東京急行の戦前形のことを、まとめて「3000形」などというと、そのスジの人に怒られてしまうわけですが・・・それはともかく、3000番台の車両は、
3450形については50両が製造されバラエティーも豊かだったことから、書かれた記事も多いと思いますが、それ以外は、意外に手薄に感じます。
もちろん、関東大手で古くからのファンも多い東急ですから、記事も記録も(他社に比べれば)多いのではありますが。

・東京急行電鉄 デハ3501 1989年3月 蒲田
デハ3500形は、もと東京横浜電鉄1000形。もともとは、1938年に目黒蒲田電鉄に12両、東京横浜電鉄に10両が認可されましたが、入線は両者の合併後の1939年でした。
台車が改軌を考慮した長軸式であったことはよく知られてますね。
制御装置は日立の電動カム軸式の多段式(MMC)を装備してことで知られますが、製造当初は13段のMC-200を装備し、1940年に21段のMMC-(H-)200に変更されました。なお晩年に使用してたのはMMC-H10Kは、1970年前後に再度交換されたもののようです。
東急の3000番台の車両は、その多くが戦後に車体更新で大改造を受けています。
3450形・3700形は、窓の天地を拡大したことで知られていますが、3500形は当初よりこのサイズ。それゆえか、1967年の更新では、車内の更新とアルミサッシ化などに留まっていました。
が、1976年以降、再度更新が行われ、このときに、張り上げ屋根にヘッドライト・テールライトの一体化で、海坊主などと揶揄されるスタイルに変化しました。これは1972年から更新が行われた3650形に準じたものですが・・・これが上記のような3450形との記録の差に表れているのかどうか。
それにしても、車齢35年で、ここまでの大改造をするとは・・・東急は、あと何年この電車を使うつもりだったのかとも感じます。最も、この年代の車両は他の事業者でも後世の目から見ると微妙な時期に大改造を受けているものが少なくありませんね・・たとえば、南海1200や京急420といったあたり。
結局、池上線・目蒲線で使われ続け、廃車になったのは1989年の春のこと。他社への譲渡事例はもちろんありません。
某所には四国の某社が小型車中心の某線用に・・・とありますが、真相は不明。同社のもと山形交通や南武鉄道の車両が同じくらいの車体寸法ではありますが、こちらは電動車で自重が37.7t~39.8tでは、自重30t以下に限定される同線には入線は無理だったのでしょうね。