いまでは車両の低床化とバリアフリー法により、一般の路線バスの扉配置はみな前中扉ですが
かつてはバラバラで、その上、地域差がありました。
東京近郊は、前中扉が圧倒的でしたが、その中にあって前後扉を標準としていた事業者のひとつが立川バスでした。とはいえ、その歴史はちょっと特殊で、もともと前中扉を採用していたものの、1970年代後半に運賃支払い方法の変更(前乗り先払いから後乗り後払いへ:1981年実施?)を考慮して前後扉に変更しています。
・立川バス 三菱P-MP218M +呉羽 2000年6月 立川駅北口附近(東京都立川市)
・立川バス 三菱P-MP218M +呉羽 1998年12月 箱根ヶ崎駅(東京都西多摩郡瑞穂町)
画像は、エアロスターK。上が1987年式、下が1989年式ですが、差はフォグライトの形状くらいで、あまりありません。
立川バスは小田急系列ですが、車両の仕様は同系列の小田急バスとの共通項目はほぼゼロで、ことエアロスターに関しては、こちらは呉羽、あちらは三菱名自と、その時点から違っています。
窓のサッシは黒で、窓回りも黒塗りですが、後ろ扉だけ窓回りも白なのがちょっと特徴的。
これは他のボディーでも同じでした。
その後、1990年まで昭和58年排ガス規制車(P- )を入れた後で、ようやく平成元年規制(U-)となるのですが、1991~92年は中型車を数台入れるだけにとどまり、大型車は1993年から導入となりました。
・立川バス 三菱U-MP218M +呉羽 1998年12月 立川駅(東京都立川市)
ボディは相変わらず呉羽製ですが、車体は独自のものから三菱名自と同設計のものに変わりました。
その上で、呉羽がMBMに変わる前という、なんとも微妙な時期の製造のようです。
方向幕まわりが白く塗装されているのが、この後に製造された車両とも異なる特徴的な部分です。
この年は、他メーカーの採用はなく、この型式が2台のみ。翌1994年は新車そのものがなく、
1995年になって大量増備となりました。が、このときから、前中引戸に再度変更され、前後扉は途絶えることになります。
・立川バス 三菱KC-MP217M +MBM 1998年12月 箱根ヶ崎駅(東京都西多摩郡瑞穂町)
画像は1996年式で、排ガス規制の平成6年(KC-)となった車両。
中扉の窓回りだけ白いのは、変わっていませんね。