広島カープが25年ぶりに優勝しましたね。
おめでとうございます。
ということで、今回は、24年前の広島のネタから一つ。

・広島電鉄宮島線 1094 1992年3月 荒手車庫
広島電鉄宮島線は、かつては線内専用の高床車を走らせていましたが、これの最終運用は、それこそ25年前・・・1991年8月のことでした。私はわずかに間に合わず、荒手車庫に留置されていた1090形1094を遠くから見るだけでした。
1090形は、もともとは京阪電鉄の木造車200形229・230と100形109・111で、大戦中の合併で阪急となっていた1947年に広島電鉄に譲渡され1050形1051~1054になりました。その後、1953年にナニワ工機で車体を新造。前面2枚窓で側面はスタンディウィンドウというスタイルは、その後、同社で作られた
栗原電鉄M15形などに受け継がれていると思います。
前面上部の通風孔と路面電車のような扉配置に特徴がありました。
主電動機はいずれも東洋電機の50馬力・TDK-9C(出力37.3kw)×4でした。が、制御器はそもそも100形の制御器を交換して総括制御可能になったものが200形ということもあり、もと200形の1051~1052が日立の電空カム軸式・自動進段のPR-100なのに対し、もと100形の1053~1054はイングリッシュエレクトリックの直接式・Q2Dと異なっており、こちらは鋼体化時に同じEE製の電動カム軸式 M15-Aに交換しています。台車はブリル27E1でした。
さて、時は流れて1979年、1053・1054を改造して2両固定編成に改造。このときに下回りは交換され、制御器は東洋電機の電動カム軸式・ES-762A、台車はボールドウィン78-25-AA、主電動機は東芝SE-180(出力90kw)×4になっています。
これらは、阪急電鉄の電動貨車4200形が1967~1969年の神宝線昇圧に際して交換した機器である模様・・・4207が1977年、4209が1979年に廃車になっているので時期的にも合致します。
車体は前面の通風孔を埋めて大型方向幕を設置、車掌台は引違い窓に改装されています。
1053・1054は1982年に1091・1092に改番。1980年に一旦廃車になった1051・1052も、この年に1053・1054と同様の改造を経て、1093・1094として復活しています。
そして、1984年に路面電車と同じ手法で三菱製の冷房機を登載、ただし能力は若干高いCU-77NH(26000kcal/h)となっています。
廃車は1053・1054が1990年、1051・1052が1991年で、冷房機は当時製造中だった3900形に転用されています。
上の写真で屋上がスッカラカンなのはそのため。
その後、2002年に米国のトロリーミュージアムに台車を譲渡するために、解体されました。

・1995年8月 荒手車庫