宮城県北部の石越から若柳、栗駒を経て細倉の間を結んでいた栗原電鉄。
762mm軌間・非電化でしたが、1950年に直流750Vで電化、そして1955年に1067mmに改軌しています。
この改軌時に投入されたのがM15形M151~M153の3両。当時としては非常に珍しいアルファベットを車両の記号としたことで知られます。1995年に、第3セクターのくりはら田園鉄道に移行するまで主力車両でした。
メーカーは、ナニワ工機で、最大寸法(長・幅・高)は15700×2700×4080mm。
側面の窓は上段がHゴム支持の、いわゆる「スタンディーウィンドウ」を採用しています。
前面は2枚窓で、このあたりの車体の造りは同時期にナニワ工機で製造された広島電鉄1050形、下津井電鉄モハ102・クハ22、
京福福井ホデハ241、水間鉄道モハ251といったあたりとの共通性が見られます。
車内は至ってオーソドックスな造りですが、照明に新製当時から蛍光灯を採用し、かつカバーが取り付けられていたのは、この車両が長らく「デラックスな車両」と言われた所以だったとも思います。
下回りに目を転じると、ブレーキは直通制動(SME)です 。
台車は住友FS-21で、上下揺れ枕をオイルダンパ付きのコイルばねで結び、軸箱保持はペデスタル式というもの。この時期の新型台車によく見られた構造ですが軸距が短めであること、またブレーキシューが片抑え式になっている点が注目されます。
吊り掛け駆動式で、主電動機は三菱MB-330Arを4機搭載。出力は40kwと低めですが、栗原電鉄の表定速度は線形の割にそれなりに高かったこと(25.5kmを44分程度で走破=表定34.7km/h)を思い出します。なお端子電圧は375Vで、近鉄モ1450で始まった1500V線用4S2P・1C8M車(低い端子電圧の主電動機を直列にして使う)の技術が早速応用されたものだと推測されます。※1
そして、制御方式はバッテリを電源とする手動加速式(HB)で、主制御器の型式はCB-10-174です。なお、過去の文献には(たとえば鉄道ピクトリアル477号 特集「東北地方の私鉄」)を見ると「UP-731」とありますが、その事由は不明です。余談ですが、西武鉄道から譲り受けた
M181は「UP-51」となっていますが、こちらも外観からHBであったと推測されます。※1
電装品が三菱製だったのは、この路線の顧客であった細倉鉱山が三菱系であったことと関係があったのかどうか、気になるところではあります。
(上から)
・栗原電鉄 M152 1994年2月 若柳
・栗原電鉄 M151 1995年8月 若柳
・栗原電鉄 M153 1995年8月 若柳
・栗原電鉄 M152 車内 1994年2月
・栗原電鉄 M151 FS-21台車 1995年8月
※1 2023.8.14
くりでんミュージアムで「【複製復刻】「M15型電動客車」車両パンフレット」を入手し、主電動機と主制御器について内容を改訂しました。