伊予鉄道の鉄道線の電車は、1967年の横河原線電化で
西武鉄道から川造形を購入するまでは、全て自社発注車でした。しかし、昭和30年代に投入されたのは600形1編成2両のみ。このあたりはコンスタントに新車が投入された市内電車とは対照的です。それは当時の車両構成を考えれば当然なのですが。
ともあれ、この600形は1958年ナニワ工機製。
自社発注車で唯一の張殻構造の車体を持つ新性能車でした。
・伊予鉄道 モハ601 1990年8月 古町
・伊予鉄道 モハ602 上:1993年8月 下:1996年10月 古町
車体寸法は長さ18000×幅2600mm(最大寸法は18800×2700mm)。私鉄中型車としては車体が細い一方で長いといえますね。
中央運転台で、前面は中央の窓が幅広の3枚窓構成。同じ時期にナニワ工機が作った地方私鉄向けの電車に当時の流行のせいか2枚窓(
例1、
例2)が多いことを考えると特異な点です。これは伊予鉄が運転台の位置に拘ったゆえと思いますが、前面の見付けは、同時期に同じメーカーでつくられた路面電車との共通点を感じるところです。
客用扉の幅は1000mmと狭めで、落成当初はステップつき。また、連結面は幅広貫通路である一方、窓はありませんでした。
電気機器類は、それまでの伊予鉄の電車と同じく三菱製。従って、制御器は単位スイッチ式間接自動のABF-104-6ED、主電動機はMB-3032-C(端子電圧300V・定格出力75kw)を1両に2機搭載し、2両でMM´ユニット方式(1C4Mで直並列制御)となっています。制動方式は、発電制動・中継弁つき自動空気ブレーキ(AMAR-D)で、これも自動ブレーキの在来車との共通性を考えての選択でしょう。
台車は、軸バネがウィングバネ・枕バネが上下揺れ枕式でコイルばねの日車ND-104となっています。国鉄DT21に類似していますが、台車枠の側面に丸い穴が開いているの点に、この時期の日車製台車(例・NA-4)の特徴が表れていますね。
さて、2両編成で落成した600形ですが、やがて伊予鉄は
関東の私鉄から大量の車両を購入し3両編成が標準となっていきます。在来車も3連となりますが、その中で600形は併結できる車両がなく次第に運用しにくい存在になっていたようです。
そんな状況の中、1979年に長野電鉄から車両を購入・改造して3両固定編成となりました。
・伊予鉄道 モハ603 1993年8月 古町
伊予鉄モハ603となったのは、もと長野電鉄1100形。木造車(モハ1、クハ61、クハ51 いずれももと信濃鉄道→国鉄)の機器を流用して1961年に日本車輛で3両が製造されました。長野市中心部の地下化に伴い廃車となり、モハ1101とクハ1151が
豊橋鉄道に譲渡されモ1811+ク2811に、モハ1102が伊予鉄に譲渡されました。
車体の長さは600形と同じ18000mm(最大長1880mm)ですが、車体幅は100mm広い2700mm(最大2744mm)。前面はもともと貫通路付でしたが、改造されて601と同じようになっています。これは3両化にあたり運転台を撤去した602から移植したものなのか気になるところです。
機器類も、もとが釣り合い梁台車+吊り掛け駆動・HL制御・直通制動であったため、根こそぎ交換されています。
これには1977年に機器を交換したモハ303・304と共通するものが使われています。すなわち、制御装置は電動カム軸式の三菱ABFM-104-75MDA、主電動機は三菱MB-3054-D2(端子電圧375V・75kw)を4基搭載し、やはり1C4M制御となっています。制動装置は601・602に合わせてAR-D。台車はダイレクトマウント式で枕バネがコイルバネという住友FS504を履いてます。
なお、モハ602は運転台を撤去していますが、それだけにとどまらず、従来からの連結面と同様の切妻構造に変更しており、こちらもそれなりに大きな改造となっています。
それにしても、既に3扉が主力となっている状況での2扉車の購入、そして下回りの全面交換と前面の大改造などという大手術をしてよく導入したものだと思います。当時、大手私鉄でもこんな新しい車両は、まず放出されておらず(・・京成が他社に譲渡していれば別だったのでしょうが)、良好な案件ではあったのでしょう。
鉄道線用では600以来の自社発注となる610形に置き換えられ、1995年に廃車。
603は直ぐに解体されましたが、残る2両は保存する意図があったのか、その後も長い間、古町駅構内に留め置かれていました。