昇圧前の北陸鉄道浅野川線の最晩年は、昭和30年代に製造された自社発注車で固められていましたが、その中にあって、唯一の戦前製が、温泉電軌(のちの北陸鉄道加南線 1971年までに廃線)出身のモハ3563でした。
いつもは内灘駅の奥に押し込められ、除雪のときだけ出動する感じでした。
ところが、昇圧を目前にして、離脱した車両に代わり、毎日動き回ったのです。
ある意味、奇跡的だったといえましょう。
それなのにこんな写真しか撮影していない自分のバカ・・・・。
・北陸鉄道浅野川線 モハ3563 1996年10月 粟ヶ崎~蚊爪
温泉電軌は、1941年11月に発生した車庫火災により大半の車両を焼失しました。
その機器を流用するなどして、1942年に木南車両で新製(車籍は流用)された10両のうち一つ。
戦後、近畿車輛で鋼体化した1両が加わり、非常に複雑な変遷を経て残っていたのがこの1両。
なお、この一族については、山本宏之「温泉電軌車両史」(鉄道ピクトリアル701号 2001年5月増刊)に詳しく掲載されています。
昇圧に際し、ホームの改築・嵩上げ工事が行われたため、ステップが応急的に埋められています。
それにより客用扉の高さが不足したため、ドア上部がゼブラ塗りになっています。
台車は、いつのまにか同社3000形の発生品である日本車両ND-7に履き替えていたようです。
・北陸鉄道浅野川線 モハ3563 1997年10月 内灘
その後、1996年12月に昇圧を実施し、もと京王帝都3000系に置き換えられますが、旧型車2両が1年だけ残存していました。その1両がモハ3563だったのは、なんとも強運といいますか。
緊急用とされていましたが、実際には、近代化補助と代替車両の入線時期の関係で、残さざるを得なかったのでしょう。
ところで、わが「神奈電」には、この車両を譲り受けて改造した・・という車両があるのですが、
なんだか設定が気に入らなくなってしまい、サイトのほうには載せていません・・・どうしたものか。