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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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京阪電気鉄道 寝屋川車庫構内入換車
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私鉄でよく見られた車庫・工場等の入替用車籍無し車 (機械扱)というのも、アントなど本物の?機械に押されて随分減ったように感じます。そんな中で、現在でも生きのこるのが京阪寝屋川車庫の車両。もと70形72です。
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公式サイトにも掲載されている有名案件なので、細かい説明は不要かと思います。
70形は京阪本線から京津線に転属した木造車の100形を新製車体に載せ替えたもの。72は1948年に竣工したもので、滋賀県の石山にある東洋レーヨン滋賀工場(の子会社)製の車体というのも珍しいもの。同社はこの頃、国鉄の戦災復旧車(70系客車)、私有貨車のタキ400、あるいは京福電鉄福井支社の車両鋼体化にも関わっていますね。工場自体が軍需転換されていたものの、終戦により職を失い、鉄道車両を手掛けることになった・・というパターンです。

70形は10両ありましたが、製造後まもなく1949年に発生した四宮車庫火災で大半を焼失。この車両だけ事故復旧で東レに入場していたために助かったというのは、幡生工場に入場したために原爆を逃れた広浜の買収国電(のちの熊本電鉄70形)を思い出すところです。

80形の増備で京津線の旅客車から寝屋川車庫の入替車になったのは1967年。それから、既に50年が経過しているわけです。
車両の長さ、あるいは操作のしやすさなどというのがあるとしても、よく今まで残っているものだと思います。
特に、最大の危機であった京阪線の昇圧すら、車内に電動発電機と整流器等を搭載して600V用の電機類に供給するという交流電化黎明期の車両を思わせるアクロバットな手法で乗り切ったことを思うと、どこか意地で残しているものすら感じます。
これは、70の種車となった100は、もともと京阪創業期の車両を改造したもので、その台車を今も使っているのが理由なのかと邪推するところです。

車体も側面の窓間こそ昇圧時にHゴム支持の窓とガラリになり、また片方の側面には大きな開口部と外吊り戸が設けられたため雰囲気が変わりましたが、運転席と扉まわりは随分原形を保っているものと思います。戸は木造、ドアの下にはホールディングステップ。入替車になったときに付けた自連がやはり重々しく感じるところですが、これはこれでかつての雄勝電車などを想起させますね。

・いずれも2004年10月撮影


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# by hiro_hrkz | 2017-10-16 23:03 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
岩手県交通 いすゞK-CJM500 +北村
岩手県交通は、1980年代後半に入ると国際興業グループ入りしたこともあるのか、路線車に関しては同社からの移籍車両が大半となります。その中で、例外的にまとまった数だったのが、平成初頭に移籍してきた神奈川中央交通のK-CJM500です。
神奈中の同型式には、川重、富士3E、5E、北村と4種類の車体がありましたが、これらを全て導入しました。
最も多かったのが北村。結果として、北村モノコックボディーの存在を遅くまで若い世代に伝えることになりました。

さて、このCJM+北村。塗装を変更した程度であまり大きな改造は受けていません。
神奈中独特のフロントガラス下の運賃支払い表示もそのまま。
方向幕は、側面は抜き取っただけで装置はそのまま。代わりに行き先表示板を設置。
リアは広告で隠し、唯一生かされた前面はサイズが合わないため両端を隠していました。
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ただし、その色は何故かマチマチ。
黒、青、白とありました。
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その後、盛岡市内で系統番号が振られ方向幕を交換したとき、一部車両はこの目隠しをとっぱらったようです。
側面の方向幕も復活していますね。

神奈中からはこの車両まで断続的に車両が移籍していましたが、この型式で一度打ち切りとなります。
その後は、KC-世代まで開くことになります。

・岩手県交通 K-CJM500 +北村 
(上から)1999年5月 岩手県岩手郡滝沢村
     1995年9月 盛岡駅前
     2004年6月 盛岡駅前
     1997年3月 盛岡駅前
     2000年10月 盛岡駅前
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# by hiro_hrkz | 2017-10-14 00:27 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(0)
万葉線吉久あたりにて
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高岡とその隣町の新湊(射水市)を走る万葉線。
高岡駅前附近こそ、いかにも市内電車の風情ですが、そう大きくはない高岡の中心市街地。
やがて沿線風景はいかにも地方都市の郊外といった風情のところを進んでいくところに、この路線の特徴があると思います。
とりわけ、車庫のある米島口から庄川の橋梁の間・・・電停では吉久のあたりは、独特の雰囲気があります。
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それなりに旧そうな街中の路上に単線の線路が敷かれており、昭和30~40年代に消えて行ったインタールーラルな路線の生き残りという感じがします。実際に、この万葉線よりも一本南東側の道は高岡市観光協会(外部リンク)のサイトにも掲載されている旧い街並みが残っています。
しかし、それだけで終わらないのが「新産業都市」(死語)の高岡。 
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大きな工場あるいは変電所が存在し、そこに旧い人家が同居する一種独特の景観をつくりあげています。
かつては新吉久~能町口で国鉄鉄新湊駅から分岐する貨物線との平面交差も存在し、まるで工場内を走るような景観だったようです。いまは工場群もだいぶ縮小してますね。

1枚目:吉久
2枚~3枚目 吉久~新吉久
4枚目:新吉久 

いずれも2004年5月


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# by hiro_hrkz | 2017-10-07 01:08 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
水間鉄道 三菱ふそうP-MP618M +呉羽
2005年の倒産前の水間鉄道のバスは、路線車は移籍車を含めて、日デ()といすゞ()で固められていました。が、特定輸送用にはふそうが存在していました。
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・水間鉄道 三菱ふそうP-MP618M +呉羽 2000年7月 大阪府貝塚市

画像がその車両。メトロ窓・中4枚折戸のエアロスターKです。
エアサス車で、平成2年製造。
中扉が一段下がっており、扉そのものも路線用とは異なるゴツいつくりをしています。
理由は不明ですが、車椅子等が関係しているのかもしれません。

写真の車両のほかに、同型式および排ガス規制違いのエアロスターKが存在していました。

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# by hiro_hrkz | 2017-09-28 01:07 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(0)
福島交通飯坂線 医王寺前駅
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福島市の郊外を走る福島交通飯坂線・・・通称「飯電」。全線単線で全長9.2kmと短い路線ですが、起終点含めて12駅のうち5駅で交換が可能で、朝ラッシュ時には10分間隔で電車を走らせていた頃もありました(現在は15分間隔)。そんな交換駅のうち、もっとも飯坂温泉よりにあるのが医王寺前駅です。
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島式1面2線と書けば、ごくありきたりですが、画像でもわかるように、まるでNゲージのミニレイアウト用の如く幅の狭いホームとなっています。ベンチに人が座ったら、それだけで余裕がなくなりそうです。ホームの屋根・柱のうち中間の一部だけ構造が異なっている点が気になるところ。
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ホームへの出入り口は福島駅寄りにあり、そのまま踏切の真ん中に繋がっています。
そして、この上下線間に非常に小さな駅舎があります。幅は窓口一つ分といったところ。
その上に時刻表と運賃表を幅いっぱいに掲げていますが、スペースは苦しく2段重ねで凌いでます。
券売機を置くスペースなどあろうはずはなく、ホーム上に備えられています。

現在でも朝夕は駅員が配置されているため状態はよく、冷房つき。
そして建屋の後には、仮設タイプのトイレも置かれており(・・・これは職員用でしょう)、うまく詰め込んだなあ・・・と思うところです。

・いずれも2016年8月 撮影。

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# by hiro_hrkz | 2017-09-23 01:20 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
阿寒バス 日デU-UA440LAN +富士7B
道東に路線を持つ阿寒バスは日野、ふそう、日デの3メーカーの車両を採用していましたが、この中で日デは数が少なく移籍車ばかり。とくに路線系シャーシのクルマは数えるほどしかありません。
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・阿寒バス 日デU-UA440LAN +富士7B 2003年9月 弟子屈(北海道川上郡弟子屈町)

このうちU-UA系は1990年9月製造の1台が移籍しましたが、車体は富士7Eではなく7Bでした。
もとは神奈川中央交通の契約輸送専用車です。神奈中の7BというとKC-UA521への架装例が有名ですが、U-UAはこれ1台のみ(他にU-LVが契約先?から移籍)。
このあたりの年式の神奈中の車両は、廃車時の車齢が市場に出回るクルマに比べてが高いこともあり、一時期的に国内への移籍例が少なくなっています。この車両は契約先の都合なのか12年程度で廃車になったため、移籍することができました。

サスペンションは当時の神奈中(の契約輸送用)としては珍しくエアサスであり、阿寒バスには適した車両だと思います。
移籍にあっては当然、乗合向けの改造をしていますが、前面の行き先表示は方向幕ではなく、ダッシュボードの左側面よりに板を差し込むさ電照式の小さなものが設けられました。

いまも変わらず摩周営業所(弟子屈)に配置されているようです。
余談ですが、富士7E架装の丹頂カラーを見てみたかったなあ・・と思います。
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・撮影当時の弟子屈にて。バスセンターとはありますが、既に閉鎖されていました。




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# by hiro_hrkz | 2017-09-17 01:54 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
伊予鉄道 600形
伊予鉄道の鉄道線の電車は、1967年の横河原線電化で西武鉄道から川造形を購入するまでは、全て自社発注車でした。しかし、昭和30年代に投入されたのは600形1編成2両のみ。このあたりはコンスタントに新車が投入された市内電車とは対照的です。それは当時の車両構成を考えれば当然なのですが。

ともあれ、この600形は1958年ナニワ工機製。
自社発注車で唯一の張殻構造の車体を持つ新性能車でした。
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・伊予鉄道 モハ601 1990年8月 古町
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・伊予鉄道 モハ602 上:1993年8月 下:1996年10月 古町

車体寸法は長さ18000×幅2600mm(最大寸法は18800×2700mm)。私鉄中型車としては車体が細い一方で長いといえますね。
中央運転台で、前面は中央の窓が幅広の3枚窓構成。同じ時期にナニワ工機が作った地方私鉄向けの電車に当時の流行のせいか2枚窓(例1例2)が多いことを考えると特異な点です。これは伊予鉄が運転台の位置に拘ったゆえと思いますが、前面の見付けは、同時期に同じメーカーでつくられた路面電車との共通点を感じるところです。
客用扉の幅は1000mmと狭めで、落成当初はステップつき。また、連結面は幅広貫通路である一方、窓はありませんでした。

電気機器類は、それまでの伊予鉄の電車と同じく三菱製。従って、制御器は単位スイッチ式間接自動のABF-104-6ED、主電動機はMB-3032-C(端子電圧300V・定格出力75kw)を1両に2機搭載し、2両でMM´ユニット方式(1C4Mで直並列制御)となっています。制動方式は、発電制動・中継弁つき自動空気ブレーキ(AMAR-D)で、これも自動ブレーキの在来車との共通性を考えての選択でしょう。
台車は、軸バネがウィングバネ・枕バネが上下揺れ枕式でコイルばねの日車ND-104となっています。国鉄DT21に類似していますが、台車枠の側面に丸い穴が開いているの点に、この時期の日車製台車(例・NA-4)の特徴が表れていますね。
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さて、2両編成で落成した600形ですが、やがて伊予鉄は関東の私鉄から大量の車両を購入し3両編成が標準となっていきます。在来車も3連となりますが、その中で600形は併結できる車両がなく次第に運用しにくい存在になっていたようです。
そんな状況の中、1979年に長野電鉄から車両を購入・改造して3両固定編成となりました。
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・伊予鉄道 モハ603 1993年8月 古町

伊予鉄モハ603となったのは、もと長野電鉄1100形。木造車(モハ1、クハ61、クハ51 いずれももと信濃鉄道→国鉄)の機器を流用して1961年に日本車輛で3両が製造されました。長野市中心部の地下化に伴い廃車となり、モハ1101とクハ1151が豊橋鉄道に譲渡されモ1811+ク2811に、モハ1102が伊予鉄に譲渡されました。
車体の長さは600形と同じ18000mm(最大長1880mm)ですが、車体幅は100mm広い2700mm(最大2744mm)。前面はもともと貫通路付でしたが、改造されて601と同じようになっています。これは3両化にあたり運転台を撤去した602から移植したものなのか気になるところです。

機器類も、もとが釣り合い梁台車+吊り掛け駆動・HL制御・直通制動であったため、根こそぎ交換されています。
これには1977年に機器を交換したモハ303・304と共通するものが使われています。すなわち、制御装置は電動カム軸式の三菱ABFM-104-75MDA、主電動機は三菱MB-3054-D2(端子電圧375V・75kw)を4基搭載し、やはり1C4M制御となっています。制動装置は601・602に合わせてAR-D。台車はダイレクトマウント式で枕バネがコイルバネという住友FS504を履いてます。

なお、モハ602は運転台を撤去していますが、それだけにとどまらず、従来からの連結面と同様の切妻構造に変更しており、こちらもそれなりに大きな改造となっています。

それにしても、既に3扉が主力となっている状況での2扉車の購入、そして下回りの全面交換と前面の大改造などという大手術をしてよく導入したものだと思います。当時、大手私鉄でもこんな新しい車両は、まず放出されておらず(・・京成が他社に譲渡していれば別だったのでしょうが)、良好な案件ではあったのでしょう。

鉄道線用では600以来の自社発注となる610形に置き換えられ、1995年に廃車。
603は直ぐに解体されましたが、残る2両は保存する意図があったのか、その後も長い間、古町駅構内に留め置かれていました。

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# by hiro_hrkz | 2017-09-10 00:57 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
茨城観光自動車 日野P-RT225AA +日野車体
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2001年に廃業した茨城観光自動車(通称・茨観)。
その車種構成は一部にいすゞ若しくはふそうがありましたが、基本的には日野の大型車を採用していました。
このうち、昭和58年排ガス規制(P-)の大型車は、エンジンを垂直搭載したP-RT225AAばかりでした。お隣りの関東鉄道は水平式のP-HT223AAばかりなので、対照的な感じがしたものです。
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・茨城観光自動車 日野P-RT225AA +日野車体 1999年1月 茨城県土浦市
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・茨城観光自動車 日野P-RT225AA +日野車体 1997年8月 土浦駅前(茨城県土浦市)
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・茨城観光自動車 日野P-RT225AA +日野車体 2001年5月 竜ヶ崎駅前(茨城県龍ヶ崎市)
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・茨城観光自動車 日野P-RT225AA +日野車体 2001年5月 牛久駅前(茨城県牛久市)

アルバムを漁ったところ、この4台の画像(土浦22あ535、721、722、810)が出てきました。
いちばん上の535(昭和59年式?)だけが前面方向幕廻りが板金処理で、行き先表示のほかに運賃表示が設けられています。
これは、K-RE?などモノコック車の仕様をそのまま引き継いだものでした。
残りは昭和59~60年式ですが、この3台の間に差は見られません。なおナンバーが離れているのは、つくば科学万博輸送のバスが登録されて進むのが早かった(たとえば、かの連節バスは土浦22あ600~700番台)ためです。
どの車両もウィングマークと車種名ロゴ入り。気になるのは、側面の出入り口表示が窓のサイズよりも一回り小さいものを貼っていたことですが、今となってはその理由も解り様がありません。

茨観といえば前面方向幕の表示も一種独特で、わざわざ「行」とかかれてあり、また一部は「〇〇方面行」などとなっていました。その下にカッコ書きで複数の経由地が書かれており、なんともせせこましく感じたものでした。

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# by hiro_hrkz | 2017-09-05 00:20 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)