昭和30年代の大手私鉄では、いわゆる高性能車の増備を進めていくわけですが、その過程は各社まちまちでした。関西では、南海電鉄が少々特徴的だったと思います。
南海は、中空軸平行ドライブの11001系を南海線に1954年から、また高野線にはズームカー21000系を1958年から投入していますが、これらは全て2扉・転換クロスシートの車両で、通勤電車ではありませんでした・・・最も、南海は木造車およびその鋼体化車は3扉でしたが、鋼製車は長さに関わらず基本的には2扉車となっており、多扉でロングシートの中型・大型車はロクサン形の1501形20両だけでした。
そのような背景もあったためか、この時期に製造された20.5m級4扉車は、在来車の機器を流用した吊り掛け駆動車ではじまり、高性能車は1962年の6000系以降となります。

・南海電気鉄道 モハ1531 1995年2月 水軒
先ず、1959年に1521系が4編成製造されます。両端が電動車・中間が付随車の3連で、主電動機(MT-40 110kw) ・制御器(ALF-PC)は1501形の一部を電装解除して捻出したものです。続いて、翌年には2051系が2編成製造されます。機器は2001形から流用し主電動機出力が150kwになったためか、付随車を2両挟んだ4連になりました。
メーカーは帝国車輛と日立製作所。車体は張り上げ屋根に丸妻の前面で、1960~1970年代に製造される南海電車の基本スタイルとなります。客用扉は広めの1200mm、窓はズームカーと同じサイズの一段下降窓となっています。塗装は、1521系は緑色にオレンジ色の帯でしたが、2051系は緑の濃淡となり、これまたのちに南海電車の標準となりました。
1973年の架線電圧昇圧時に支線用に転用され、付随車は運転台を取り付けて制御車に、電動車は1両が電装解除されて制御車になったほか、偶数番号の5両が両運転台に改造されています。また旧2051系の主電動機をモハ1551形から転用した国鉄MT40に変更したため、型式は1521系(モハ1521、クハ3901)に統一されました。このときに増設された運転台は、従来のものに比べて乗務員扉の高さが低くなっています。
MT40は、昇圧により本来の端子電圧750V・142kwというスペックになります。が、制御器は弱め界磁の無い、日立MMC-LH20-Aで、支線用ということもありその性能を発揮することはあったのかどうか。なお、台車は汽車会社製で、枕ばねがエアサスのKS-60・KS-67(電動車)、KS-61(制御車)を履いていまいた。
画像のモハ1531はもとモハ2053で、廃車の直前に、かの和歌山港線水軒駅で撮影したもの。このとき、既に天王寺線は無く、多奈川線と高師浜線は角Zの改造車に置き換わり、ここと汐見橋線だけとなっていました。
他にも撮影していたのですが、カメラのシャッターが壊れていて辛うじて救えたのがこれくらいという泣くに泣けない状況でした・・・フィルムの時代は現像してみないとわかりませんでしたね。