ただいま、こんなものを製作中です。

先月・先々月に紹介した各車は、ただいま塗装工程の真っ只中なのですが、それ以外に、さらに着手している車両がこれです。
秦野・大山線の自社発注車は日車製の丸窓電車というのは、新版でも変えていません。
これについては、当初、鉄コレの一畑でも切り継ごうかと考えていましたが、鉄コレ17弾で、そのものズバリなものがラインナップされたため、こちらを使うことにしました。
ベースにしたのは、コトデンの3000。1980年代まで生き延び、各所が近代化された想定なので、上田よりもこちらのほうが適しているのです。
前面は非貫通に改造。この製品はリベットが表現されているのですが、前面に関しては、これらはあっさり削り取ってしまいました。段つきのウィンドシルを表現は厚みの異なるプラ板の断面を重ねて整形したものですが、ここは難儀しました。
目指しているのは一畑のデハ1の雰囲気ですが、こちらのほうが車体幅が狭いので、どうなることやら。現在、アンチクライマーとテールライトの表現を巡り、中断している状態です。

一方、こちらは、
8月のところで取り上げた、もと京王2400とペアを組む制御車。
木南製の15m級車で、同型のうち2両が常総筑波鉄道に行って気動車に化けたりした、あの車両です。
戦後混乱期に車齢10年で廃車になっているため、この種の架空のローカル電鉄で遊ぶには登場させやすいクルマではないかと思います。
それはともかく、ベースにしたのは鉄コレ第4弾の国鉄クハ16あらため富士急で、その側板から乗務員扉と連結面よりの窓一つ分を切って短縮してあります。ただし、連結面よりの窓が戸袋となってしまうため、ここは切り落とした窓を移植(ついでに、若干狭いドア脇の柱部分を0.5mmほど太く)しました。
一方、前面はカーブがきつめなので、グリーンマックスのキハ04用各タイプを芯にしています。天地が足りないので、t=1.2のプラ板で嵩上げしてからディテールを削り取っています。
この2つは、年内に出来上がればいいなあ・・・と思いっていますが、果たして。
車両の再製作に着手する一方で、路線の見直し・再作成も。
結局、このような路線となりました。

愛甲線 平塚中央~半原 29.6km
津久井線 淵野辺~津久井湖 13.8km
中津線 上田名~愛甲田代 10.1km
秦野線 平塚市役所~秦野町 14.8km
大山線 豊田本郷~大山下 13.0km 合計81.3km (他に鋼索線 ケーブル大山~下社 0.8km)
半原以北の削除と津久井線・中津線の追加が大きなポイントですが、全面的に路線のある場所を見直し、駅名等も再考慮しています。たとえば厚木附近(実際の本厚木駅)は、従来、小田急と直行していたものを、岡田から北西に進んで小田急と交差・平行してから北上する形にしています。小田急高架化に伴う都市計画で変更されたとの設定です。
それにしても、今はネット上からなんでも引っ張ってこれるというのを実感しました。
かつては2万5千分の1の地形図に、乏しい現地情報を組み合わせて妄想を重ねたのですが、
今は、マピオンにグーグル、Yahooと地図サービスが充実。
地図の本家、国土地理院でも
地理院地図(旧・電子国土ポータル)で、地形図や写真をみることができますし、
国土変遷アーカイブを使えば、昭和20年代の航空写真も閲覧可能。
ソフトに目を転じれば、旧版の地形図が載っている
今昔マップというものもあり、あわせて旧い時代での考証が、誠にやりやすくなりました。
加えて、地名を検索すれば役所から個人まで、なんらかの情報が引っ掛るわけであり(特に、道路系マニアのサイトが役に立つ)、現代の考証もやはり同様に・・・ということでしょう。
こんなふうに路線図を起こさずとも、地図サイトのサービスを使えばより具体的に路線の位置を示すこともできるわけです。
それでも、やはり現地へ行かないとわからないことも多々あると感じるわけで、
この「ビョーキ」からの立ち直りは一層困難なものになっているようです(苦笑)。