
・2012年12月 横瀬
西武鉄道の新101系が、池袋線および新宿線系統の運用から撤退し、12月9日にさよなら運転が実施されました。今後も、多摩湖線および多摩川線用のワンマン運転改造車は残るわけですが、やはり池袋線で8連や10連で運用され、奥武蔵の山を登ってこその150kWモーター車ですから、これはひとつの時代の終焉であるなあ・・と強く感じます。

・2012年12月 入曽~南入曽
当日の運用は2連を3本つなげたオールMの6両編成。横瀬・本川越側から、クモハ272+クモハ271+クモハ286+クモハ285+クモハ282+クモハ281でした。
運転区間は、西武園→東村山→本川越→所沢→西武球場前→西所沢→横瀬で、これは8年前に行われた101系のさよなら運転とほぼ同じ。違いは狭山線内の往復がなかったことくらいでしょうか。
新宿線だと、2連の新101系というのは比較的馴染みの薄い存在でしたが、黄色い電気連結器カバーの再現は嬉しいですね。

・2012年12月 高麗~武蔵横手
一方、その池袋線内での撮影場所は、いろいろ考えた挙句、高麗と武蔵横手の真ん中あたりにあるカーブに陣取りましたが、6連はきっちりとは入らない場所であったのは不覚。しかし、急行灯をつけての運転は、これまた嬉しいものでした。そういえば、101系のさよならのときも急行灯復活がありましたが、そのときはなんでも裏から懐中電灯を差した・・・と、聴きましたが、真相はいかに?
さて、以下ちょっと個人的な感想を。
新101系を最初にみたのは、小学校1年のとき。いつもと違う前面の101系が走っていると気付いたのですから、当時から既に重症だったのでしょう(苦笑)。ということで、デビューした頃からずっと知っている電車だったわけです。
また、私の小学校は西武沿線にあったので、遠足となれば池袋線の電車に乗っていくのが定番でした。1年生が石神井公園、2年生がユネスコ村・狭山湖、3年生が天覧山、4年生が巾着田、5年生が関八州見晴台、6年生が芦ヶ久保果樹園・・・と、毎年乗る区間がどんどん延びてゆくのですが、結局秩父までは行きませんでした。南大塚に芋ほり遠足なんてのもありましたね。

・2008年5月 江古田
と、そんなわけでよく乗った電車ではあるのですが、701~101に比べると新101はそれほど好きな存在でもありませんでした。特に側面のベージュ色が省略されて黄色一色になってからは、どうもノッペリした印象となってしまったというのも理由であります。ただ、101系等のついでに撮影していることは多く、アルバムにはそれなりの枚数が入っています。来るもの拒まず撮影しておくことが大切なんだなあ・・と改めて感じる次第。
そして、スカートがつき、種別幕のデザインが変わり、イメージがどんどん変わってゆく中で、突如として新101系登場時塗装に271編成が塗られました。当時、池袋線を使って下り方面へ通勤しており、途中で101系10連の通勤急行とすれ違うので、何度か撮影もしてみました。これまた、普段の記録が大切・・ということなのかもしれません。

・2009年7月 東久留米
最後にもう一度「奥武蔵」のヘッドマークがついている姿を見たかったなあ・・・と。
そんな思いが若干している、今日あたりです。