西工が58MCを架装していた頃は、当然ながらその東限が京都市交の時代。
それより東の乗合車で採用した事例はごくわずかしかありません。
しかし、何故か自家用で西工58MCを選択したところが幾つか存在しました。
例えば、千葉県のK社やK学園ですが、最大勢力だったのが東京多摩地方の某私立高校のスクールバス。
途中から西東京バスの契約輸送になり、同社に引き継がれて緑ナンバーとなりました。
そのうち、何台かが数回に分かれて、沖縄の琉球バスに移籍しています。
・琉球バス 日デP-U32L +西工58MC 2000年2月 那覇バスターミナル
上記の2台は1995~6年頃の移籍(・・・なにげなく、もう20年前なのですね)。
730車追放の為に、同社は大量の移籍車を購入していますが、これらはその中でも最初期の10台に入ります。
2台で年式は異なり、同じP-U32系でも、上の丸目の車両は昭和60年騒音規制前のいわゆる前期型。下は、騒音規制後の後期型となります。
屋上の冷房装置(デンソー?)がいちばん後ろに載っているのは、西鉄の本家西工そのまんまという感じがします。
トップドア+メトロ窓で、車内には2人掛けのシートがズラリと並ぶ仕様は、それまでの沖縄の郊外線バスと大差が無く、うってつけの車両であったと思います。2台とも、片道の所要時間が2時間かかる27番 屋慶名線(那覇~天久~牧港~我如古~普天間~コザ~安慶名~屋慶名)で使われていました。
西東京の契約輸送車に話を戻すと、結局このタイプは乗合車としては琉球バスにしか移籍しませんでした。
後に増備される車両は、関東地方での定石通り富士7Eとなり、前中扉・2段窓と仕様が大幅に変化しています。特に、KC-UAは、あちこちに移籍し、その総数と移籍先の数が合わずマニア諸氏の頭を悩まさせているのは御周知のとおり。