大正末期に電化した私鉄の多くは電気機関車を揃えるわけですが、当時は基本的に舶来品の時代。
日本の電気車は、技術的に大半がウェスチングハウス(W.H)、ゼネラルエレクトリック(G.E)、イングリッシュエレクトリック(E.E)の3系統に属するわけですが、私鉄の舶来電機にだけ注目すると、その多くはW.H製(機械・車体はボールドウィン製)となります。日車製のコピー機もあり、今でも残っているものが幾つかあるのは嬉しい限りです。
この中で、1926年に2両、1927年に1両の計3両を導入したのが、現在のJR大糸線松本~信濃大町にあたる信濃鉄道。国鉄買収後、私鉄に払い下げられ、いずれも遅くまで使われました。
そのうち、1927年製の信濃鉄道3→国鉄ED223は、1956年に西武鉄道に譲渡されてA1、さらに1960年に松本電鉄に譲渡されてED301となります。1987年の昇圧も乗り越え、2005年に廃車になるまで奇しくも、信濃鉄道の隣の鉄道路線でもっとも長い45年の間、籍を置くことになります。
さて、この車両。遅くまで残った車両ですからカラーの画像も沢山残されています。
しかし、出てくるのは昇圧前のピンク色のときと、最晩年の茶色のときのものが多数。
その間は、今日取り上げる画像のようにネイビーブルーとなっていました。
時期的に考えると、5000系電車で使っていた塗料と同じではないかと推測されますが、落ち着きのある、いい色だったと思います。
ちなみに、乗務員扉は鋼製で窓枠がアルミサッシのものに替えられており、これがアクセントとなっていますね。また、スノウプラウの存在が、印象を引き締まったものにしていると感じます。
こちらは台車周りの写真。
そういえば、電車に書かれた略称はMERでしたね。
で、バスのほうは、なぜかMRC・・・・これもアルピコ化で消えていったわけですが。
銘板の画像も。
こちらを見ると、1926という文字が見えますね。
入籍が1927年1月ということなので、製造は1926年中ということになります。
・いずれも1996年3月 新村