日市市)

ただし導入台数は、平成元年規制(U-)の中型・9m大型に比べれば非常に少なく、合計11台(うち1台はトップドア車)。
そのうち、画像の車両は四日市営業所に配置されていた社番3257。1998年式のツーステップ車です。
また、アイドリングストップ装置付きであるため、前面がSANCOのロゴではなく、その専用ロゴになっています。
全般的な仕様は当時の三重交通の車両と大差は無く、前中引戸・方向幕は中扉後。
リアウィンドウの上にも広告が取り付けられているのが特徴ですが、右斜め後から撮影はしそびれています。

これに続く、1998年排ガス規制(KK-)・・・つまり、エルガミオの時代になると、
さらに短いチョロQサイズの車両をまとめて投入するようになりますが、それについては改めて。

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by hiro_hrkz | 2016-06-26 01:56 | バス(川重/IK/IBUS) | Trackback | Comments(0)
西武鉄道 ホキフ71形・ホキ81形
国鉄の貨車の中で、無蓋のホッパー車と言って思いつくものは幾つかあると思いますが、その中でも特にメジャーなのがホキ800でしょうか。バラスト散布用・・・つまりは事業用ゆえに全国各地に配置されていたこと、そして特徴ある外観は、印象に残りやすいと思います。
直線主体で構成されているため、近代的な印象を受けますが、その製造初年は1958年と60年近く前で、それなりに昔の設計の車両ということになります。

ホキ800は、同系車が多くの私鉄で導入されたことでも知られます。特に、関東地方の大手私鉄では、東急と京成以外の各社が保有していました。うち京王ホキ280型は相模原線建設で使用した鉄建公団保有車を譲り受け、ブレーキをHSCに改造していたのが特徴。また京急ホ50形は当然ながら1435mm軌間、電車用の引き通しを備えた事実上の「サホ」でした。
そして、西武と小田急に在籍したのが、片方に車掌室を持つホキフでした。
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・西武鉄道 ホキフ72 1994年11月 横瀬
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・西武鉄道 ホキ88 1998年10月 横瀬

西武鉄道のホキ・ホキフは、1968年にホキフ71~74とホキ81~86、1973年にホキ87~90の合計14両が製造されました。メーカーが自社所沢工場である点も、当時の西武らしい特徴といえます。
また、私鉄のホキとしては珍しく国鉄に乗り入れる運用を行い、中央線の酒折駅からバラストを搬入していました。1980年代前半、この車両は飯能駅の南側にあった貨物用側線に留めてあることが多かったのですが、国鉄乗り入れの運用表が、車両の側面に直書きされていたのを覚えています。

その後、西武線内だけで完結するようになり、塗装もアイボリーに緑帯の爽やかなものになりました。折角の車掌室もこの頃には意味をなしておらず、ホキ・ホキフ特に区別なく運用されていたようです。

ところで、私鉄のバラスト用ホキの中でも特に印象に残ったのは、元来、電車がいちばんの好物の私には、やはり山陽電鉄と神戸電鉄に在籍していた制御室がついた「クホ」でした・・・・このあたりも近所の図書館がどういうわけか所蔵していた「私鉄車両のアルバム 別冊A」の悪影響(もしくは教育)の賜物かもしれません(笑)。それに比べるとホキフは、車端にハコがつき、ヘッドライト?もあるものの、どこか物足りない印象だったのも否めませんでした。

西武のホキフは1996年に廃車。ホキはその後21世紀になっても残っていましたが、2008年に廃車になったようです。関東大手私鉄では最後のホキでした。この世界は、今は保線機械が主流ですね。
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by hiro_hrkz | 2016-06-22 01:39 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
広島交通 日デK-UA31N +西工53MC
広島交通は、P-末期~U-にかけて富士重工を採用していた時期を除けば
基本的に西工架装の車両を導入しており、同社ユーザの代表的存在でもありました。
今回取り上げるのは、日デK-UAに53MCを架装した例。
なんとか写真に写り込んでいたものを、引き伸ばしてみました。
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・広島交通 日デK-UA31N +西工53MC 1992年3月 広島駅前

既にこの頃には、エアサスの長尺でメトロ窓・車内にはハイバックシートという仕様が確立しており、KC-までほぼ変わらずに引き継がれることになります。まだアストラムライン開業前で、広島北郊から都心部への輸送が華やかだった頃を思わせます(今でも、全国的に見れば本数は多く圧巻ですが)。

窓は側面も前面も拡大タイプ。
フォグランプはバンパーに埋め込まれた仕様ですね・・・個人的にはこのタイプはどうも前面が間延びした印象を受けてしまいます。
そして大型方向幕の上にはマーカーランプ。もう、この時期に採用している事例は殆ど無かったと思いますが、当時、とにかく飛ばしていた広交にはいい装備だったのかもしれませんね。


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by hiro_hrkz | 2016-06-18 16:49 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(0)
北海道拓殖バス 三菱ふそうK-MP118N? +呉羽
北海道各地にばら撒かれた、もと神奈中ブルドックから
本日は道東のこの事業者の1台を。
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・北海道拓殖バス 三菱ふそうK-MP118N? +呉羽 1999年5月 帯広駅前

帯広の北海道拓殖バスには、長尺車ばかりが移籍しました。
排ガス規制は、K-とP-の両方がありました・・・画像の車両はどちらかわかりませんが、とりあえずK-としてあります。
外観上とくに目立った改造は受けていないようです。

だいぶ前に、自社発注のブルドックを紹介しましたが、こちらは、その後に導入されたエアロスターと同じ色になりました。
個人的には、前のオリジナルのほうが似合っているかなあ・・・・と思います。


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by hiro_hrkz | 2016-06-15 23:58 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(2)
東武鉄道 3070系

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東武鉄道が1960年代から80年代にかけて製造した、在来車の機器流用による車体新造車。
その開始は1964年で、73系の更新が終了した頃になります。車齢40年近くになり構造もバラバラの在来車の車体を廃棄し、統一された車体に載せかえて輸送力を増強・・・というのは、この時期の関東大手私鉄に多く見られた現象ですね。東武の場合は、それが長く続いたところに特徴があるといえるかもしれません。

このうち昭和30年頃までに製造された中型車を18m級車に更新したのが30系。まず、東洋電機ES-530制御器等を搭載した32系を種車とする3000系、つづいて日立製作所PR-200制御器等を搭載した54系を種車とする3050系と続き、一番最後に更新されたのがが国鉄CS-5制御器を搭載した53系などを種車とした3070系でした。
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・東武鉄道 モハ3573 1995年6月 東武日光
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(上から)・東武鉄道 モハ3173 サハ3273 モハ3373 クハ3473 1995年6月 下今市

3070系の更新は1974~75年に実施。2連5本と4連6本の合計34両が、津覇車輌製の車体に変わりました。
なお、当初は5000系を名乗っていましたが、後に78系更新車に番号譲るために3000番台に統合されています。
8000系の前面と2000系の側面を組みわせたような・・・と例えられるのは、それまでの30系と同じ。
ただし、乗務員室が、運転側・車掌側ともに拡張されています。
前面には、種別幕がありますが、これが1文字づつ操作して合計3文字を表示するタイプで、時々、とんでもない組み合わせになっていたことが記憶に残っています。

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下回りは、基本的に種車のそれを流用していたため、台車も各種が存在していまいた。
画像はモハ3173が履いていたボールドウィンBW-78-25Aと、クハ3473が履いていた扶桑FS-7。
後者は住友金属が戦後、高速台車振動研究会の成果を基に昭和20年代に製造したもので、一体鋳鋼台枠・軸バネにウィングバネを採用し、後の様々な台車に繋がっていきます。

主電動機は東洋電機のベストセラーTDK-528/9-HM(定格出力110kw)を使用。
制御器は、種車のうちモハ5324が東洋の電動カム軸式 ES567を、モハ5800・5801が日立の電動カム軸・多段式のMMC-H-10Eを搭載していましたが、全て国鉄CS-5(と、弱め界磁用のCS-9)に変更しています。このとき、一部は国鉄から新たに譲り受けており、大船工場に出向いたという話が知られていますね。

ところで、東武30系のうち、3000系と3050系は併結できたものの、3070系は制御器の関係で併結できなかったと解説されることがよくあります。しかし、英国Dick kerr→E.E社系の電動カム軸式であるES-530は兎も角として、3050系のMCH-200Dこと日立製作所PR-200は国鉄形式CS-3で、CS-5と同じ電空カム軸式。当然国鉄では混用もされていました。
両者が併結できなかったのは、制御器が原因というよりは、マスコンが3070系は国鉄MC1なのに対し、3000・3050系はデッカー系のM-8Dだった(手動加速と自動加速を選択できた)ことに求めるのがスジでしょう。

余談ですが、CS-5は各社で製造されましたが、その基となったのは芝浦製作所がGEとの技術提携で製造したCS-1ことRPC-101。CS-5にもメーカー型式があり、芝浦製作所ではRPC-105となるようです(参考)。

3070系は、栃木に配置され、宇都宮線・日光線・鬼怒川線で使用されました。さらには、一時期は野岩鉄道に乗り入れて会津高原まで走っていました。たしか、野岩線開業時のニュースでこれが出てきてびっくりしたことを覚えています。
個人的には、子供の頃、栃木駅でこの電車を見たとき、8000系と同じ車体なのに走行音が78系・73系と同じであることに不思議な感を覚えたものです・・・地元西武にはこの手の電車は多かったのですが、車体の色が違ったので、違和感が無かったのでしょう。

この写真を撮影した翌年、1996年には、全車両が廃車になったようです。
新しい車体は実質20年ちょっとの使用で終わりました。
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by hiro_hrkz | 2016-06-11 17:27 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
西日本ジェイアールバス 三菱ふそうP-MP118K +富士5E
国鉄バスは、ふそう+富士の組み合わせのヘビーユーザであったことは言わずと知れた話ですが、その配置は基本的に近畿地方以西に限られていました。
この中で、昭和54年排ガス規制と昭和58年排ガス規制の端境に登場したP-MP118系の場合、近畿地方は富士5Eのリーフサス、九州地方は富士5Bのエアサスと仕様を大きく変えて投入されました。結果、富士5E架装は偏在することになり、分割民営化後は西日本JRバスが引き継ぐことになります。
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・西日本ジェイアールバス 三菱ふそうP-MP118K +富士5E 1998年11月 京都駅
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・西日本ジェイアールバス 三菱ふそうP-MP118K +富士5E 2002年1月 滋賀県甲賀郡水口町

国鉄のP-MP118+5Eは、全車両が軸距4.8mの短尺でした。
前中折戸は国鉄の標準仕様・・・側面最後部のエアインテークにガーニッシュが無いのも国鉄の5Eらしい感じがします。
エアコンはサブエンジン式か非冷房が当時の国鉄では主流でしたが、このグループは全車直結式を装備しています。

殆どは2段窓だったようですが、一部にメトロ窓+ハイバックシートのものがあり異彩を放っていました。
こういった差は、日デ+富士5Eでも存在し、こちらはジェイアール東海バスが引き継いでいます。それにしても、この時期の国鉄はどれがエアサスでどれがリーフサスなのか、その基準が全くわかりません・・・。
なお、後継のP-MP218Kでは、近畿地方に投入されたメトロ窓の車両も富士5Bになっています。

当初は近畿地方各所に配置されていたものの、最終期に残っていたのは滋賀県の水口営業所でした。
下2枚の画像はその頃のもの。最も、撮影した年のうちに、全て廃車になったようです。


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by hiro_hrkz | 2016-06-08 01:19 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
川中島バスの旧塗装車 2題
いまではアルピコ交通の一部となった川中島バスですが、1983年の倒産・松本電鉄グループ入りするまでは、北信の独立資本系の事業者・川中島自動車でした。その頃のバスは、緑色主体の塗装で、1973年からは灰色地に緑、屋根は赤茶色となっていました。10年近く前に山陽電鉄から移籍したCQAに施したリバイバル塗装をご覧になった方も多いかと思います。
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・川中島バス 日野K-RL321 +日野車体 1993年5月 長野駅
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・川中島バス 日野K-RJ172AA +日野車体 1997年2月 長野バスターミナル

川中島バスが松本電鉄グループ入りして経営再建すると、車両の多くが入れ替わりました。
銀に緑の新塗装のちにはアルピコカラーをまとった車両に置き換えられ、また在来車の一部はアルピコカラーに塗り替えられてゆきます。この結果、旧塗装の大型車の多くは1992年あたりまでに消えたようです。

一方で、川バスは比較的早くから中型車を導入していました。
こちらは移籍車市場に放出される中型が少なかったからか、あるいは狭隘路線の都合上なのか1998年の長野五輪の頃まで残っており、銀に緑の新塗装が消えたあとも見ることができました。

今ほど真剣にバスを撮影していない時期の為、アングルはご容赦を。
上はモノコックボディのK-RL、
前面の方向幕が分割されていますが、小さい方には元々何が表示されていたのでしょうか?
背景は、まだ善光寺風の旧駅舎の時代ですが、このアングルだとわかりませんね。

下はスケルトン初期のK-RJ。
非冷房ながら方向幕は大型のため、それだけが盛大に屋上に向かって張り出すことになります。
その上に、更にマーカーランプを取り付け、運転席上には通風口の覆いが取り付けられています。
果たしてこの部分、どんな構造になっていたのか、今更ながら気になるところです。


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by hiro_hrkz | 2016-06-04 02:07 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)