豊橋鉄道渥美線の貨物列車は、1984年2月まで健在で5両の電機を保有していたことは、
以前
デキ211の記事内で触れました。貨物の廃止後、211以外は廃車となり、順次解体されていったのですが、このデキ451はしばらくの間、高師駅構内に放置されていました。

・豊橋鉄道渥美線 デキ451 1990年8月 高師
部品は剥がれ、下回りが見えなくなるほどのガラクタが周囲にあるなど、酷い状況ではありましたが、
それでも40t級・主電動機出力100kw×4の箱型電機の堂々とした風貌は失われていませんでした。
この車両、もとは田口鉄道が発注したデキ53で、1929年、日本車輛(車体)・東洋電機(電機)製。
鳳来寺鉄道(のちの国鉄飯田線)本長篠から分岐し三河田口に至る同線は、宮内庁が出資し、御用林から木材の輸送を目的に敷設されたこともあり、このような堂々とした機関車を保有することになりました。
田口鉄道の実質的な親会社である豊川鉄道が、2年前の1927年にやはり日車・東洋で製造したデキ52とはデッキの有無を除けば、ほぼ同じで、台車や主要機器類のほかにも、前面窓下に砂箱が取り付けられた部分などの共通点が見られます。
豊川と、その傍系というべき田口・鳳来寺の3社は共通の車両を保有し、共通運用をしていたことで知られますが、この車両も、その一環であったわけです(電車の制御器等も基本的にデッカー・東洋で統一)。
豊川・鳳来寺が1943年に国に戦時買収された後、1952年以降、社線内でのみ運用。
1956年に田口鉄道が豊橋鉄道に吸収されたあと、1965年に架線電圧600V対応の改造の上で渥美線に転属しています。
その後、1968年11月の大改番で自重を基準にする形式に変更され、デキ450形451になりました。
前面のシールドビーム2灯化は1970年。このような無骨な電機にはアンバランスに感じるところですが、豊橋鉄道の電車で特徴的だったヘッドライト形状が、電機に対しても進められていたことがわかります。
これを撮影したのは、高師駅の本線と車庫を挟んで反対側の貨物側線の跡地。
倉庫が並び、また600V時代は電車も留置されていましたが、今は駐車場となり、景色は一変しています。