静岡鉄道は、かつて車両を自社工場で製造していたことで知られます。
今も残る静岡清水線は、木造車の鋼体化にはじまり、1957年に14m級の20形、そして1961年には17m級の100形と続きました。
100形は1961~1966年に電動車ばかり10両が、長沼工場で製造されました。
車体は裾絞りがあり、両開き扉を持つ3扉で張り上げ屋根・前面には方向幕を装備と、当時の地方私鉄の電車の中でも特に近代的な外観の一方、主要な機器は中古品などを使い釣合梁台車・ツリカケ駆動式となっていました。制御器だけは新品の東洋電機製ES-801を搭載していましたが、これは電動油圧カム軸式という珍しい代物でした。
クモハ101~106は当初前面に貫通扉のある両運転台であったのに対し、107~110は片運転台の2両固定編成で登場しています。後に、101~106も片運転台化・2両固定編成となり前面も非貫通の3枚窓に改造されました。
しかし、これら自家製電車は比較的早いサイクルで代替されており、100形は製造後13~15年でオールステンレスカーの1000形に置き換わりました。このうち、1編成が日立電鉄に、3編成が熊本電気鉄道に譲渡されています。熊本電鉄ではモハ501~506になりました。

・熊本電気鉄道 クハ502+モハ501 1993年8月 藤崎宮前

・熊本電気鉄道 クハ502 1995年8月 藤崎宮前
このうちモハ501~502は、もとクモハ103~104で1963年製。1977年に入線しました。モハ502は1980年に電装解除されクハ502になりましたが、パンタグラフは搭載されたままでした。
もと両運転台なので連結面は丸妻となっています。
独特の車番の書体は、静岡鉄道時代のままですね。
台車は、501は静岡鉄道時代のままのブリル(近鉄名古屋線の中古)ですが、502は東急から購入した川車3450に替えています。この2両は1999年に廃車になりました。


・熊本電気鉄道 モハ601 1994年8月 藤崎宮前
一方、モハ503~504は、もとクモハ105~106で1964年製。やはり、モハ504は1980年に電装解除されクハ502になっています。
しかし、1987年に504が事故で再起不能となったため、503を両運転台に復元し、モハ601に改番しています。また、パンタグラフも藤崎宮前側に増設しダブルパンタとなっていました。
復元した藤崎宮前側の前面(下の画像)も、従来からある御代志側(上の画像)と違いがないように似せてはいるものの、窓ガラス・前照灯・方向幕とすべて異なるサイズで、どことなくぎこちない感じがします。
一方、御代志側の運転台も、よく見てみると、上のクハ502とは窓のサイズが違う、もしくは位置が異なっているように見えます。
両運転台に戻したことが幸いしたのか、6両の中では一番遅く2000年に廃車になりました。

・熊本電気鉄道 クハ504 1993年8月 北熊本
一方クハ504も、廃車にはならず北熊本駅の側線に、オレンジとアイボリーの旧塗装のまま留置されていました。部品取り車として機能していたのでしょうか。廃車は1996年のことです。

・熊本電気鉄道 クハ506+モハ505 1993年8月 北熊本
モハ505~506は、もとクモハ107~クモハ108で1965年製。入線は少々遅れて1979年12月のことで、モハ506の電装解除も、やはり少々遅れて1982年1月に実施されています。
こちらは、当初より2両固定編成であるため、連結面は切妻になっています。
前面窓ガラスのHゴムの色やその保持方法は、502や601とは、また異なるものですね。
ライトケースの形状などに、細かな差が生じています。
いちばん製造年が新しかったのですが、事故を起こしたこともあり1996~97年に廃車となりました。
よく言われる話ですが、これら静鉄の自家製電車は、その見てくれと裏腹に、車体外板の板厚が薄いなど華奢だったようです。熊電では数回乗りましたが、車内の作りは全体的に安普請な感じが否めず、ドアや窓枠にガタが来ていたことを思い出します。

ところで、この車両、両開き扉が特徴ですが、その幅は一般的な1300~1400mmではなく、1100mmと片開扉と同程度のものでした。しかも写真でわかるように引き残しが設けられていたため、実質的な開口部は1000mmといったところでしょうか。