
降るな 降るなよ 津軽の雪よ
春が今年も 遅くなるよ
かの有名な千昌夫の「津軽平野」。
2番の歌詞には、津軽鉄道のストーブ列車も出てきます。これの全国的な知名度向上に一役かったことでしょう。
作詞・作曲が吉幾三なのは、これまたよく知られた話だとは思いますが、彼の出身地こそ、津軽鉄道のほぼ中央に位置する金木です。起点の五所川原以外では最大規模の集落ですが、駅そのものは、他の交換可能駅と比べて特段に大きいというわけでもなかったように思います。

金木と言えば太宰治の生家があり、駅舎の改札上には「太宰のふるさと」、そして方言での歓迎の言葉が掲げられ、精一杯の観光対応がなされていました。
この部分、駅舎本体から突き出した庇の下に、さらに戸が取り付けられています。ようするに、外壁が二重構造になっていました。防寒対策だったのでしょう。

駅舎内部はこのような感じ。
売店が併設されているのは、この路線の重要駅であることを表していますね。
冬季ということもあるのでしょうが、駅舎内は列車を待つ客がそれなりに多かったように記憶しています。
奥に掲げられた「ねぷた」の絵が、これまた当地らしい感じですね。

玄関ポーチは駅舎正面がふさがれていて、脇から出る構造なのは、やはり防寒対策で、北国では比較的よくある構造ですね・・・
これは、このあと、改造されて普通の構造になりましたが これは冬の仕様で夏は正面からも出られるようになっていました※。
その横には駅食堂がありますが、改めて検証すると、その位置は上の売店のあたりになるはずで、どのような構造だったのか記憶にありません。なお、昭和50年代前半の写真を見ると、駅食堂の看板は無いので、それなりに新しいものだったのかもしれません。
食堂の奥の扉は便所。その近くにバス停が建っています。やってきた弘南バスは、三菱K-MK116H?。今なら、当然バスだけ撮影しているのですが、当時はこの1枚で終わりとしていました・・・午後に弘南鉄道に行く予定で、フィルムを節約したのでしょう。

この駅舎も2003年に建て替えられました。
・5枚目のみ2002年6月 ほかは1994年2月 撮影
・2016.7.20 2002年6月撮影の画像を追加しました。
※2022.1.8 修正しました。