今年は、第二の故郷(?)高松への里帰りは、11月となりました。
時間がとれず、夜行日帰りの強行スケジュールでしたが、今回はコトデンの旧型車が走る前に、八栗山のケーブルカーに乗車してきました。
八栗山のケーブルカーは四国八十八ヶ所霊場の85番目、五剣山八栗寺への足として、1930年に八栗登山鉄道によって開通しました。第2次大戦中は御多聞に漏れず、鉄材供出の為に休止。戦後、廃止となったあと八栗ケーブルの手で1964年に再開業したものです。これは、神奈川県の
大山のケーブルカー(1965年再開)に次いで遅い復活でした。
なお、八栗ケーブルは後に、徳島県内で複数のロープウェイを開業しており、社名を現在の四国ケーブルに改名しています。
さて、八栗ケーブルは少々乗車の難度が高い路線であります。
それは、他の公共交通機関との連絡が全くない、文字通りの孤立路線であるためです。
結局、ことでん志度線の琴電八栗駅より約1.5km片勾配の道を歩いて向かうことにしました。
本当に この先に駅があるんだろうか?と思うような沿道風景でしたが、20分少々歩いて麓側の八栗登山口駅に到着しました。駅の周辺には大きな駐車場が整備されており、大半はクルマを使う世の観光客には特に問題ないのだろうと思います。
駅舎は、それなりに古そうですが、幕で覆っているため建築年代は戦前のものか復活時のものか等は解らず。ホームの屋根は鉄骨つくりなのは、よくある風景といいましょうか。駅舎の中は土産物等の売店で占められています。いわゆる「昭和レトロ」という感じですね。
さて、八栗ケーブルの運行間隔は朝の7:00(日祭)または7:30(平日)から17:15まで、きっかり15分ヘッドを維持しています。正直、半信半疑だったのですが、実際に乗ると、朝からお遍路さんがそれなりにいるので、納得した次第。
山の上までクルマで入ることができないのも影響しているのでしょう。
この路線で使用されている車両は、再開業時から変わらないもので1964年日立製作所製。神戸は六甲ケーブルの先代の車両と同系で、窓下が突き出た独特のスタイルが目を引きます。鉄道車両なら国鉄151系あるいは南海2代目「こうや」を連想するところで、高度成長期の「夢の乗り物」を具現化したものなのでしょう。
側面は3扉の折戸で、大きさは国内では中サイズといえます。
近年、塗装が変更されたようで、1は前面を朱色に、2は青色に塗っています。ケーブルカーでは、各車両に個別の愛称が振られることが多いのですが、ここの場合はどちらの車両も「YAKURI」とだけ書かれています。
高低差167m、全長660mと短い路線で、眺望がよいのは、山麓側のほんのわずかな区間だけ。
ここでは屋島とその先の高松市街を一望することができます。
路線の施設は整備が行き届いていると感じました・・・最もそれは、廃止になったお隣りの屋島のケーブルカーの印象があまりにも・・・というのもあるのでしょうが。
およそ4分程度で山頂側の八栗山上駅へ。
山の上(・・・実際には中腹ですが)には数軒の土産物屋のほかは、八栗寺があるだけです。ケーブルカーでアクセスすると、裏手から境内に入ることになります。
画像は、八栗寺の鳥居と二天門。
寺なのに鳥居があるのは、神仏習合の名残というよりは、
仏教の守護神である歓喜天(聖天)が祀られているからであるようです。
やはりケーブルカーが存在する、奈良県は生駒山の宝山寺と同様ですね。
※2016年11月 撮影