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台湾の最大都市、台北を支えるのが捷運。
一系統だけがGECアルストームの新交通システム(VAL)であるほかは、大型車による地下鉄・高架鉄道(標準軌、直流750V・第3軌条集電式)となっています。
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・2005年9月 圓山

さて、台北捷運の電車は製造年次により複数の形式がありますが、いずれも全長23m級、車体幅約3200mmで外吊り扉の4扉車という点は共通しています。上の画像は淡水線の301形で6両固定編成です。
その淡水線には台北駅~淡水の本線の他に、北投~新北投の支線があります。もともと本線との直通を考慮した土木設計となっているのですが、線路際まで民家があることが理由で開業以来3連の電車が支線内を低速で行ったり来たりするだけとなっています。
その支線内で走っていた電車がこちら。
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・2005年9月 北投

301形電車で、こちら側は6両編成の車両となんら変わりはありません。
前面の非常口部分に「新北投列車」と書かれていますが、黒地に赤文字なのが理由か文字の大きさの割にあまり目立ちませんね。しかし、もう一方の先頭車は・・・というと、
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・2005年9月 新北投

簡易運転台か何かと思わせるような車両。
つまりは、通常の6連を3連づつに分割し、中間車に応急的に運転台を設置したものとなりました。貫通路の部分を埋めてここに窓を設置して運転台に。そこにライト類を設置したわけです。
また、乗務員室に扉はないので、客室側から乗務員は出入りしていました。なお、客室と乗務員室の仕切りには窓がなかったので、中がどうなっていたのかはわかりません。

この写真を撮影した翌年、3両編成の専用車(371形)が投入されたため、こちらは増設した運転台を撤去し6連に戻っています。

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# by hiro_hrkz | 2018-08-19 21:37 | 鉄道(海外) | Trackback | Comments(0)
亀の井バス 日デU-JM210GTN +西工
路線バスにリフト付きのバスが出てくるのは、おおむね1990年代に入ってからのことです。大都市の公営交通が中心ということもあり、多くは大型車でしたが、その中で中型車に取り付けたのが大分県は別府に路線網を持つ亀の井バスでした。
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・亀の井バス 日デU-JM210GTN +西工 上:2002年8月 下:2012年5月 別府駅(大分県別府市)

亀の井バスは路線事情と輸送量が理由なのか、路線車両はほぼ中型車となっています。
従って、リフト車も中型となったのは自然の成り行きでしょう。ただし、日野でそろえていた中、車種は日デが選択されました。当時2種類あった日デの中型のうち、西工架装のU-JMとなったのは地域柄、なにより親会社が西鉄ということを考えると当然の成り行きといえましょう。
 型式中の「T」が示すように、低床(ワンステップ)のリーフサス車・・・といいたいところですが、なぜかこれはツーステップ車。理由は知る由もありませんが。側面の窓はT字窓で、これも亀の井バスの路線車としてははじめての仕様でした。最も、一般路線車はこの後も2段窓での増備が続くのですが。扉配置は当然ながら前中戸ですが、亀の井のオリジナルは前中折戸であるため、違和感はありませんね。
 亀の井バスはこの車両以降は、ポツポツと日デも導入するようになります。

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# by hiro_hrkz | 2018-08-11 02:43 | バス(北村、西工、東特) | Trackback | Comments(2)
静岡鉄道 クモハ20
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自社発注のステンレスカーが走りぬける静岡鉄道静岡清水線。
その長沼工場に長い間ヌシのように存在していた電車がありました。

 静岡鉄道クモハ20。もとは鶴見臨港鉄道が旅客営業の開始に備え、1930年に製造したモハ100形→モハ110形10両のうちのモハ109→119でした。モハ100形は大半が新潟鉄工所製ですが、このモハ109と110のみが鶴臨と同じ浅野財閥系の浅野造船所製で、両者の間で前面の雨どいや、ウィンドウヘッダーの形状などに差があります。新潟製のほうはのちの銚子電鉄デハ301が有名ですね。
 鶴見臨港鉄道は戦時買収で国鉄鶴見線になりますが、電車は鶴見線の架線電圧昇圧を機に他の買収線に異動。モハ119は富山港線を経て可部線に転属し、雑型形式・番号のモハ1505になったのち1958年に廃車になります。そして、同じく可部線で廃車になったモハ1500(←臨港モハ113←モハ103)、モハ1503(←臨港モハ117←モハ107)と共に静岡鉄道に入線。1500、1503、1505の順にモハ(→クモハ)18~20になりました。このうちクモハ18と19はしばらくしてから2両固定編成となり1968年にクモハ350形に機器流用で廃車になりますが、クモハ20は両運転台であるためか長沼工場の入れ替え用になりました。なお1983年は車籍が抜かれ、以降は工場の機械扱いになっていました。
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・静岡鉄道クモハ20 上:1993年8月 中・下:1998年8月 長沼

いちばん上は1993年の撮影で、出場直後なのか随分と塗装が鮮やかでした。残り2枚はそれから5年後ですが、随分と色あせてしまっていますね。
それはともかく、ヘッドライトは幕板に2個づつつけていますが、一時期的には同社の100形のごとく、窓の下に取り付けれれていた時期もありました。屋上に目を移すと、母線がパンタグラフのある側とは反対の妻にありますが、これはパンタグラフを移設した結果です。工場の建屋の位置関係から、その理由はなんとなく類推できますね。

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一方でよくわからないのが下回り。鶴臨100の原型は、制御器が芝浦RPC(RPC151?)、主電動機は芝浦SE-119I(端子電圧675V、出力56kw)で、台車はモハ119は日車D-16でした。
 しかし、静鉄に入線してからはいろいろと変わったようです。クモハ20の場合、1970年代中頃にはすでにこのブリルになっていました。このタイプの台車を履いてていた車両となると、揖斐川電気モハニ1→近鉄養老線モニ5001が思い出されるところですが真相はいかに・・・たしかに静鉄は名古屋線改軌のときに余剰となった台車を譲り受けているようですが。
 一方、主電動機はTDK-31-SN(端子電圧600V時52kw)と言われています。静鉄では100形でも使われていた主力機種ですがその出所は・・・この型式は名鉄での使用が有名ですが果たして??? そして主制御器はHLになっていることが2つ上の写真から解ります。
そういえば、扉も1970年代前半に木製から鋼製(アルミかもしれませんが)になっています。これもどこから持ってきたものなのか。
 この車両に限った話ではないのですが、静鉄静清線の車両はまとまった研究発表が非常に少なく、残された写真も豊富ではないため、謎が多くあります。電車を自分で作ってしまう長沼工場があり小改造も多かったことが輪をかけているのでしょう。同じ静鉄でも、数多くの発表がある駿遠線やそれなりに画像が出てくる秋葉線と対照的なところです。これは東海道線沿線の現在も元気な他のローカル私鉄(遠鉄西鹿島線、伊豆箱根大雄山線)に共通していることで、なんとも皮肉を感じるところです。

クモハ20は1997年にモーターカーを導入したことで失職。
その後も長沼に置かれていましたが、2007年に解体されました。
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# by hiro_hrkz | 2018-08-04 02:04 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
小松島市運輸部の三菱ふそう 2題
 平成の大合併より前、徳島県は全国でも市の数が鳥取と並んで最も少なく4市(徳島、鳴門、小松島、阿南)しかありませんでした。しかし、そのうちの3市が4条免許の公営交通(バス)を保有していました。公営交通の存在は全国一律ではなく地域的な偏りが大きかったことを示す一例でしょう。
 その一つが小松島市。人口5万人以下で離島などでもないのによく市営バスがあったなあ・・と思います。そのためか、市営バスの主力路線は県都徳島への越境路線でした。今回とりあげる2台も徳島市内で撮影したものです。
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・小松島市運輸部 三菱ふそうP-MK516J +呉羽 2000年7月 徳島県庁附近

 小松島の市営バスは、ふそうが大半で中型車が主力でした。
画像はその一例で、昭和58年排ガス規制のエアロミディ。サブエンジン冷房を採用しています。
型式が示すようにエアサス車でした。
扉配置はこの車両くらいまでが前後扉で、その後は前中扉に変化しています。
それにしても、ふそうの車なのに広告は日野・・・それなりにある事例ではありますが。
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・小松島市運輸部 三菱ふそうP-MP618K +呉羽 2000年7月 徳島駅前

 一方、こちらは少数派の大型車。角目のエアロスターKです。
やはりサブエンジン式エアコン搭載のエアサス車。メッキ仕上げのバンパーが目立ちますね。
扉配置は前後折戸です。
こちらはちゃんと、ふそうの車にふそうの広告となっています。
しかし、今度は標準床車なのに「超低床車」。もちろん広告内容のキャンターのことなのですが、これまたなんともミスマッチな感じでした。

小松島の市営バスは2014年度末限りで廃止になりました。県内の鳴門の市営バスは2012年度末限りで廃止になり、残るは徳島のみとなっていますが、こちらも規模は縮小されています。
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# by hiro_hrkz | 2018-07-28 14:36 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(1)
富山地方鉄道 モテ10001
架線検測車というと、JRか大手私鉄の専売特許と思われがちですが、
かつてはこんな事例がありました。
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・富山地方鉄道 モテ10001 1993年3月(上)・1994年9月 稲荷町

富山地方鉄道が保有したモテ10001です。最も、1980年に廃車になったものを改造しているので、この時点では無車籍でした。したがって、この姿になってからは鉄道誌では取り上げらたことは殆どありませんし、いつどんな改造が行われ、そしていつ廃棄されたのかは正確には不明です。

もとは、地鉄の前身、富山電気鉄道のモハ500形501~503で1936年日本車両製。2扉で車内はクロスシートでした。18m級車で、乗務員扉が引戸である点(これは地鉄の電車には数多くみられましたが)や前面の上半分が長手方向にも傾斜しており流線形に近い形をしていたことが特徴です。最大寸法は18440×2700×4160または4176mm(長・幅・高 1968年当時)。
 1945年にモハ503が衝突事故を起こした際にモハ521に改番。その後、主電動機出力が基準の形式に改番した際に、芝浦の56kw主電動機(SE-119?)を搭載したモハ501と502がモハ7540形7541~7542に、芝浦の75kw主電動機(SE-132?)を搭載したモハ521がモハ10040形10043になりました。台車は日車TR25と書かれているものもありますが、詳細は不明。国鉄TR23 系ということだけは確かです。

 先述したように1980年8月に廃車になり、7542と10043は太閤山ランドに富山電鉄モハ500に復元されて保存されました(1990年代前半に解体済み)。しかし、7541は屋上にドーム2つと投光器を取り付けて架線検測車に改造されました。この時点では富山地鉄一般車塗装(当時)のクリームと朱色だったのですが、その後片方の側面中央に大型の両開き扉を設け塗装は茶色一色になりました。モテ10001になったのもこの頃だと記憶しています。テは「電気検測車」の意味でしょうね。その後、前面に大型扉を設置。これで国鉄の救援電車(クエ28002等)のようなスタイルになりました。
 上の画像はその時のもの。前面の開き戸が斜めになっていることから、前面上部が傾斜している独特の形状であることがわかると思います。なお、大型扉がある反対側の側面(稲荷町基準で北側)は見ることができませんでした。
 この車両に関する疑問といえば、車番が10001ということ。この車番は100PS=75kwの主電動機を装備していたことになりますが、台車は旅客車当時と変わっていません。つまりは、1980年の廃車時にモハ10043と既に振り替えていたと考えるのが妥当なのではないかと思うのですが、真相は??
 このあと、1996年9月にも富山地鉄の稲荷町を通っていますが、その時には見かけませんでした。

・参考文献
飯島巌・西脇恵・諸河久 『私鉄の車両10 富山地方鉄道』 保育社 1985年
秋山隆・杉山武史 「私鉄車両めぐり76 富山地方鉄道[終]」 鉄道ピクトリアル214号(1963年9月) 電気車研究会
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# by hiro_hrkz | 2018-07-22 00:33 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
川中島バス 日野U-HT2MLAA・U-HT2MMAA +富士7E
 このブログをはじめた2005年の夏に増加する遠鉄出身車というタイトルで、もと遠州鉄道の日野HT+富士7Eを取り上げています。それまで、貸切や中型車に限られていた遠鉄からの移籍車が大型の一般路線車からも出てきたのがこの頃だったわけです。結局のところ、芸陽バスは1台で終わり、越後交通グループでは他の車種はいろいろ入りましたがHT+7Eはやはり1台で終わりました。そのかわりに、多数を導入した事業者の一つが長野の川中島バスでした。同社は、それまでに中型車が移籍していたので、その流れだったのでしょう。車齢14年での移籍でした。
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・川中島バス 日野U-HT2MLAA +富士7E 2007年9月 長野駅前
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・川中島バス 日野U-HT2MLAA +富士7E 2007年9月 長野バスターミナル
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・川中島バス 日野U-HT2MMAA +富士7E 2007年9月 長野駅前

 川バスには2006~2007年に、合計9台?が移籍しています。軸距が4.8mのHT2MLAAが多数ながらも、2台は軸距5.3mのHT2MMAAとなりました。遠鉄では後部に行先表示がなかったため移籍に際して新設しています。それ以外は外観には大きく手を加えられていません。使用地域を考えれば、暖房の増強などは行われていたと思いますが。窓回りを黒く塗装していますが、1991年導入車とそれ以外では前扉附近の処理が異なっていました。
 もとからの中乗り前降りである点は川バスと共通していて使いやすかったでしょう。またグレードの高い内装ゆえ、導入当初は比較的距離のある松代方面の路線に充当されていることが多かったように記憶しています。

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# by hiro_hrkz | 2018-07-17 01:02 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
名古屋鉄道岐阜市内線 モ550形
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・名古屋鉄道岐阜市内線 モ556 1994年8月 新岐阜駅前

 既に何度か書いていることですが、日本の純然たる市内電車においてボギー車の普及は、旧六大都市(と京城、大連)を除くと大半は戦中~戦後のことになります。これは輸送力の増強が求められたことに加え、戦災からの復旧で道幅が拡がったことが後押しをしたのかもしれません。
 しかし、空襲を受けなかった金沢(北陸鉄道)では、特に小さめの電車となりました。1950年に近畿車両で製造された初のボギー車2000形モハ2001~2010は、最大幅は2200mmと他の都市でもよくある数値(たとえば都電、仙台市電、長崎電軌)ですが、最大長は10500mmと特に短め、さらに前後を絞っているため、よりコンパクトな印象となりました。最も長さは、1951年に製造された2100形は11000mm、1957年以降に製造された2200形は11200mmと徐々に伸びてゆきましたが。

 1967年に金沢市内線が廃止になったあと、親会社の名鉄が岐阜市内線の単車追放のために購入しモ550形550~559になるのは御周知のとおり。岐阜も道幅が狭いことで知られますが、こちらは戦災からの復興が思いのほか早く進み、当時の感覚で道は「広くなった」程度にしかならなかったのが原因と言われます。
 ともあれ、ボギー車が入れなかった長良北町方面を中心に走り始めます。それにしてもこのとき2000形10両と2200形6両(名鉄モ560形)は全車が譲渡されたのに、その間に挟まれた2100形は12両中1両だけしか譲渡されず(名鉄モ530形)、1977年と早くに廃車になりました。これは、それまでの岐阜の電車が前後扉であった(・・大半が単車だから当然ではありますが)ため、前中扉の2100形よりも2000形が好まれたのかと邪推するところです。
 550形は、岐阜に来てからビューゲルをZパンタに変更、ワンマン運転化(1973年)、扉の交換、窓枠のアルミサッシ化等が行われました。前面向かって左側の窓上にHゴム支持のパーツが取り付けられていますが、これは一体なんだったのでしょうか・・550に限らず、岐阜市内線専用車にはだいたい取り付けられていましたが。そのほか、主電動機は37.3kw(50PS)×2という日本の路面電車としては標準的なものですが、もとは三菱MB172-NRから約半数の車両で神鋼MT-60Aに交換されています。
 1988年の徹明町~長良北町の廃車の際には、新しかった560形のほうが廃車になっています。これも扉配置さらには主電動機が22.4kw×4というスペックが嫌われたゆえかどうか。結局550は数を減らしながらも1997年のモ870形投入まで一部が生き残りました。
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・名古屋鉄道岐阜市内線 モ558 1994年8月 徹明町

・参考文献
清水 武 『RMライブラリ 130 名鉄岐阜線の電車(下)』 ネコ・パブリッシング 2010年

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# by hiro_hrkz | 2018-07-14 01:39 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(2)
弘南バス 日野P-HT233BA +日野車体
横浜市交通局が車両の放出を再開したのは1997年度のこと。
移籍車を導入する事業者が増加していた中で、大型の軸距4.6~4.8m級が主体であったため、瞬く間に移籍車市場での売れ筋車種となりました。
当時、乗合の移籍車を積極的に導入していた青森県の弘南バスには、いすゞLVと日野HTが移籍しています。
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・弘南バス 日野P-HT233BA +日野車体 2001年6月 青森県五所川原市
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・弘南バス 日野P-HT233BA +日野車体 2003年9月 青森県弘前市

このうち日野HTは、1989年度導入車が9台という陣容で2000年頃に移籍しました。
中扉締め切り、側面は方向幕を使わず行先板を使用するのは当時の弘南バスの移籍車に共通の特徴。
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・弘南バス 日野P-HT233BA +日野車体 2001年6月 青森県五所川原市

うち3台は五所川原市の商工会議所が中心となって運営する100円循環バスの専用車となり、コース別に専用塗装となりました。こちらは前面の方向幕は固定でしたが、側面の方向幕を使用しており、また中扉(前乗り中降り)で使用していました。
東京都武蔵野市のムーバスの成功などの影響で各地でワンコイン政策が取り入れられていた時代の産物です。
のちに運賃の値上げやコースの統合を経てますが現在も「商店街循環バス」として続いているとのことです。
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# by hiro_hrkz | 2018-07-07 22:35 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)