西武鉄道は第二次大戦後、戦災省線とともに木造省電を購入し、そのままの状態もしくは省電50系に準じた車体に所沢工場で鋼体化を行って使用しています。やがて1954年になると、鋼体化に際して台枠を延長して国鉄クハ55に似た20m級車になります。
これがクハ1401形(戦災復旧車を除く)およびクハ1411形で、両者は前面の貫通路の幅、ベンチレータ―、連結面が平妻か切妻かといった差があります。のちにクハ1401形は1411形に統合、またクハ1411の一部は運転台を撤去してサハになっています。
この鋼体化改造、1959年まで続きました。この間に新車は半鋼製でノーシルノーヘッダーの初代501系(電動車はのちの351系)から全金属の2代目501系に変化していますが、こちらはウィンドシル・ヘッダーが外板に露出し、屋根は木造キャンバス張りという半鋼製、それも初代501系より前の仕様のままで増備が続けられました・・・・他社にも似た事例は幾つかありますが、それにしてももうちょっとどうにかならなかったのかとも感じます。そんなに長く使うつもりは無かったということかもしれませんが。
結局のところ1981年までには廃車となりましたが、1977~1980年にクモハ351形とペアで合計8両が上毛電気鉄道に譲渡。同社のクハ30形となりました。
上毛電鉄で入線にあたって、前面の貫通扉をそのまま鋼製でHゴム支持の窓に変えたものと、扉を埋めてHゴム支持の窓を設けたもののがありました。もとクハ1401のクルマは前者だけだったので、都合3種類のバラエティーとなっていました。

・上毛電気鉄道 クハ34 1990年1月 大胡
ここからは個人的な話。
西武線を走っている頃、おそらく小学校1~2年だったと思いますが、小平のあたりで見て「随分旧い電車だなあ」と思ったことがあります。また、所沢駅南側の池袋線と新宿線の間の留置線・・・いまは所沢折り返しの池袋線電車の引き上げ線になっていますが・・・に、クモハ351形との2両編成2本が暫くの間放置されていたことも覚えています。
上毛電鉄に行けば走っていることは解っていましたが、実際に乗ることができたのは高校1年生のとき。1990年の正月でした。既に、東武3000系が入線しており3編成しか残っていませんでしたが、西桐生から運よく一発で乗ることができました。
その分、この車両を綺麗にとることはできず。大胡の車庫のいちばん北側に留められていたクハ34を無理矢理撮影しただけで終わりました。いまなら、これだけを狙うのでしょうけど、当時は予定どおりに旅程をこなすことで精いっぱいでしたので。

・上毛電気鉄道 クハ38 車内 1990年1月
こちらは乗車したクハ38の車内。国鉄の2等車を意識したグレーの壁に赤いモケットの座席、
そして、所沢工場独特の細いアルミサッシであることがわかります。
片隅運転台で、助手側はHポールで仕切ってあっただけということもわかりますね。
なお、画面左側にはドアの開閉スイッチが写っています。これは無人駅対策で取り付けられたもののようですね。
ここで取り上げた2両の車歴を書くと
クハ34はもと西武クハ1428、クハ38は同じくクハ1427でいずれも1955年製。
改番が多い西武の旧型車では珍しく?スッキリしたものとなっています。
結局、西武に残っていた351系よりも一足早く上毛電鉄への譲渡車の方が全滅し、
この電車に乗ったのもこれが最初で最後となりました。