富士重工7Eが誕生してから30年となりました。
いまでも、7Eというのは新しいイメージなのですが、それだけ自分も年を取ったということなのでしょう。
さて、10年前には
富士7E 20周年ということで量産先行車である東京都交通局の日デP-UA33Kと、もとサンプルカーの宮城交通P-U33Kを取り上げていますが、今回は、その都営P-UA33Kのその後を記してみたいと思います。
都営のP-UA33Kは1987年度後期導入車として、1988年初頭に15台が製造され江東営業所に配置されました。
車両のレベルを上げバス停なども一新した都市新バス用で、都04系統(東京駅丸の内南口~豊海水産埠頭)で使用されました。
廃車は1998年度でしたが、エアサス(初期の車両を除く)にハイバックシートという都市新バスの仕様は地方のバス事業者から人気が高く、とりわけ従来から設備のレベルが高い車両が多かった西日本の事業者への移籍事例が多数存在しました。
このP-UA33Kの移籍先はすべて西日本です。

・広島バス 日デP-UA33K +富士7E 2002年8月 八丁堀(広島市中区)


・サンデン交通 日デP-UA33K +富士7E 上:2005年8月 下:2002年8月 下関駅付近(山口県下関市)

・佐賀市交通局 日デP-UA33K +富士7E 2001年9月 佐賀駅バスセンター
移籍先は、広島バス、サンデン交通、佐賀市交通局、熊本市交通局の4社局でした。各社局とも、当時都営から移籍車を積極的に導入していたところです。
このうち、熊本市交通局は1台のみで、廃車になるのも比較的早かったため、結局大雨の朝早くに一度見たきりで撮ることができませんでした。
残りのうち大所帯だったのは広島バスとサンデン交通。特に、サンデンは都市新バス仕様を多く導入しており、この後1988年度導入車のP-LV214K+富士7E(都05系統用)のほとんどが移籍することになります。
いずれの事業者も中乗り前降りなので、スピーカーの移設などの改造を受けており、サンデン交通は窓を入れ替えて中扉直前に方向幕を持ってきています。また日差しの強い西日本らしく、広島バスとサンデン交通はロール式カーテンを設置しています・・・佐賀市はどうだったのか記憶にありません。
さて、10年前の記事では、このようなことを書いていました。
7EでもP-の車両は、車種によってはだいぶ数が少なくなってきました。
消える直前で騒ぎ出すより、普段から撮影しておきたいものです。
そして今年、大都市圏では新7E架装車が相次いで各事業者から消滅し、そのたびに盛り上がりを見せたようです。
事業者によっては最後の運転を自ら告知するなど、過去では考えられない対応、そして沿線に集まったマニアの数も、やはり過去には考えられなかった数でした。
そうしたことに、隔世の感すら抱くのですが、一方でバス趣味が最近の鉄道趣味と同様に、どこかで提示されたものと同一方向でしか楽しめなくなっていのなら、なにか寂しさを感じます。そして、普段から記録しておくことの重要性は変わらないということを、改めて記しておきたいと思います。
たとえば、新7Eが残り少ないといわれて何処かに出向いても、それしか目に入らないのは勿体ないと思います。新7Eの後ろに止まってた西工架装の日デRPが他所ではあまり見られない車両だったりするのですから。