私が見たことがあるコトデンの車輛の中で、
最も不運のクルマは、やはり880になるだろうなあ・・・と思います。
以前、
ちょっとだけ触れましたが、今回はこちらにクローズアップしてみたいと思います。
もとは総武鉄道(→東武鉄道野田線)が1929年に日本車輛東京支店で製造したクハ1201。同型のモハ1001・1002と共に1947年に琴電に入線し、9000形910と、7000形710・720となり琴平線に配置されます。
昭和30年代には、もと山陽電鉄の920と合わせて4両で、E.E系の電動カム軸式自動加速制御器搭載車のグループを形成していましたが、1966年に他車に合わせて手動加速のHL制御に変更、さらに1974年に910が電装され730になります。
その後、1981年に710・720が廃車となりますが、残る730は当時琴平線で使用していた700番台の電動車(もと西武鉄道→山形交通)と共に1983年に電装解除され、880になります。

・高松琴平電気鉄道 880 1990年8月 仏生山
が、もと山形交通の車両が長志線でも最大収容力を持つ車両として順当に使用されたのに対して、こちらは琴平線所属?であまり使われなかったようです(※1)。1990年夏に、私がはじめてコトデンに行った際には仏生山駅の一宮側側線の奥に放置されており、色は褪せ錆が浮くなど、一目で使っていないことがわかりました。
転機となるのは1994年の瓦町駅改築に伴う長尾線と志度線の分断、そして1996年の井戸駅交換設備復活に伴うダイヤ改正での増発でした。このときに志度線に既存の車両を多くまわし、その分不足する長尾線には880および同様に長期放置状態にあった71を、徹底的に改修して復帰させることになりました・・・瓦町駅の改築構想は1970年代後半には既に存在していたので、放置は、意図的な温存だったのかもしれません。


・高松琴平電気鉄道 880 1995年8月 仏生山
1枚目の5年後。荒廃が進み、窓ガラスは割れベニヤ板が張り付けられているところも存在していました。
この状態から、1996年秋に改修が完了し復活。このときに側面の扉を木製から鋼製に交換。また、ウィンドウヘッダーと、特徴的だった運転席上のルーバーを撤去したため、スッキリした印象となっています。
しかし、折角復活したものの、長尾線の制御車つきの運用は30形の2連3編成および、750形と860・870の2連2編成で足りており、今度は逆に仏生山駅太田側の側線で終日昼寝の毎日。

・高松琴平電気鉄道 880 1999年4月 仏生山

・高松琴平電気鉄道 880 2000年1月 瓦町

・高松琴平電気鉄道 880 2000年7月 瓦町
電動車とペアで瓦町駅に予備編成として置かれていることもありましたが、定期的に走るのは4日に一度の仏生山への回送くらい。2000年7月に2週間ほど?定期運用についたことがありましたが、そのまま2000年の秋に廃車になりました。
600・700が入線した前後の1997~2001年は、頻繁にコトデンに行きましたが、結局、この車両が先頭に立って走る姿を見ることはできませんでした。
・2015.2.25 1995年8月の画像を追加しました。
※1 電装解除後も長志線ではなく琴平線で使用されていたことを修正 2019.1.25。