日立電鉄 いすゞK-CJM550・K-CLM470 +川重
日立電鉄のいすゞC系については、かつて
自社発注車について取り上げたことがありますが、今回は移籍車を取り上げます。
日立電鉄が移籍車を導入するのは、時代が平成に変わった頃のこと。
それまで、貸切車に中扉を増設して路線車輛に転用していましたが、車両のハイデッカー化で無理のある構造(・・・実際に改造しましたが短命でした)となる上に燃費も悪く、移籍車の導入に切り替えたと聞いたことがあります。

・日立電鉄 いすゞK-CJM550 +川重 1998年8月 日立駅(茨城県日立市)
その第一陣は、もと神奈川中央交通の車両。日野RCといすゞCJMが入りました。
うちCJMは、私が確認したのは5台で、いずれも軸距が5500mmの長尺車です。
もともと中扉前にあった側面方向幕を、中扉直後に窓ごと入れ替えているので、窓配置は綺麗ですね。
神奈中からは、結局このとき以降、車両の移籍はない状態が続いています。
そのあと、西武バスからP-U32L+富士5Eがまとまった数で入ったあと、
今度は、東京都交通局から大量の車両が移籍しました。1993年頃の話です。
P-のあとにK-が入ったわけですが、なにせ、この頃の西武は7年くらいで廃車、対して都営は10年くらい使っていましたね。

・日立中央バス いすゞK-CLM470 +川重 1998年8月 茨城県日立市

・日立電鉄 いすゞK-CLM470 +川重 1999年3月 茨城県日立市
このときは、もと神奈中と同じく日野といすゞばかりでした。都営は副室式エンジンでしたので、REとCLMとなります。このうちCLMは総勢15台を超え、一部が富士3Eを架装していたほかは、川重架装でした※。
やはり中扉前にあった側面幕を中扉後に移設してますが、こちらは窓枠の交換は行わず、もともとの位置にあった装置は取り外しただけで、新たに窓を埋めて新設している点が異なります。
また、方向幕は大型のままで、、前面は系統と行き先表示が分割されたものになりましたが、その処理が各車でバラバラになっています。
この頃の移籍車は、改造を行った工場が2社あり、それによって、仕様が異なっていました。
ここでは2台の画像をあげておきます。
なお上の車両は、日立電鉄からバス部門が分離される過程で、神峰営業所が日立中央バスとなっていた頃のものです。路線バス統合で日立電鉄バスの営業が開始されるは1999年6月のことです。
※2014年10月1日 台数に関する記述を修正しました。