豊橋鉄道というと、今は鉄道線の渥美線と軌道線の東田本線を運行していますが、かつてはこれに加え、JR飯田線の本長篠から分岐する田口線を運行していました。もとは、現・飯田線豊橋側を保有していた豊川鉄道の傍系会社であった田口鉄道を、1956年に吸収合併したもの。とはいえ、豊橋電気軌道あらため豊橋交通が、豊橋鉄道に再改名の上、親会社の名鉄から渥美線を譲り受けたのは1954年。また、豊川鉄道(およびその子会社の鳳来寺鉄道)は鉄道を戦時強制買収されたあと名鉄に吸収合併されており、つまりは、名鉄系列の豊橋地区の企業再編ということのようです。
さて、渥美線と田口線は同じ鉄道線でしたが、暫くの間、両線の間で車両の交流等はありませんでした。
しかし1965年から廃線の1968年にかけて、電機1両と鋼製車3両が転属します。この鋼製車が渥美線の車両に後々影響を与えることになります。
・豊橋鉄道渥美線 モ1711 1990年8月 高師
その車両が、このモ1710形1711~1713。1929年日本車両製です。
うち、モ1711と1712は、製造時から田口鉄道籍のモハ101・102→モハ36・37→モ36・37、1713は豊川鉄道籍のモハ31→国鉄モハ1610を1956年に購入し、モハ38→モ38としたものとなります。
田口鉄道は、もともと豊川鉄道と完全一体の運行をしていた関係で、同社線買収後そのまま運行管理を国鉄に依託します。この結果、飯田線に転入してきた国鉄車と併結運用するために、1952年に機器を国鉄型に変更しています。なお、もともと、豊川鉄道系3社の電動車は英国E.E系=東洋電機系の機器を搭載していました。同社の買収機であるED28形電気機関車が、そのものずばりEE製である点に現れていますね。
一方、渥美線は架線電圧が600Vということもあり、昭和30年代には、電動車とガソリンカー改造の制御車が、直接制御のまま固定編成になっていました。間接制御の車両もボチボチ入るものの、相互の連結はありませんでした。そこに転属してきたこの3両、これが引き金となったのか旧型国電の機器を流用するケースが次第に増えていきました。渥美線600V時代の電車が晩年、なんでも混結できるようになったのは、このあたりが一つのきっかけだったと考えられます。余談ですが、冷房車のモ1900等は東急3700出自の日立MMC系制御器を搭載していました。つまりはCS系とMMC系の混結が行われていたことになるようです。
車体は、続に川造形と呼ばれるタイプ。原形は一段窓でした。乗務員扉は、先の機器類の国鉄型変更時に改造されたものとのこと。
なお、撮影時は、既に運用が終了して留置中の状態です。さよなら運転に際し田口鉄道時代の焦茶色に塗り替え車体の番号表記も昔の36に変えてありました。