私がまだ小学生低学年だったころの話。
近所の図書館には、鉄道の本が幾つかあったのですが、その中に交友社の「私鉄電車のアルバム」・・それも1A、1Bとなぜか別冊A、別冊Bが置かれていました。ご存じの方も多いかと思いますが、別冊Aは荷電・貨電、別冊Bは電機という実に目の毒(!)なものが沢山のっている2冊で、私が人生を踏み外すきっかけの一つとなりました(苦笑)。
・・・余談ですが、国鉄関係では、誠文堂新光社の「電気機関車ガイドブック」や「国鉄電車ガイドブック 旧性能車篇」なんてものが置いてあり、同様に買収電機だのクモ「ニ・エ・ル・ヤ」などに目を奪われた結果が・・・今思えば、実に人を惑わす図書館でした・・・。
その中で、関西の様々な旧型の貨物電車が非常に印象に残りました。しかし、その殆どは、私が関西に電車を見に行ける頃には廃車になり、残っていた車両もなかなか見られるところには無い・・結局、実物をみることができたのは、わずかにこれだけでした。

・京阪電気鉄道大津線 122 1994年8月 近江神宮前(錦織車庫)
京阪電車の122です。
留置場所の関係で、手前には架線柱のワイヤーそして、乗務員乗降用のステップがあってスッキリしない写真となっていますが、いま思うと、こんな状態であっても、撮っておいてよかったなあ・・・と思うところです。
車歴は非常にややこしいものです。
もとは1934年11月竣工の有蓋電動貨車で旧車番は2002。製造は自社の守口工場でした。なお、実際の製造は1933年で当初車番は2004であったとも書かれています。1945年7月に天満橋駅で空襲に遭い全焼、1946年に復旧。
1955年にこの車両の機器と、1936年製造・1949年廃車の無蓋電動貨車 3012の台枠を組み合わせて、上の写真のようなスタイルに改造の上で本線から大津線に転属・・・最も、そのころは三条で線路が繋がっており、またポールとパンタグラフを共に装備していたので、両線を行き来していたそうですが。
1959年に3022、1970年に122に改番され、1997年の大津線昇圧で廃車になりました。
なお、2002と同型の2003は、3021→121と改番されて、1983年に京阪線が昇圧するまで守口工場の牽引車あるいは救援車として使用されました。ATSを装備するために車体の前後に張り出しを設ける改造が行われていました。
また3012と同型の3011は、103に改番されて、やはり1983年まで使用されました。1968年にクレーンの装備と、運転台の幅を狭める改造をうけています。
自重23.0t。最大寸法(長・幅・高)は14242×2378×3980mmで、「屋根付きの無蓋電動貨車」という非常に特徴あるスタイルになっています。柱が2本あるので、前後の運転室の部分と合わせて3っつに分割されていますが、それぞれの天井にはホイストが取り付けらています。運転室の幅が狭いことを含め、レールの運搬等に対応したものだったのでしょう。
台車はブリル27E-1 主電動機は東洋9C(出力45kw)を4台装備している点は、大津線急行の主力車だった
260形と同じ。廃車後には、アメリカのトロリーミュージアムに譲渡されています。
制御器は260形・
350形などと同じく電空カム軸式の日立PRから、自社製の電動カム軸式に交換されており、この車両はEC-100なるものを搭載していました。詳細は不明です。
この車両、京津線に配置されていたこともあり、「私鉄電車のアルバム」では別冊Aではなく、2Bのインタアーバンの項に載っています。ご注意を。
・参考文献
同志社大学鉄道同好会「私鉄車両めぐり(48)京阪電気鉄道」 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション25に収録