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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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林田バス いすゞKC-LT233J +IBUS
鹿児島の林田産業交通が倒産してから20数年が経とうとしています。
同社が最後に入れた新車が、このあたりの数両でした。
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・林田バス いすゞKC-LT233J +IBUS 2002年7月 いづろ(鹿児島県鹿児島市)

1996年製造で、同社では少数派のLTでした。
このときに導入された車両は他にも日デUAといった、それまで日野やふそうをメインとしてきた同社にしては異色の車両が入りました。既に苦境に入っていたことを示すようにも思います。

9m大型車としては同社は日野U-RUを複数導入しており、前中引戸など仕様の面ではそれらに準じているようです。
エアサスにハイバックシートはさすが鹿児島のバスと思わずにはいられません。

鹿児島交通傘下に入り、林田バスとなったときに撮影したもの。
その後は御周知のとおり、いわさきバスネットワークを経て現在は鹿児島交通に吸収されています。
この車両も、後に白地に緑ヤシの木に変更されました。
# by hiro_hrkz | 2019-02-17 22:30 | バス(川重/IK/IBUS) | Trackback | Comments(0)
津軽鉄道 キハ2400形(自社発注車)
 戦前は国有鉄道よりも率先して車両の開発が進められていた民鉄の内燃動車ですが、戦後になると一転して国有鉄道の車両に範をとった車両が一般的となります。各地に国鉄キハ10あるいはキハ20の亜流と呼ぶべき車輌が存在しました。
津軽鉄道キハ2400形もそんな事例の一つで、1962年にキハ24021~24022、1966年にキハ24023、1967年にキハ24024の4両が新潟鉄工所で製造されました。
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・津軽鉄道 キハ24022 1994年2月 津軽五所川原
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・津軽鉄道 キハ24023 1997年8月 津軽五所川原
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・津軽鉄道 キハ24024(廃車) 2002年6月 金木

 窓割は便所がない点を除けば国鉄キハ20に準じていますが、1段上昇式の窓を採用していることが特徴です。ただし、国鉄キハ22のような2重窓ではなくその天地寸法もそれよりは大きめです。
また、床下排気となっているため、キハ20のように排気管を通すために窓柱が太くなっている場所がありません。結果として客用扉間の窓が等間隔となっており、これは同じく新潟鉄工所で製造された雄別鉄道の気動車と共通しています。
 機関は当然ながら国鉄DMH17系のDMH17C、台車も国鉄DT22系ですが型式は新潟独自のものでNP1A・NP2A(24021~24022)もしくはNP1B・NP2B(24023~24024)となっています。

さて、津軽鉄道の戦後の気動車は、国鉄キハ22を22027・22028として導入するまで、全てキハ2400形としていました。
すなわち
 キハ2401 もとキハ2(1933年 日車製)
 キハ2402~2403 1950年 新潟製。前面は国鉄キハ41000タイプ
 キハ2404~2406 もと三岐鉄道 荷台付き
 キハ24021~24024
 キハ24025・24026 もと国鉄キハ11
となります。これは東北陸運局式の番号体系を採用したためで、他にも宮城県の仙北鉄道の気動車がキハ2400となっています。

 キハ24021~24024は1992年4月1日よりはじまったワンマン化に対応しなかったため、走行の機会が減少。
加えて、NDCシリーズの津軽21形の増備に伴い、1997年2月にキハ24021、24022が、2000年3月にキハ24023、24024が廃車になっています。

・参考文献
 湯口 徹『レイル 14 私鉄紀行 奥の細道(上)』 プレスアイゼンバーン 1985年
 服部 朗宏・藤岡 雄一「私鉄のキハ20系」 鉄道ピクトリアル605号(1995年5月)
 岸 由一郎「津軽鉄道」 鉄道ピクトリアル636号(1997年4月増)
 
# by hiro_hrkz | 2019-02-09 21:29 | 鉄道(非電化) | Trackback | Comments(0)
千歳相互観光バス 日デKL-UA452KAN・KL-UA452MAN +西工96MC
千歳相互観光バスは、長らく西武バスからの移籍車を受け入れていることで知られます。
そうなれば西武バスの車種構成からして、最近は西工架装の車両が増えているようです。
今回は、撮影できた3両の画像を並べてみます。
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・千歳相互観光バス 日デKL-UA452KAN+西工96MC 2016年10月 千歳駅前(北海道千歳市)
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・千歳相互観光バス 日デKL-UA452KAN+西工96MC 2018年8月 千歳駅前(北海道千歳市)
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・千歳相互観光バス 日デKL-UA452MAN+西工96MC 2018年8月 千歳駅前(北海道千歳市)

全車前中引戸という点は共通していますが、そのほかはバラバラ。
軸距4.8m(UA452KAN)は前中間ノンステップ車、軸距5.3m(UA452MAN)はワンステップであるのが大きな違い。
エアコンも前者はゼクセルとデンソー、後者はデンソーのモデルチェンジ前を搭載しています。

# by hiro_hrkz | 2019-02-03 18:25 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(0)
高松琴平電気鉄道長尾線 750形750、760
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・高松琴平電気鉄道長尾線 750+870 1998年7月 白山~井戸

 琴電の旧型電車の中でも、とりわけ数奇な運命の持ち主と感じるのが750形でした。
 1951年、日立製作所製。もと備南電気鉄道(宇野~玉)モハ100形101~103となるものの、小林宇一郎氏の研究発表により、未開業に終わった蔵王高速電鉄(山形~半郷~上山、半郷~高湯)の発注車であるとされています。どちらも第2次大戦後に企画された鉄道ですが、蔵王高速は山形~上山の土木工事もかなり進んでいた段階で朝鮮戦争勃発による資材高騰で断念、備南はほぼ完成状態にあった造船所の引込線を流用したものの資金難で1953年4月に開業します。しかし、当初の構想のような児島を経て水島に達する路線には程遠いものでした。
 結局、備南電鉄は3年後の1956年3月に解散し、玉野市に経営を譲渡。その後は玉遊園地前までの路線の延長や交換所の設置などが行われたもの、道路整備が進んだことで旅客は伸びず経営は苦しい状態が続きます。その結果、経費削減のため1964年11月に中古の気動車を購入して内燃動力併用となり、不要となった電車は1965年3月にコトデンに売却されました。なお、玉野市の鉄道は1972年3月31日限りで廃止になっています。
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・高松琴平電気鉄道 760+315 1999年4月 片原町
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・高松琴平電気鉄道 500+760 2000年1月 井戸

 車体長15000mm×幅2640mm。前面が張り上げ屋根であるのは、この時期、民鉄に強力な売り込みをかけていた日立製作所製の電車に共通のスタイル(例としてコトデンの10000形)です。主電動機はHS-267(端子電圧750V・75kw)×4、制御器は電動カム軸式多段制御・自動加速式のMMC(・・・MMC-H-200か?)で高速性を重視、台車はU型イコライザのKBD-104でした。コトデンでは1965年9月に竣工し琴平線に配置、もと102、103、101の順に750形750、760、770となります。前面は非貫通のままでしたが、その後ほどなくして貫通路を取り付けています(少なくとも1969年には取り付けられている)。
 当時のコトデンは、間接非自動式の制御器(いわゆるHL)の車両が多かったものの、他の方式もいくつかあり750形は単独で使用されていました。しかし、ラッシュ時の増解結が頻繁に行われるため間接非自動への統一に動き出し、750形は1974年に同方式に変更されています。台車・主電動機も、もと名鉄3700の1020形に譲り、以降はTDK-596(出力60kw、もと阪神880等)などを装備することになります。
 1974~1975年に750、760が600V化を受けて長尾線に転属、残る770も1976年に転属しています。この頃も750同志で編成を組むことが多く、770は予備車的存在でした。その770が運用に入った1978年11月3日、平木~白山でダンプカーと衝突し廃車になっています。
 なお、屋上のベンチレータは片側3列のT字型ですが、いつの間にか750については撤去されています(少なくとも1976年には無し)。
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・高松琴平電気鉄道 760+860 1998年4月 高田~池戸
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・高松琴平電気鉄道 760+860 1998年7月 元山~水田
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・高松琴平電気鉄道 750+870+62 1998年7月 元山~水田

 750・760は1979年までに1020形由来のブリル27-MCB-2にMB-98A(端子電圧750V・出力74.6kw)を装備することが確認できます。他の長志線電動車の主電動機よりも出力が高いことから、1983年に琴平線から電装解除の上で転属してきた17m級の800番台車と編成を組むことが多くなります。客用扉も木製から金属製に、貫通扉も同様にHゴム支持のものに変更されています。
 1994年の瓦町駅改良に伴う長志線分割では長尾線の所属になり、以降は750は860形870(もと西武→山形交通三山線)、760は同860と編成を組んでいた時期が割合長めだったと思います。上の3枚の画像はいずれもそのころのもの。山形を走っていた電車と山形を走るはずだった電車が編成を組むことに、何か因縁めいたものを感じたものです(・・・蔵王高速にかかわったのは山交ではなく庄内交通の社長なのですが)。
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・高松琴平電気鉄道 760+100 1998年11月 池戸~農学部前
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・高松琴平電気鉄道 750+300 1998年9月 元山~水田

 1998年7月に長尾線にも待望の冷房車、600・700形(もと名古屋市交通局)が入線しますが、この時に単独の制御車を優先して代替することになり860、870は廃車。以降、750形は他の両運転台車と同様の使われ方をすることになります。
この頃の両運転台車は2両がペアになって運用されており、どちらかが検査に入るまではそれが崩れることはほぼありませんでした。しかし、4日に1回、前後が逆になり、また朝は4日に1回、編成をばらされて他の編成の増結に回ったため、実に様々な編成が出現することになります。
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・高松琴平電気鉄道 750+36+35 1999年4月 西前田~高田
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・高松琴平電気鉄道 760+71+500 1999年10月 白山~井戸
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・高松琴平電気鉄道 760+500+315 2000年11月 白山~井戸
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・高松琴平電気鉄道 760+606+605 2000年1月 花園
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・高松琴平電気鉄道 100、750 1999年7月 仏生山

1999年7月、長尾線用600・700形の第3編成が入線した際に、750は自社発注の100と共に廃車。残った760は2001年?に台車・主電動機を長志線で最も多かった、川車BWにTDK-596の組み合わせに変更します。
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・高松琴平電気鉄道 760+120 2002年12月 西前田~高田
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・高松琴平電気鉄道 760 2004年4月 瓦町
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・高松琴平電気鉄道 760+120+325+300 2006年6月 滝宮~陶

2004年には民事再生法適用後の旧型車の標準塗装となった茶色とアイボリーに変更されます。廃車は2006年9月のこと。琴平線ではそれに先立ち、旧型車4両での記念運転が行われました。
 その後は玉野市民有志の尽力により里帰りが実現し、玉野市内で保存されています。
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・2006年6月

・参考文献
真鍋 裕司「私鉄車両めぐり121 高松琴平電鉄[下]」 鉄道ピクトリアル404号(1982年6月)
真鍋 裕司「琴電 近代化への歩み」 鉄道ピクトリアル574号(1993年4月増)
小林 宇一郎「蔵王高速電鉄モハ100形秘話ー琴電750形のルーツ」 鉄道ピクトリアル574号(1993年4月増)
橋本 正夫『RM LIBRARY102 玉野市電気鉄道』 ネコパブリッシング 2008年
寺田 裕一「動く電車博物館Part3 高松琴平電気鉄道」レイル・マガジン33号(1986年9月)
# by hiro_hrkz | 2019-01-27 18:02 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
三重交通のエアロスターM
バス事業者が採用するメーカが大きく偏っていることは往々にしてありますが、そのようなところでほかのメーカの車両を見ると少々得した気分?になりますね。一般路線車の大半がいすゞの三重交通にもエアロスターMがありました。
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・三重交通 三菱ふそうP-MP218M +三菱 2002年4月 近鉄四日市駅(三重県四日市市)
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・三重交通 三菱ふそうU-MP218M +三菱 2006年2月 宇治浦田町(三重県伊勢市)

上が昭和58年排ガス規制(P-)、下が平成元年排ガス規制(U-)と異なりますが、仕様はほぼ同じ。
この角度で見る限り差はフォグランプの形状程度でしょうか。
当然ではありますが、主力のいすゞキュービックとも仕様面では大差がありません。
屋上も冷房以外は特に換気扇類があるわけではなく、非常にスッキリとした印象を受けます。

P-が2両、U-が12両の計14両が導入されたようです。
配置は写真の通り、四日市と志摩でした。
# by hiro_hrkz | 2019-01-19 00:21 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(0)
一畑電気鉄道 電鉄出雲市駅
一畑電車の西のターミナル、電鉄出雲市駅
現在は隣のJR山陰本線共々高架化されていますが、かつては百貨店の入ったターミナルビルを備える地平駅でした。
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ローカル私鉄であってもそのターミナルにビルを建てるという例はいくらでもありますが、一畑の場合は県庁所在地で都市としても大きい松江側ではなく、その反対側の終点の都市というのが少々特徴的な点かと思います。これは北松江→松江温泉駅の立地や、そもそも松江市内の中心地に一畑は百貨店を既に開設していた(1958年)ことを考えると納得できます。

出雲市駅のターミナルビルの開設は1964年のこと。
それまでは山陰本線の出雲市駅に乗り入れていましたが、これを機に独立し駅名を変更しています。
1967年当時の写真(「鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション21 私鉄車両めぐり山陽・山陰」P109参照)を見ると3階建て(一部2階建て)なので、その後に2階分増築したことがわかります。その写真には観覧車が写っており、小さな百貨店でも定番の設備だったのだな・・・と思うところです。

さて、一畑の電車とバスは1階から発着していました。バスは駅北側の2車線道路に面したところがそのままバス停になっていました。一方で電車のほうは、その反対側、山陰本線に面した側にホームがありました。
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(斜めの写真で失礼します)

山陰本線のホームから撮影した写真は、以前は比較的よく見かけたと思います。
1面1線のこじんまりとしたもので、ホームの幅は狭くなんとなく百貨店の一部を間借りしている雰囲気でした。
外から入ると、どこが駅の入口か分かりづらかったことを思い出します。

ところが、落成時は2階建ての部分の1階にすっぽり入るようにしてホームがあり、しかも1面2線でした ("電鉄出雲市 昭和43年"でGoogleの画像検索をしてみてください)。大手私鉄ばりの堂々としたターミナルであったことがわかります。
つまり駅自体が松江側に移動し、ホームも山陰本線側に張り出すように改造されたことになります。山陰本線側にも一畑百貨店の増床が行われており、それに伴う移転だったのでしょう。
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電鉄出雲市駅は2001年12月に高架化。一畑百貨店出雲店は2000年に一旦閉店し、再開発で完成したホテルの1階に子規模な店舗を持つ程度になりました。
その出雲店も閉店になるとの一報が入っています。

・1、3枚目 1993年8月
・2枚目 1995年2月
・4、5枚目 2009年2月 撮影
# by hiro_hrkz | 2019-01-14 00:17 | 鉄道施設 | Trackback | Comments(0)
国際ハイヤー いすゞP-LV314L・U-LV324L +富士7E
 1990年代に入り、東武鉄道は子会社への路線委譲を急速に進め、現在はそれらが朝日自動車グループを形成するまでになっています。埼玉県北の熊谷市周辺も例外ではなく、2001年に国際ハイヤーに移管されました。
 埼玉県内で国際(バス)といえば真っ先に思い出されるのが国際興業ですが、もともとは同社のハイヤー事業の一部で、1957年に東武傘下入りしました。その後、同じく東武系列の群馬観光タクシーに合併しますが、東武からバス事業を譲り受ける直前に国際ハイヤーに改称するという少々ややこしい経緯を経ています。ともあれ、このことにより乗合バス事業を開始しています。

 さて、この頃の東武の路線委譲では、車両については子会社側が新車を投入するか、中型車を移管する事例が多くをしめました。その中にあって、国際ハイヤーには大型車が移管され、一部は朝日カラーに変更されたのが特徴でした。大型車の移管は他の子会社に対してもありましたが、殆どは移籍後も東武カラーのままで終わりました。したがって、この国際ハイヤーの事例は目立っていたと言えましょう。
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・国際ハイヤー いすゞU-LV324L +富士7E 2001年3月 熊谷駅(埼玉県熊谷市)
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・国際ハイヤー いすゞP-LV314L +富士7E 2001年3月 熊谷駅(埼玉県熊谷市)

 国際ハイヤーに移管された大型車は、いずれもいすゞでした。ただし、その仕様については、都内むけの前中引戸と、それ以外の前後折戸の両方が入り乱れています。これは東武時代末期そのままとのこと。なお朝日カラーになった車両はU-LVのみで、P-LVについては存在しなかったと記憶しています。
 それにしても国際バスという表記は紛らわし・・・と感じますが、国際興業バスの路線とは被りようがないですし、特に問題はなかったのでしょう。

 東武は子会社への路線移管が粗方進むと、今度は子会社の再編に乗り出します。国際ハイヤーは2002年10月に両毛観光バスを合併し貸切事業も開始、さらに2004年1月には十王自動車と合併して国際十王交通に社名変更しています。塗装変更された(大型)車の一部は、旧・十王自動車側に異動しました。また、2台が南部バスに移籍しています。

# by hiro_hrkz | 2019-01-12 02:27 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
京都市交通局 日野K-RC381 +日野車体
年々、バスは仕様の標準化が進み事業者毎の差が減っています。
今回は、逆に仕様の差が際立っていた時代のバスの画像を1つ。
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・京都市交通局 日野K-RC381 +日野車体 1994年8月 三条京阪

京都市営バスの日野RCです。
 モノコックの時代から前面窓下に安全確認窓を設けていた事例は、京阪など他にも何例かありますが、ここはライト上とライト横の2か所に設けられていました。後扉は下半分にも窓がある仕様、側面の方向幕回りも2段に分割され上側に細い窓があります。一方、前面の方向幕は系統と行き先が分割されたものですが、左側面側が系統幕になっている事例は全国的に見れば少数派かと思います。
 そして京都市交のRCがなにより特徴的だったのは、側面の扉間の窓が等幅6枚であったこと。K-RC381は通常であれば、ここには幅の異なる窓が合計7枚並びます()。特注であったのでしょう。これはブルーリボンにも受け継がれ、他の関西地方の事業者にも広まることになります。
# by hiro_hrkz | 2019-01-05 18:02 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)