能勢電の起点は、親会社の阪急宝塚線と接続する川西能勢口駅。
1996年3月に高架線になり、その後、宝塚線との直通が行われているのは周知のとおりです。
この川西能勢口駅の地平時代といえば、なんといっても駅構内にある急カーブが特徴でした。
写真だと、そこまできつく感じないのですが、当時、駅のホームから見ていると、
ホームと直角方向に進んできた電車が、バスのごとく急に曲がって入線してくる感じでした。
そのカーブはR40(鉄道ダイヤ情報 1992年7月による)。
標準軌・中型車使用の各線と比較すると、首都圏切きっての急カーブだった京急空港線蒲田の高架化前がR80。本線と支線の連絡線上に急カーブの多い阪急の伊丹線塚口がR60ですから、極端な急カーブであることがわかります。
これと同じ程度の曲線となると、京阪京津線の上栄町附近にR40、箱根登山鉄道にR30と、小型車~路面電車を使う路線ばかりとなります。元々、能勢電は軌道線で全長15m以下の電車を使用していたので、その頃の名残ともいえます。
従って、1983年より阪急から譲り受けた19m級車は、連結面間を160mm延長して対処し、
最徐行で運転されていました。
外側から見るとこのような感じ。
台車枠が車体から、はみ出ていました。
走っている車両は、もと阪急2000系の1700系1751。
上の2枚に写っている同じく1700系の1707とは全く異なる塗装ですが、この頃、能勢電は塗装で迷走?しており、様々な塗装が試されていました。このあと所謂「フルーツ牛乳」に落ち着くわけです。
高架化により曲線は緩和され、このような無理矢理な線形は見られなくなっています。
・いずれも1993年8月 撮影