あけましておめでとうございます。
新年快樂 万事如意。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2026年/令和8年、丙午(ひのうえま)。
今年は、本来の干支(十干+十二支)が意識される数少ない年ではないかと思います。
表紙の画像は、20「26」年にちなみ遠州鉄道のモハ26に、富士重工のバスのほうは午年にちなみに中山競馬場の京成バスとしてみました。
さて、馬ということで思い出したものがあったので、今年の元日はこのことを書いてみたいと思います。


京王帝都電鉄は、かつて休日の特急は高幡不動で八王子発着と高尾山口発着を分割・併合するダイヤでしたが、春・秋のハイキングシーズンの朝夕は2本続行に変えていました。このうち、京王八王子方面は「陣馬」、高尾山口方面は「高尾」のヘッドマークか掲げられていました。当時、東京西側の各線では、国鉄中央線は特別快速「おくたま」「みたけ」「あきがわ」、西武池袋線は快速急行「奥武蔵」、東武東上線は特急「みつみね」「ながとろ」「たまよど」などをいずれも特別なヘッドマーク付きで走らせていました。戦前から続くハイキング客誘致が続いていた時代だったとも言えます。京王の場合は、これが名車5000系に掲げられていたこともあり、一層印象深いものにしていたと思います。
さて、「陣馬」とは東京・神奈川県境にそびえる標高855mの陣馬山(陣場山)のことです。京王帝都はここを観光開発することを目論み、1955年にアクセスする路線を運行するバス会社の高尾自動車(現在の西東京バスの一部)を傘下に入れたのち「陣馬高原」と名付けました。1957年には陣馬高原キャンプ場を開設しています。ヘッドマークに描かれているのは山頂にある白馬の像で、これも京王帝都が建てたものです。このアクセスとして、ハイキング特急「陣馬高原」を運行し、東八王子から陣馬高原下まで高尾自動車がバスを運行しました。1960年代には相当の賑わいを見せた様です。また、随分後の1982年に、西東京バスが伊那バスから購入したボンネットバス(いすゞBXD50 +北村)を「夕焼け小焼け号」としてこの路線に投入したことは、当時を知るファンには改めて記す話でもないと思います。



一方、正月の京王線といえば、特急「迎光」号を思い出される方も多いでしょう。これは1967年の高尾線開業後、初の年末年始終夜運転から運行されたもので、薬王院の迎光祭に因んだものです。
これらヘッドマーク付きの写真は、当時の京王を紹介する書籍に掲載されていることが多かったのですが、昭和50年代になると特急運用は6000系が大半となったため私は5000系がヘッドマークをつけて走る姿をみたことはありません。上の写真はいずれも、事業用車に転用されて残っていたデワ5125+デワ5175+クワ5875が廃車になる2004年11月に若葉台で実施された撮影会のときのものです。
現在、京王の多摩方面観光開発は、その大半が高尾山にシフトしています。陣馬方面はすっかり影を潜めバスが高尾駅発着となるなど、随分変わったと思う次第です。一方で、このヘッドマークを子供の頃に見た世代がそれなりの年齢になったからなのかどうかはわかりませんが、たびたび復刻されるようになっています。

・2023年6月 桜上水
画像は、7000系クハ7805に取り付けられたもので、6000系が陣馬に充当されるようになってから作られたタイプのヘッドマークが取り付けられました。最も運用は八王子方面に限定しておらず、相模原線でもヘッドマークをつけたまま走っていましたが。


・富士急行1001+1002 2014年1月 寿~三つ峠
一方5000系を譲り受けた富士急行では、2012年に1001+1002を京王時代の塗装に復しました。車体の番号表記も5113・5863に戻すなど凝ったもので、陣馬・高尾のヘッドマークを付けて走ったこともありました。画像は干支で丁度一回り前の2014年の正月のもので、吉田側には迎光号を、大月・河口湖側には陣馬号をそれぞれ模した迎春のヘッドマークを掲げていました。
・参考文献
京王電鉄『京王電鉄五十年史』 1998年
野田正穂・原田勝正・青木栄一・老川慶喜 篇『多摩の鉄道百年』 日本経済評論社 1993年
鈴木洋「京王電鉄高尾線の移り変わり」鉄道ピクトリアル893号(2014年8月)