西武鉄道というと、終戦直後~1950年代にかけて、急増する客をさばくために、省線電車の木造車や戦災車などを大量購入し、いわゆる「17m級国電」タイプの車両を揃えたことで知られます。一方、昭和30年代には武蔵野鉄道および初代西武鉄道引き継ぎの車両を整備してローカル私鉄各社に売りさばき、一大供給源となっていました。
しかし、国電タイプのクルマは、その車体幅・自重、なにより戦災復旧車が大半という悪条件が重なり、部品単位は別として、車体含めて再利用した例は殆どありません。その数少ない例が、この大井川鉄道の例です。
・大井川鉄道 モハ311 1998年7月 (上)抜里~家山、(下)新金谷
・大井川鉄道 クハ511 1998年7月 (上)抜里~家山、(下)新金谷
大鉄モハ311、クハ511は、それぞれ、もと西武鉄道モハ376→クモハ374、クモハ371で、1976年に入線しました。帳簿上は1959年西武所沢工場製ですが、もとは省線50→国鉄モハ11400で、
それぞれモハ50020→モハ11424(1936年大井工場で鋼体化)と、モハ50017→モハ11421。
西武での竣工年が示すように、これらは戦災復旧車ではなく、輸送力増強用に国鉄から更新済みの車両を譲り受けたものです。
したがって、車体の状態は悪くはなく、側窓のアルミサッシ化など手入れもよかったのだろうと推測しますが、1976年ならもう1年あとには戦後製の車両が廃車になる時期なので(実際、翌年、大鉄には、もと西武351系の
クモハ312・クハ512が入線している)、なんとも微妙なタイミングで譲渡が実現したものだと思います。
その後、1988年になって中扉を埋め2扉になり、車内をクロスシート化しています。これも、鋼体化から52年目での改造ですから、随分後になって手を加えられたものですね。
前面はモハは貫通扉がHゴム化されているのに対し、クハは木製のままで、原型に近い感じがします。
屋上は、クハ511はパンタグラフ横のランボードが残ったまま。グローブベンチレータとPS13が並ぶ、いかにも旧型国電という感じの屋根に京急などでおなじみの誘導無線アンテナがアンバランスな感じですね。
なお、他の西武の17m級国電が譲渡され、車体含めて再利用された例は、この大井川と同じ時期に栗原電鉄に昭和30年代払下げの2両あるほかは、弘南鉄道に戦災復旧車と鋼体化車が1両づつ、伊豆箱根鉄道に戦災復旧車1両と鋼体化車が3両の8両となっています。