先月発売された鉄道ピクトリアルアーカイブ33。
今回は関東の「私鉄車両めぐり」ということで期待していたのですが、全般的に最もメジャーな江ノ電に割かれた量が多かったのが、少々残念に感じます。もちろんその中身は貴重なのですが、上毛のデハ181や旧国払下げ車、あるいは秩父鉄道で早期に廃車になったクハニ29あたりについて、もっと触れて欲しかったなあ・・・というのが正直なところです。
さて、今回は関東ですが山梨県の私鉄も収録されています。
ということで、読み進めるうちに思い出したのが、この車両。

・有田鉄道 キハ58001 1989年8月 金屋口
有田鉄道のキハ58・・・言わずと知れた話ですが、もと富士急行の車両です。
まず1961年12月に片運転台のキハ58001と58002が、1963年4月には両運転台のキハ58003が製造されました。メーカーは、
電車と同じく日本車輛ですが、そちらが支店製なのに対し、これは本店製になっています。
電化私鉄である富士急が国鉄型気動車を製造したのは、国鉄経由で新宿に直通する急行を運転するにあたり、国鉄中央東線内では気動車列車に併結する必要があったため。富士山麓電鉄→富士急には国鉄の列車直通が戦前より行われていましたが、富士急の車両が国鉄の乗り入れたのは、これが唯一の存在です。
直通急行「かわぐち」の運転開始は1962年4月のこと。
当時、中央東線(と篠ノ井線)の電化は上諏訪まで達していたので、生まれながらにして「全区間架線下DC」となりました。最も、同年内には電化区間は辰野へ、1965年には松本まで完了します。急行アルプスも電車化が進み、気動車は非電化区間への大糸線南小谷以北および小海線直通列車などが僅かに残るだけ。
結果、河口湖よりもはるかに遠方へ行く列車との併結とならざるを得ず、当初目的の「東京から観光客を富士五湖へ運ぶ」というわけには行かなくなりました。結局、1975年にはこれら非電化区間直通急行そのものが廃止になってしまい、こちらも同時に失業。3両揃って、和歌山の有田鉄道へ売却されました。同社では便所・洗面所を撤去の上、1976年から使用を開始しています。
富士急での在籍期間は、結局13年ちょっとでした。もし、もうちょっと直通急行の計画・実現が遅かったら、165系電車でも新造したのか・・・運行内容も変わっていただろうか、などと考えてしまうところです。
ツインエンジンのキハ58なのは、急勾配区間を抱えるからなのでしょう。とはいえ、三つ峠附近の連続40‰勾配では、スピードはいかほどだったのか気になるところです。一方、全線が平坦で距離も短い有田鉄道では、不経済なだけ。1980年にはエンジンを各車1機づつ降ろしています。