
10月の行楽日和のとある日、ふと思い立って新宿から小田急の快速急行に乗り、相模川の西側へと行ってきました。個人的に「神奈電」の都合などで、何度も足を運んでいる地域ですが、その中で未踏だった阿夫利神社への参詣、そして大山観光電鉄・・・つまりは大山のケーブルカーの乗車が目的となりました。
大山のケーブルカーは1931年に阿夫利神社への参詣客輸送を目的に大山鋼索鉄道により開業したもの。しかし、国内の多くのケーブルカーと同じように、戦時中の鉄材供出の為に廃止となり、戦後の1965年になって、小田急グループの大山観光電鉄により漸く再開したものです。
全長0.8km・高低差278mですから、国内のケーブルカーとしては丁度中間の路線規模といったところでしょう。


ここで使われている車両は運転再開時の1965年に日立製作所で製造されたもの。同時期に国内各地に向けて製造された車輌と同じようなモノコック調のツルンとした車体ですが、側面の扉数は2つ・扉間の窓は4つと、若干小さめです。2005年に更新が行われ、1が緑色で「OYAMA」、2が赤色で「TANZAWA」という愛称が付けられています。
この路線に乗るためには、伊勢原駅から神奈中のバスに乗り、その終点から15分ほど歩くわけですが、
実際に辿ってみて疑問に思ったことが一つ。
一体、どうやって、この車輌を運び入れたのか?・・・と。
というのも、

ここがバスの終点(大山ケーブル)で、ここまでの県道611号線は狭いものの、なんとか通れるのではないかと思います。
が、この先の道というのが

こんな階段状の参道となっています。実は南側(鈴川側)に自動車が通れる狭い道があるものの、これは途中で途切れてしまいます。
そして、

麓側の駅があるのは狭い階段を登った上で、この駅舎を撮るのも苦るしい狭さ。
鈴川の上に仮設の道路でも設けたのだろうか?と邪推するところですが・・・。
これが戦前となれば、県道はもっと狭かった(少なくとも大山駅バス停から北の2車線道路は無く社務所前や、とうふ坂を通る旧道になる)はずで、今以上に謎という感があります。
(
伊勢原市のサイトに当時の車輌と施設の画像があります。)
果たして真相は???
通常は20分間隔ですが、この日は行楽客が多かったのかバス共々増発が行われ、10分間隔となっていました。
この路線の見所は中間駅(大山寺駅)が丁度、交換設備のところに設けられていること。


跨線橋つきの立派なものですが、ケーブルカーは車輌によりどちらを通るかが決まっているので、乗り場案内も一工夫されています。ケーブルカーの分岐部を見学するには、もってこいですね。
約6分で山頂側の阿夫利神社駅に到着。
かつては下社駅といったことからわかるように、同神社の下社があります。
とはいえ、あるのはこの拝殿等と、若干の土産物屋だけ。
他の関東にある参詣用ケーブルカーと比較しても高尾のように山頂にいろいろ施設があるわけでもなければ、御嶽のように山頂に門前町が形勢されているわけでもありません。ケーブルカーの利用者は、江戸時代から続く大山詣の人々と、大山の山頂を目指すハイキング客ということで、車輌が小ぶりなのも納得できます。

本当なら、その山頂にある本社を目指すのが道理なのですが、時間は遅く、山向きの格好というわけでもなかったので今回はこの下社で引き返しました。
ここからでも、相模平野そして太平洋が一望できます。
ちなみに、ここをたずねた理由の一つは、賢明な読者の皆様がご推測される通り、やはり「神奈電」絡みだったわけです。その成果はいずれまた・・・・。
・いずれも2013年10月 撮影