まだ、京阪京津線が三条まで路線があった頃、同じような形の電車であっても、急勾配がある京津線での運行が可能な車両と、比較的平坦な石山坂本線専用の車両にわかれていました。
そのうち、後者にあたるのが、350形でした。

・京阪電気鉄道石山坂本線 359 1989年8月 膳所本町
交野線で使用していた800形の機器を流用し、1966~67年に近畿車両で11両が製造されました。
800形は、もとは、石山坂本線を運営していた琵琶湖鉄道汽船が1927年に日本車両で製造した100形101~112で、木造の3扉車。車内は片側が転換クロス、片側がロングシートという変わった座席配置であったことで知られます。主要機器は日立製で、制御器は電空カム軸式のPR70、主電動機は82kw(110HP)のHS354-Aを2機、台車はBW似のM-1、ブレーキはSMEとなっていました。
琵琶湖鉄道汽船は、多額の投資が祟って1929年に京阪に吸収されるわけですが、早速その年に6両が京阪本線に転出、残りも1935年・1940年に転出しています。そんな800形の機器を流用したので、350形はいわば「里帰り」と言われることになります。このときに1両減っているのは、807が1946年に天満橋駅で脱線・転覆して廃車になったため。
350形は、351~355が片運転台、356~361が両運転台で登場しました。
前者が一次車、後者が二次車と言ったりもするのですが、竣工順で見れば、355よりも先に356・357が登場しており、また351~354と356・357は、いずれも1966年12月に製造されています。
1971年以降は組み合わせるペアが決まり、354+355は1975年に、352+353は1982年に片運転台化(ただし、外観は変わらず)となります。
このほか、1970年には、集電装置をポールからパンタグラフに(余談ですが、石山坂本線三井寺以北は100形を用いパンタグラフ集電で開業したものの、京阪吸収後にポール集電へと逆戻りしています)変更、老朽化した制御器を自社製EC-350(・・・詳細不明)に交換。そのほか、運転台窓のHゴム化やホロ枠の撤去などが行われ、最後は画像のようなスタイルとなっていました。
京津線の旧型車は、その多くが車体を冷房車である600・700形に流用していますが、350形は358~361の4両が700になっただけで、残りは架線電圧1500V昇圧により廃車のち解体となりました。