今から1*年前の2月、
10代最後の日々は、大学の合宿で北海道にいました。
そして、「寒い時こそ寒いところへ、暑い時こそ暑いところへ行ってこそ本当の旅だ!」という若い頃にありがちな思考に染まっていた私は、合宿(といっても函館の湯の川に一泊しただけ)解散後、こともあろうに日本の最北端「宗谷岬」※)を目指したのでした。
※)公式見解では、当然ながら北方領土の択捉島となるわけですが。
そういえば、我が国の東西南北それぞれの最果てのうち、国民が自由に行けるのは
西端(与那国島の西崎)だけなんですね。
さて、宗谷岬には鉄道がありませんので、バスのお世話になります。
稚内駅近くのバスターミナルから乗るのは東急系列(当時)の宗谷バス。
右を向いても左を向いてもやってくるのはモノコックボディー車、それも殆どが日野RCで、ごく少数の三菱MPがいたと記憶しています。
市内線は東急からの移籍車が幅を利かせていましたが、宗谷岬方面のバスは北海道らしい長尺の自社発注車でした。
で、肝心の写真は・・・というと


こんな写真しか撮影していない自分のバカ!・・・もはやお約束です。
はい、往々にして昔の写真を見ると懐かしさとともに後悔の念が飛び込んでくるものですね。
車種は、おそらく日野RC321 +日野車体。
上は、稚内バスターミナルで、下は宗谷岬で撮影しました。
海沿いをゆくそのバスには、たくさんの老人が乗っていたのを思い出します。
彼らは、途中のバス停でひとり、またひとりと降りて行くのですが、そのバス停の近くにはあまり人家が見当たらず・・。いつのまにか、車内は季節外れの観光客が8人ほど乗っているだけとなりました。
そして約1時間後、ようやく宗谷岬へ。
ついにやって来たぞ!という思いとは裏腹に、
あまりの寒さでガチガチ震えていたのは当然でありますが。
でも、この時にみた鈍色の空と海は忘れることはないでしょう。

稚内を訪れたのは、このときが最初で最後。
いつか、海峡の北にある、失われた領土「樺太」に行ってみたいものです。
いずれも1994年2月 北海道稚内市にて。