東武系列の乗合バス会社は、グループ会社各社への大規模な移譲により朝日自動車グループを形成するほどですが、かつては阪東自動車と茨城急行自動車(と東野交通)程度しか存在しませんでした。両者とも規模は小さいため、情報が少なかった時代は謎めいた存在でした。
阪東と茨城急行は、共に日野+富士重のユーザだったことで知られています。
今回は茨城急行自動車(茨急バス)の旧塗装車から何例か取り上げたいと思います。


・茨城急行自動車 日野P-HT235BA +富士5E 2000年3月 古河駅前(茨城県古河市)
朝日自動車グループが成立する前は、阪東自動車が茨城急行の主要株主だったこともあり、阪東から茨城急行へ多くの車両が移籍していました。一般乗合として移籍したのはこのP-HT23系の5E架装車がラスト。
メトロ窓でワイドドア、そして上部が板金処理かつ大型方向幕を備えた阪東独特のリアスタイルが目立ちますね。茨急から更に東野交通への移籍例もありましたが、P-HT23系は茨急止まりでした。


・茨城急行自動車 日野P-HT235BA +富士7E (上)2000年3月 (下)1999年9月 古河駅前
一方、こちらは自社発注の7E架装車。仕様をP-HT22系で上記のものにガラッと変えた阪東と異なり、茨急は前後折戸・2段窓と、東武鉄道のバスに近いものを維持していました。P-HT+7Eは、この1台しか見たことが無く、他にも存在していたのかどうか・・・。
なお、オリジナルのP-HT235BA+5Eも少数存在していましたが、わりと早くに朝日自動車に移籍し、しかも朝日では何年も使わずに廃車になったため片鱗すら見ることはできませんでした。


・茨城急行自動車 日野U-HT2MMAA +富士7E 1999年9月 (上)埼玉県北葛飾郡松伏町 (下)古河駅前
排ガス規制が変わりU-になると、毎年1~2台づつが増備され合計8台を揃えました。
仕様はP-と特に変わりはありませんでしたが、途中からサッシの色が銀から黒に変わっています。
茨城急行は歴史的な経緯から埼玉県の松伏と茨城県の古河(と千葉県の野田)に営業所があり路線はバラバラになっています。かつてはそれぞれから茨城県の下妻まで伸びていて接していました。そんなこともあるのか、方向幕は松伏も古河も共通で同じものが入っていました。