車体長が17m未満の車両ばかりで運転されていた頃のコトデン長尾線。
1994年に志度線と分断され、車両の検査が今橋から琴平線の仏生山で行うようになりました。
その結果、見られるようになったのが、4連回送でした。
長尾線では、かつて1日1本だけ朝に設定されていた水田発瓦町行きの為に送り込みの回送車2両を
連結した4連が平日午後に設定されていましたが、先述の長尾線・志度線分断に伴うダイヤ改正時に消滅してしまいました。
それから暫くして・・・1996年の井戸駅に交換設備復活後のダイヤ改正以降だと思いますが、瓦町駅に予備車を留置するようになって、瓦町~仏生山に4連回送が走りはじめました。

・高松琴平電気鉄道 67+880+25+26 1998年7月 大田~三条
当時の長尾線は、終日運用の両運転台車が4組8両、2両編成が4組8両、それに基本が増結用運用の車両が2両あって、それぞれ4日サイクルで運用。仏生山には4日おきに帰るようになっていました。
これは、瓦町留置の予備車も同じ。したがって、この4連が見られるのは基本的には4日に1往復でした。
そのややこしくも楽しい運用は、また別の機会に書こうと思いますが、今回はこの画像を。
前の2両が瓦町留置の予備車。
先頭に立つのは、もと宮城電鉄300形の67。木造時代の面影そのままの鋼体化車両としては、全国でも最後まで残った車両でした。
そして、2両目は、もと総武鉄道の880。1983年に琴平線から長尾線に転属するにあたって制御車化されたものの、実際には仏生山駅南側の側線に放置されていたもの。それを、長尾線の予備車不足ということで徹底的に更新して直したものの、結局常に予備車でありあまり使われなかったた、ある意味残念な車両です。
ちなみに、長尾線・志度線で800番台の制御車と連結する両運転台車は出力74.6kwの主電動機・三菱MB-98A(もと名鉄3700)を取り付けているのですが、この67は少々出力の低い60kwの東洋TDK-596(もと阪神881)を取り付けていました。
後ろ側2両は、通常の運用についていた車両。
長尾線・志度線の主力だった、もと京浜急行230形の30ですね。
今から見れば貴重な車両ですが、なにせ当時は、長尾線・志度線では珍しく1形式14両の大所帯。
被写体としては、ありがたみも少なく、今でも非常に微妙な感触のある車両です。
逆に言えば、この30を使用する列車で撮影地の移動をしたので、よく乗った車両ではありまして・・・。