熊本市街からその北郊へ向けて走る、九州では数少ないローカル電鉄である熊本電鉄。
そのターミナル、藤崎宮前駅は市街地の北側に位置し、その名の通り、熊本の街の総鎮守である藤崎八幡宮の至近に存在します。20年前に、ビルに建て替えられましたが、それまではこんな木造平屋建ての駅舎が建っていました。

駅の上半分を覆うような看板が嫌でも目に入ってきます。
清酒の広告があるのは、いかにもローカル電鉄といった趣き。
また駅名よりも行き先を大きく書いてあるのもターミナルらしい風景です。最も、この時点で御代志から先は廃線になっており、菊池温泉「方面」には違いありませんが、誇大広告の感も否めないところです。
まあ、現在でも菊池電車(菊電)のほうが通じるほどなので、これでもよかったのでしょう。

菊池電車の起点は、もともとは上熊本で、併用軌道で熊本城の北側を通り、藤崎宮前でスイッチバックして菊池方面へ向かっていました。第2次大戦中に、現在の上熊本~池田~北熊本の路線の建設がはじめられ、戦後の1950年に開業。藤崎宮前駅は1951年に移転し上熊本方面の軌道線と切り離されています(軌道線は1954年に水害で廃線・熊本市に譲渡)。
つまり、この駅舎はそれ以降の建築となります。
駅舎内部の待合室は、それなりに広かったように記憶しています。菊池電車の営業窓口は、ここに集約されいましたが、昭和40年代の写真を見ると銀行の出張所も併設されていた模様。

ホームは相対式2面2線で、菊池側には側線もあったようですが、撮影した1990年代には棒線化されていました。なんとも侘しい雰囲気ではありました。
御周知のとおり、このターミナルの立地が不利であるゆえに、市街中心まで行くバスのほうが利便性に勝り、やがて電車は御代志から先を廃止するに至りました。その後も、市電への直通を画策したことは記憶に新しところです。
しかし、実際には熊本中心市街の上通に直結しており、本来、それほど悪いところではない・・たとえば、新潟交通電車線の白山前や、北陸鉄道石川線の野町ほどの僻地感はありません。
ただ、熊本の中心市街は開発余地の関係(武家屋敷~軍用地の転用)からか、通町筋電停より北の上通~藤崎宮前側よりも、南側の下通~新市街側のほうが栄え、さらには交通センターが完成したことで、取り残されてしまったように思います。
歴史にifは禁句ですが、何かしらのベクトルが異なれば、もともとは同じような立地であった、伊予鉄の松山市駅あるいはコトデンの瓦町駅のように、中心市街をこちらのほうへ持ってくることができたのかもなあ・・と、感じるところです。
・1、3枚目 1993年8月撮影。2枚目 1995年8月撮影